はじめに(このカテゴリー内の全記事共通)
私が住む姫路市には、世界に誇る文化遺産、姫路城が聳えています。
その姫路城の美しい姿を眺めるのにふさわしい場所で、「誰でも自由に行ける」「お城を取り巻く方向にある」という条件を満たす場所を1994年に姫路市が公募し、1995年1月号の「広報ひめじ」で「世界遺産姫路城十景」が発表されました。
ブログに載せるネタが少ない時期の「埋め草(うめくさ:とりあえず余白を埋めるためのネタ)」として、この世界遺産姫路城十景を全10回のシリーズ(不定期)で紹介していくことにします。
前述の「広報ひめじ」では、世界遺産姫路城十景(以下「姫路城十景」)には番号が振られていないのですが、それぞれの場所に立つ看板では、姫路城十景が番号とともに記載されているので、その番号順に紹介することにしましょう。
姫路城十景
(1)大手前通り(JR姫路駅前)
(2)三の丸広場
(3)城見台公園
(4)美術館(前庭)
(5)シロトピア記念公園(ふるさとの森)
(6)男山配水池公園(山頂)
(7)景福寺公園
(8)名古山霊苑高台
(9)手柄山(緑の相談所広場)
(10)増位山(白国増位山線のポケットパーク)
(出典:姫路城十景の各地点に設置されている看板)
姫路城十景「増位山(白国増位山線のポケットパーク)」の概要
姫路市白国から北の山上にある随願寺へ続く「白国増位山線」沿いにある小さな公園が、姫路城十景の最後のスポットです。
▲ポケットパークの全景(撮影日:2016年2月21日)
▲ポケットパークの様子(撮影日:2016年2月21日)
増位山
白国増位山線沿いにあるポケットパークからは、山の間からのぞく天守群を眺望することができます。
(出典:増位山(白国増位山線のポケットパーク)にある姫路城十景のプレート)
▲増位山(白国増位山線のポケットパーク)にある姫路城十景のプレート(撮影日:2016年2月21日)
姫路城十景「増位山(白国増位山線のポケットパーク)」の位置
県道518号線の「随願寺入口」交差点から北へ入り、「増位山随願寺→」の標識に従って右折。
右折してからおよそ600mの場所で、道路の右側にポケットパークはあります。
以下のURLをクリックすると、Googleマップで増位山(白国増位山線のポケットパーク)の位置が表示されます。
姫路城十景「増位山(白国増位山線のポケットパーク)」から見た姫路城
姫路城十景の中では、姫路城から最も離れた場所です。そのため、ここから見える姫路城は小さいですが、面白い見方をすることが出来ます。
勘の良い方なら、ポケットパークの写真を見てすぐに気づかれたかも知れません。
ここから姫路城を見る“正しい方法”は、石で出来た円形のオブジェ越しに見るというもの。
▲増位山(白国増位山線のポケットパーク)のオブジェ越しに見た姫路城(中央の高い建物)(撮影日:2016年2月21日)
姫路城十景「増位山(白国増位山線のポケットパーク)」周辺の見所
周辺の見所として思いつくのは、山の上にある随願寺(ずいがんじ)。
ポケットパークのある白国増位山線を上り詰めたところには、広い駐車場があります。
▲随願寺の駐車場の様子(撮影日:2019年2月2日)
その広い駐車場に車を駐め、駐車場の北東隅にあるトイレ脇の階段から未舗装の車道に入り、そのまま歩いて行くと随願寺の境内に入ります。
▲トイレ脇の階段を登る(撮影日:2019年2月2日)
▲未舗装の道を進む(撮影日:2019年2月2日)
登り坂だった未舗装道路が下り坂に変わって間もなく出会うのは、開山堂。
▲開山堂(撮影日:2019年2月2日)
開山堂 附厨子一基
国指定重要文化財・平成21年6月30日指定
開山堂は、正面三間、側面三間、背面半間通り下屋付の方三間のお堂である。平面では仏壇の前を広げるために四天柱の位置を側柱通りより後方へちょうど間半分をずらしている。
平成9年度から行なわれた解体修理の際に、承応3年(1654)の墨書と「寛永18年(1641)2月吉日」の墨書が発見された。随願寺に現存する建造物の中でも最古の建築である。
平成21年7月 姫路市教育委員会(出典:現地の看板)
続いて出会うのは、姫路城主 榊原忠次の墓所です。
▲榊原忠次の墓所(撮影日:2019年2月2日)
榊原忠次墓所唐門
国指定重要文化財・平成21年6月30日指定
形状 正面1間、側面1間、向唐門、本瓦葺き
榊原家は、徳川家の譜代大名の中の名門で四天王の一つに数えられた。なかでも忠次(1605~1665)は、文武両道に優れた人格者で、姫路城主としての17年間にも随願寺の再建をはじめ数々の治績をあげて名君とされた。
唐門は本堂の西側にある市指定史跡・榊原忠次墓所の正門であり、瓦銘から享保16年(1731)の建立である。
おおらかな構の建築であるが、細部も丁寧に造られ、唐破風を正面に向けたいわゆる向唐門である。垂木鼻、拳鼻、桟唐戸、柱等随所に錺金具の痕跡が残っており、きらびやかな建物であったことが想像できる。
碑文は朱子学者の林怒(鷲峰)の撰によるもので、長文で名高い。
榊原家の系譜をたどり忠次の生い立ちから館林(群馬県)・白河(福島県)の藩主を経て慶安2年(1649)、姫路城主となるまでの経緯、存命中の業績など彼の一代記が約3000の字に刻まれている。
この碑文を一字の誤りもなく読むと、碑石の「カメ」が動くという伝説がある。
平成21年7月 姫路市教育委員会(出典:現地の看板)
墓所の次に出会う建物が随願寺の本堂。
本堂の前の石段を下ったところに手水や経堂、毘沙門堂、鐘楼などがあります。
▲随願寺本堂(撮影日:2019年2月2日)
増位山 随願寺
播磨天台六山の一つ。史料では増井寺とも記される。寺伝によると高麗僧慧便が開基し、天平年間(729~749)に行基が中興したという。もとは法相宗であったが、天長10年(833)に仁明天皇の勅命で天台宗に転じた。平安時代には諸堂が整備され、山上には36坊もある大寺であったという。天正元年(1573)、別所長治に攻められ全山を焼失。同13年に羽柴秀吉が再興した。江戸時代、姫路藩主榊原忠次が当寺を菩提寺とし、再建・整備に尽力した。
増位中学校区夢プラン実行委員会(出典:本堂前の看板)
随願寺随願寺はインドの阿育王(あしょかおう)が仏舎利を8万4千に分け、空高く投げられた内、2つの舎利が日本に到達。1つは琵琶湖の東、石塔寺の地に、1つは播磨の増位山の地に到達したと云われる仏舎利飛来の霊地であります。
その後、厩戸皇子(聖徳太子)が仏教の師僧である高麗の僧慧便(恵便)をして止住せしめたことに始まります。元はここより南の平地である出井村(伊伝居)にあったようですが、聖武天皇、天平7年(735)に僧行基が出井の地に宿泊されたとき夢に薬師如来が現れ、今の地、増位山上に寺を建立するように告げられ、朝廷に上奏、薬師如来を刻み、安置しました。これが増位山での随願寺の基となりました。
(後略)
増位中学校区夢プラン実行委員会(出典:放生池北の看板)
▲鐘楼(撮影日:2019年2月2日)
鐘楼
国指定重要文化財・平成21年6月30日指定
形状 袴腰付、桁行三間、梁間二間、入母屋造本瓦葺き
鐘楼は瓦銘から享保3年(1718)の建立で、廻縁付の正規の袴腰付鐘楼である。
全体的に形の整った建築であるが、腰組が変形の二手先にするなどの独特な手法が見られる。
平成21年7月 姫路市教育委員会(出典:現地の看板)
鐘楼脇の石段を下りきった所には放生池があり、その東側の擬木階段を登った先には小規模な梅林があります。
その梅林の東端にある擬木階段を登ると、さらにもう一つ梅林があります。つまり、梅林は二段になっているわけです。
▲梅林の様子(撮影日:2019年2月2日)
二段あるうちの高い方の梅林の南東隅に擬木階段があって、それを登ると古い石灯籠のある削平地に出ます。
さらにその奥の石段を登ったところにあるのが、姫路城主 榊原政邦と夫婦の墓所。
▲姫路城主 榊原政邦と夫婦の墓所(左が榊原政邦、右が夫人のお墓)(撮影日:2019年2月2日)
▲榊原政邦のお墓
姫路城主 榊原政邦と夫婦の墓所
榊原家は江戸時代初期と中期の二度姫路城主となっている。榊原政邦は、宝永元年(1704)越後国村上城から移封され、二度目の榊原家姫路城主となった。政邦のあとは、政祐・政岑・政永と続く。
政邦は享保11年(1726)、52歳で亡くなるまでの22年間にわたり、特に民政に心を傾け善政を続けたといわれている。遺言によりここ増位山に葬られ、墓碑には故式部大輔、従四位下源朝臣と刻まれている。
政邦の夫人は享保14年(1729)江戸で亡くなったが、同じく遺言により政邦と並んで葬られている。
姫路市教育委員会姫路市文化財保護協会増位中学校区夢プラン実行委員会(出典:現地の看板)
これで一通り随願寺の境内を見て回ったことになると思います。
随願寺は行事が行われる時以外は静かな場所で、お寺や神社巡りの好きな方にはお勧めです。
梅林を見るのも、これからがちょうど良い季節ですね。
そうそう、白国増位山線沿いの山の斜面にも梅の木がたくさんあるので、随願寺への行き帰りでも梅を楽しめますよ。
姫路城十景「増位山(白国増位山線のポケットパーク)」へ車で行かた際は、随願寺を見た後、車で麓まで下りてから1つ西の山の上にある広峯神社(ひろみねじんじゃ)に行かれても良いでしょう。
広峯神社は、黒田官兵衛ゆかりの地です。
ポケットパークの先、山の上にある随願寺ですが、交通アクセスは悪いです。
公共交通機関は山の麓までしか来ていませんし、白国増位山線は自転車乗りの人たちがトレーニングのために走るような強烈な坂道なので、レンタサイクルで行くのも大変(押して上がっても、下りでスピードが出すぎて危険。高性能な自転車が必要。)。
ポケットパークだけを見る分には公共交通機関でも問題ないと思いますが(ポケットパークだけを見に来るのは時間の無駄遣いのような気がしますが)、随願寺を見に行かれる場合は、車(タクシー)をお勧めします。
健脚の方が随願寺に行かれる場合は、公共交通機関等で近くまで来たうえで、随願寺念仏堂(←クリックするとGoogleマップで位置が表示されます)から始まる古い参道(随願寺の南にある放生池まで続いている)を歩いて登っても良いかも。
ただし、古い参道からポケットパークへは直接行けません。
ポケットパークから北へ、距離にして500mほど車道を上ったところで古い参道と車道が交差するので、登るときに車道を歩き、ポケットパークを見た後にさらに車道を500m進んでそこから古い参道に入るか、下山時に古い参道から車道に入ってポケットパークに立ち寄るか、いずれかの方法をとる必要があります。
姫路城十景「姫路城十景「増位山(白国増位山線のポケットパーク)」」の評価(5点満点。私、しみけんの個人的見解です)
交通アクセス: 1(公共交通機関での利便性)
お城の見え方: 1(お城の美しさや大きさ)
お勧め度: 1
コメント: 単独の目的地にするには“弱い”です。姫路城を見るための場所としては評価できません。歴史のあるお寺や神社が山の上にあるので、それらを観光するついでに見るくらいで充分です。