播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

兵庫県神崎郡市川町の谷城跡と飯盛山城跡

年末から正月にかけて風邪が治らず、山歩きをしていませんでした。
また、この時期はお酒とごちそうにおぼれる日々でもあるため、身体はなまりきっています。
 
そんな身体でも歩けそうということで、兵庫県神崎郡市川町谷にある低山「古城山」に残る山城跡「谷城跡」に行ってきました。
 
谷城は、北にある鶴居集落の西、鶴居城山の頂上(433m標高点)にあった鶴居城の城主が兼有していた山城です。
 
史跡 谷城(永良城)
 谷城跡は、標高206mの古城山山頂にあり、東西20m・南北40mの本郭跡と、その北側に一段低く16m×18mの平坦地がある。これをとりまいて、いくつもの平坦地が段違いにあり、土塁や石垣も見られる。北と南の尾根筋や東西の急斜面には何本もの堀切があり、中世山城の複雑な縄張りが良く残されている。
 城は室町時代、赤松則村(円心)の孫、永良則綱が明徳年間(1390~94)に、永良庄を支配して居城としたのが最初とされる。その後赤松氏の北に対する守りの要地とされ、「残要の城」とも呼ばれたが、永禄のころ(1558~70)戦火により消失、廃城となった。
 城跡より北方の横倉山観音堂へは、尾根づたいに古道があり、遊歩道として整備されている。
谷区・市川町教育委員会
(出典:大歳神社前の看板)
ここは「谷しろやまの杜」として整備されており、市川町のWebサイトに「谷しろやまの杜ハイキングガイド」が掲載されています。
 
今回はこのハイキングガイドを頼りに歩くことにしました。
 
ついでに、谷城跡の北東約1.5kmにある飯盛山城跡も見物する計画です。
 
▲市川町の鶴居城主郭跡から見た谷城跡と飯盛山城跡(撮影日:2014年1月5日)
 
▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「寺前」「粟賀町」。
 
09:30
姫路市街の自宅を車で出発。
 
国道312号線を北上し、「市川町役場前」交差点を左折。
市川新橋で市川を渡り、道なりに進んでいくと「甘地駅前」交差点を過ぎて道は北に向きを変えます。この道は県道404号線。
 
「甘地駅前」交差点からおよそ1.6km進んだ所にある「千原」交差点を左折し、西へ430mほど走ったところにある信号のある交差点(名前はない)を右折。
 
交差点から180mほど北で、横断歩道のある三叉路を左に入って下さい。
この三叉路には「←谷城跡」の看板が立っているので、間違える心配はありません。
 
三叉路から約200m西へ進んだところにある大歳神社前の空きスペースに車を置きました。
以下のURLをクリックすると、姫路市街から大歳神社までのルートが表示されます。

https://yahoo.jp/NwLPJk
10:20
大歳神社前の駐車スペースに到着(地図中「P」)。
以下のURLをクリックすると、駐車場の位置がGoogleマップで表示されます。

https://goo.gl/maps/Kp6J9YauLpn
▲大歳神社前の様子
 
10:25
準備を整えて出発。
 
大歳神社の鳥居に向かって左側に谷城の歴史と縄張り図が載った看板が立っているので、出発前にしっかり見ておきましょう。
 
▲大歳神社に立つ谷城についての看板
 
鳥居をくぐって石段を登ったところにあるのは、立派な絵馬殿。
絵馬殿の奥に拝殿がありますが、賽銭箱や鈴は絵馬殿の入口に設置されています。
 
▲石段を上がる
 
▲絵馬殿
 
ここでお参りをした後、社殿の左奥にある防獣ゲート(扉の両面から操作できるレバーがついているので、開閉は容易)を開けていよいよ山の中へ。
 
道は簡易舗装されており、つづら折れでなだらか。
この簡易舗装の道は、尾根上の神社前で終わっていました。
 
▲ここから山に入る
 
▲簡易舗装された道を上る
 
▲土俵のある神社で簡易舗装の道は終わる
 
土俵の奥にある石段を登った先、神社の拝殿の左側に「谷城跡 290m」の道標が立っており、そこからつづら折れの山道(大手道跡)を登ることになります。
 
▲神社の左奥から始まる山道に入る
 
▲大手道とされるつづら折れの山道
 
標高170mほどまで登ってくると道は一直線になり、堀切跡が右側に見える場所もありました。
 
▲道の右側に見えた堀切跡
 
進んでいくと、間もなく道標が立つ平坦地に出ました。
そこから「谷城跡 30m」の道標に従い右へUターンするように向きを変えてさらに登ると、主郭(本丸)の南側にある郭跡に出ます。
 
10:45
その郭跡から、本来の城の通路を無視して切岸(敵の進攻を防ぐための急斜面)に無理矢理付けられた道を上ると、広い主郭跡に出ました(地図中「谷城跡」)。
 
ベンチと机があり、東と南に展望が開けています。
 
▲谷城の主郭跡は非常に広い
 
▲主郭とその南にある郭跡(削平地)(ドローンで撮影)
 
谷城跡
この山は中世の城だった!
 中世戦国時代(鎌倉時代や室町時代)の城は「山城」といって、山の頂上を削って平坦地をつくり、そこに建物を建てるものでした。
 この山では、「曲輪(くるわ)」と呼ばれる平坦地の他にも、敵兵の攻撃を防ぐための「堀切(ほりきり)」や「竪堀(たてぼり)」など、山城のなごりを残す地形的な特徴をみることができます。
 また、東側の平野から兵の動きがみえないように、歩道が尾根筋より少し西側に下がった位置についているのも山城のなごりです。
(出典:谷城主郭跡の看板)
主郭の北東には、北に一段下がった所にある二郭(二の丸)へ下りる坂道があり、そこから二郭に下りると、北端に土塁跡が残っています。
 
▲主郭から二郭へ下りる坂道(写真では高低差や遠近感が分かりづらい)
 
二郭北端の土塁跡からは、高い切岸の下に三郭を見下ろす事が出来ます。
二郭と三郭の間にある切岸は高いですが、二郭南西から北へ延びる坂道を通れば簡単に三郭へ下りられます。
 
▲二郭から見下ろした三郭(丸太階段の道が通っているところが三郭の虎口)
 
三郭の南西から丸太階段を下り、三郭の切岸を右に見ながら犬走りを北へ進むと、丸太の橋がありました。
この丸太の橋は、堀切を越えるためのもの。つまり、深い堀切が今も残っているのです。
ただ、植物が生い茂っているため、堀切の実際の形状は見られません。
 
▲堀切を渡るための丸太橋
 
丸太橋で堀切を越えた先には、土塁跡が2つ残っていました。
 
11:13
土塁の横を通過し、谷城の城域から出ました。
すると、左へ分岐する道があり、「井戸跡 120m」の道標が立っています。
 
せっかくなので、井戸跡を見に行くことに。
 
▲井戸跡へ続く道は手すりのある丸太階段道
 
11:17
井戸跡に到着(地図中「井戸跡」)。
石組みが僅かに残るだけで、言われなければ井戸跡とは分かりません。
 
▲井戸跡
 
井戸跡
地形特性を活かした巧みな知恵
 谷城の主郭の北部に位置するこの井戸跡は、谷城の築城と同時期に掘られたものと考えられますが、そのいわれなどの詳細はわかっていません。おそらく、この井戸だけでは城兵の飲み水やその他の用水を全てまかなうのは難しいと考えられますから、主にろう城という緊急時に備えて作られたもの思われます。
 ここで注目したいのは、井戸の掘られたこの場所の地形です。ここは谷の上端部にあたり渓流の最上流にあたる場所です。このような地形の場所では少量ながらも一年を通して比較的安定した水流を維持している場合が多く、その前面をふさいで井戸を掘るという考え方は現代の水文学的にもきわめて合理的な考え方なのです。
(後略)
(出典:現地の看板)
 
井戸跡を見終わったら先ほどの分岐に戻り、北へ進みます。
 
厚い落ち葉の層に覆われた斜面を登ると、そこは谷城の出丸跡(地図中「出丸」)。
二段ほど削平地があります。
 
出丸から北へ下った鞍部で、道は左右二手に分かれました。
左は尾根の西側斜面に、等高線と平行に付けられた道。城があった頃に使われていた古道で、道標によると「横倉山観音堂 760m」となっています。
 
右は尾根の中心を通る、最近付けられた道。道標では「健康増進具 80m・横倉山観音堂 770m」となっています。
 
「健康増進具とはなんぞや?」と気になったので、尾根の中心に付けられた方の道を進んでみました。
 
11:30
「健康増進具」が設置された小ピークに到着(地図中「健康増進具」)。
それは「ストレッチジャンパー」と名付けられた丸太でした。
 
▲健康増進具「ストレッチジャンパー」
 
11:33
この小ピークから北へ下った鞍部にも、健康増進具「腕立て台」がありました。
ここは、道が3方向に分かれています(地図中「四季の森交差点」)。
 
▲四季の森交差点から北へ延びる3本の道(私は右端の丸太階段道を選んだ)
 
左は「ふれあいの道」と呼ばれるルートで、山の西側の麓を通る車道へつながっています。
中央は小ピークの左を迂回して北へ進むルート。
右は展望やぐらを経由し、その先で中央の道と合流するルート。
 
私は高いところから見る景色が大好きなので、「展望台 50m」の道標につられて丸太階段の道を選びました。
 
11:36
展望やぐらに到着(地図中「展望やぐら」)。
が、展望台に上っても樹間からかすかに東の町並みが見える程度でした。
 
木々が葉っぱを落としている今の時期でこの景色なので、葉っぱのある時期はおそらく何も見えないでしょう。
 
▲展望やぐら
 
展望台から少し北に下ったところにある休憩用のベンチの方が、東側の展望を楽しめました。
 
この休憩用のベンチのある場所で、「四季の森交差点」の中央の道と合流します。
 
ここから先の道は、東の街道から人や物の動きを見えないようにするために、尾根の中心から西にずれた斜面に付けられた古道。
谷城があった当時は、北の鶴居城(城主は谷城も兼有)との連絡にも使われていたかも知れません。
 
▲東の街道から見えないように付けられた道
 
11:48
瓦片が落ちている小規模な削平地を通過すると、三叉路に出会いました(地図中「峠地蔵方面分岐」)。
北へ進むとお地蔵さんのある峠、南へ下ると横倉山観音堂です。
 
ここは南へ。
 
▲峠地蔵方面分岐に立つ道標
 
11:50
横倉山観音堂に到着(地図中「横倉山観音堂」)。
 
▲横倉山観音堂
 
横倉山御開山縁起
当山は法道仙人が御開基になったもので御本尊の千手観音は今から千三百年前の名僧とあがめられた行基菩薩の御作で御丈三尺五寸であります。
その昔スガ谷に七堂伽藍が備り近郷近在にない霊地で横倉山延命寺と唱えていました。処が今から約四百年前の天正年間に兵火に会い無残にも一夜の内にことごとく焼け落ちてしまいました。
その際この観世音菩薩は横倉山の峯にある岩屋の中に飛び入り火をおさけになりましたが当時の人々は誰一人としてこの事を知りませんでした。
それから八拾年の歳月が流れて正保の頃になると不思議な事が起こりました。と申しますのは毎月拾七日の夜になると決まって此の峯に光を放つ物がありました。村の人々は怪しみ恐れ戦きとうとう大勢の人々が連れ立って尋ね登りますと此の岩屋の内に端然と鎮座ましますこの御本尊を拝し奉ったのであります。人々は只ひたすらに尊び敬い勿体なさに遂に此処に一堂を建立しお祀りいたしましたのがその由来でございます。誠に尊いあらたかな仏様でございます。
合掌
(出典:現地の看板)
ここは本堂の下に男女別になったきれいな(男子の方しか見ていませんが)お手洗いがあります。
 
横倉山観音堂からは、舗装された一車線幅の道路を下ります。
道沿いの山の斜面には数多くの祠(中に石仏が祀られている)があるので、舗装はされていますが、昔からあった道だと分かります。
 
▲山の斜面に無数の祠が並ぶ車道を下った
 
11:59
池大師堂前を通過(地図中「池大師堂」)。
小さなお堂ですが、中には湧き水(?)がちょろちょろと流れていました。
 
▲池大師堂
 
池大師堂のすぐ先で、左から山道が合流する場所がありました。
これは、四季の森交差点で見た左端の道だと思います。
 
12:05
集落に出る手前で、防獣ゲートに出会いました(地図中「ゲート」)。
これを開けて集落内を通過し大歳神社に戻るのか、あるいはゲートを出ず、地形図の破線道を信じて直進すべきか悩みましたが、とりあえず破線道を進んでみることに。
 
が、私有地臭がぷんぷんする削平地がいくつかあるだけで、破線道らしきものは見当たらず(地図中「×」)。
 
結局ゲートまで戻り、かんぬきでガッチリ固定されているゲートを開けて集落へ出ました。
 
▲集落に出るために通過する防獣ゲート
 
ゲートを出たら、集落内をひたすら南へ進みます。
川が流れていますが、それは渡らず、左岸側を歩いて下さい。
 
12:15
地蔵堂前を通過(地図中「地蔵堂(四ツ堂)」)。
ここには、お城での戦いで命を落とした侍を弔うためのものと考えられている五輪塔や宝篋印塔が祀られています。
 
なぜ四ツ堂と呼ばれているのかは、分かりません。
 
▲地蔵堂(四ツ堂)
 
寺ノ下橋のすぐ先、公民館(地図中「公民館」)のある三叉路を左に入れば、間もなく大歳神社です。
 
12:23
大歳神社前に戻ってきました。
続いて、飯盛山城跡を見に行きます。
 
事前にGoogleマップのストリートビューで飯盛山城跡の登山口の位置は掴んでいましたが、安心して車を置ける場所は周辺になさそう。
 
飯盛山からの展望が良いことは事前に調べて分かっていたので、飯盛山で昼食を食べる予定にしていました。
私の場合、昼食休憩は1時間以上かかるので、車を変なところに駐めておくと問題が起こる可能性があります。
 
というわけで、大歳神社から飯盛山登山口へは、車に積んできた自転車で移動することにしました。
 
自転車に乗って東へ。
南北方向の道路に突き当たったら左折し、民家が散在するのどかな田園の中を北へ進みます。
 
東西方向の道路に突き当たったら右折し、「前田」踏切(地図中「前田踏切」)で播但線を越えたら、「ふれあい市川大橋」で市川を渡ります。
 
「屋形南」交差点を直進すると道は登り坂になり、山の形に沿って右へ大きく曲がります。
 
すぐ右手に山へ入る道に出会いますが、これは飯盛山城跡への道ではありません。(ただ、Googleマップの空中写真を見るとあずまやのような建物の屋根が見えるので、後で見に行くことにしました。)
 
道の左側に並ぶ「タカタ」と書かれた金属板の塀を見ながら緩やかな坂を登って行くと、間もなく右側に登山口の看板と階段が目に入ります。
 
これは山の上にある稲荷神社への参道ですが、同時に飯盛山城跡への登山口にもなっています。
以下のURLをクリックすると、飯盛山登山口の位置がGoogleマップで表示されます。

https://goo.gl/maps/LbWpJueXgT72
12:38
自転車を登山口に置いて出発(地図中「飯盛山登山口」)。
 
▲飯盛山城跡への登山口
 
ここも、谷城跡と同様に往時の登城道をそのまま利用しているのかな。
 
▲登山道(参道)の様子
 
12:44
稲荷神社前を通過(地図中「稲荷神社」)。
削平地の中にある小さなお社です。
 
この削平地は、飯盛山城と関係があるのかな。
 
▲山の中にある稲荷神社
 
稲荷神社までは楽に歩けるつづら折れの道でしたが、ここからは急斜面に付けられた階段道になります。
 
▲稲荷神社から先は急斜面
 
稜線に出ると、南側斜面の削平地にコンクリートで作られた建物が見えましたが、正体は分かりません。
 
山頂直下で再び道はつづら折れに戻り、巨石の間を抜けると飯盛山城跡に出ます。
つまり、巨石は虎口の役割を果たしているわけです。
 
▲巨石でできた虎口
 
12:52
飯盛山城跡に到着(地図中「飯盛山城跡」)。
 
飯盛山は、正月になると山頂に日の丸が掲揚されます。
それを見た鶴居集落の方が、負けじと鶴居城山の山頂に同じく日の丸を飾るようになったそうです。
 
これは2014年の1月に、鶴居城山の山頂で日の丸を片付けに来られていた方ご本人から伺ったお話。
(参考:2014年1月5日に歩いた鶴居城山の山行記録 (https://dfm92431.hatenablog.jp/entry/2014/01/05/194853
 
▲ドローンで撮影した飯盛山城跡(中央の巨石の間が虎口で、それ以外にこの削平地に入るルートはない)
飯盛山城跡で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2019年1月6日)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/iimoriyamajo20190106/virtualtour.html
飯盛山城については、「都道府県別 日本の中世城館調査報告書集成 第15巻」で「153 屋形城(神埼郡市川町屋形)」として紹介されています。
 
屋形城
【城史】 『赤松家播備作城記』に「飯盛山城は赤松兵部少輔晴政初め居城したが、後置塩山城に移った。高橋備後守居城のとき天正6年(1578)落城した」とある。

出典:都道府県別 日本の中世城館調査報告書集成 第15巻 P221 
   兵庫県教育委員会・和歌山県教育委員会編 2003年4月30日発行 ISBN4-88721-446-4
西側に180度の大展望が広がる中でいただく本日の昼食は、白ご飯とぶり大根。
お正月なので、縁起物のブリを食べることにしました。
 
▲本日の昼食(白ご飯とぶり大根)
 
ぶり大根は、最後に汁を飲み干そうとしてレトルトパウチの縁に口を付けたのですが、意図せずパウチが変形し、汁を口元から襟元にかけてこぼしてしまいました。
 
軽く汁を拭いてその後ものんびりと飯盛山城跡で過ごしていたのですが、時々ぶり大根の香りが漂ってきます。
どうやら、風が止むと臭いが襟元から鼻の方へ上がってくるようです。
 
時々ぶり大根の臭いを嗅ぎながら、素晴らしい景色を思う存分堪能しました。
 
▲飯盛山城跡から見た谷城跡
 
▲飯盛山城跡から見た鶴居城跡
 
14:07
下山開始。
往路をそのまま引き返し、飯盛山登山口へ戻ります。
 
14:15
飯盛山登山口に戻ってきました。
 
ここから少し西へ進み、Googleマップで見えたあずまやのような建物の正体を調べに行きます。
車が通れそうな幅の道が山の中へ続いているので、そこへ入ってみました。
 
▲山の中へ続く道
 
道の先にあったのは、神社の跡地を利用した公園のような広場(地図中「公園(神社跡)」。
このあずまやは、平成21年に建てられたもののようです。
 
ただ、公園の名前やここにあった神社が何なのかといった情報は皆無。
飯盛山城と関係があるわけでもなさそう。
 
▲神社跡地に立つあずまや
 
Googleマップの航空写真で見えたあずまやのような建物は、まさしくあずまやだったということがわかっただけで、それ以外は何も分からないまま大歳神社へ引き返しました。
 
14:35
大歳神社前に戻ってきました。
自転車を車に積み込み、自宅へ向けて出発。
 
ここで問題が発生しました。
車の中は空気がほとんど流れていないのか、ぶり大根の香りが常に漂ってきます。
まるで、ぶり大根の香りが充満した車を運転しているような状態。
嫌な臭いではないのですが、ずっと嗅いでいたいような臭いでもないのでキツイ。
 
15:20
自宅に到着。