播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。原則として更新は週に1回です。広告は表示しません!

中世播磨250の山城 メジャー測量から見た歴史観

山歩きをしている内に山城跡に興味がわくようになりましたが、そうすると目に付くようになったのが山城の想像復元図です。

私が山歩きをしている地域の山城の想像復元図は、どこのお城も同じ作風で、描いた方の名前も同一。
中世城郭研究家である木内内則(きうちただのり)氏です。

その木内氏が描いた復元図や山城跡の縄張り図などの展示会が開かれていると神戸新聞の記事で知ったので、最終日である本日、見に行ってきました。


▲松風ギャラリー入口に貼られていたポスター

イベント名称: 中世播磨250の山城 メジャー測量から見た歴史観
開催期間: 平成30年12月5日(水)~12月16日(日) 午前9時~午後5時
場所: 加古川市立松風ギャラリー (←クリックするとGoogleマップで位置が表示されます)
観覧料: 無料
主催: 加古川市立松風ギャラリー指定管理者 加古川市美術協会

車で行こうかと思いましたが、JR加古川駅から会場まで2kmもありませんし、ついでに見たいものもあったので、JRで加古川駅まで行き、その後は会場まで歩いて行くことにしました。

私の自宅の最寄り駅であるJR姫路駅から新快速に乗り、JR加古川駅で下車。
加古川駅の南に出たら、JRの高架沿いに東へ進みます。

信号のある交差点を2つ越えたところ(加古川駅から800mほど)に、右(南)へ分岐する道路があるのですが、それが私の見たかったもの。
旧国鉄高砂線の廃線跡です。


▲ここを右に曲がると、廃線跡の道路に入る

その後は道沿いに南下していけば、1kmほどで松風ギャラリーに到着します。


▲ゆるやかな曲線に線路跡らしさが残る(こんなカーブはどこにでもありますけどね)

「モニュメントもなにも無いなぁ」と思いながら歩いていたら、目的地である松風ギャラリーの目の前にありました。
それは野口駅跡。


▲旧国鉄高砂線 野口駅跡


▲野口駅跡の看板


▲野口駅跡のモニュメント(台車)

高砂線野口駅の歴史
大正2年12月1日 播州鉄道加古川町~高砂口間開通時に開業
大正10年9月3日 別府軽便鉄道野口駅開業
昭和18年6月1日 播丹鉄道会社線全線鉄道省に買収され高砂線となる
昭和59年11月30日 日本国有鉄道高砂線廃止
昭和63年4月2日 特定地方交通線代替バス輸送転換開始
(出典:現地の看板)

廃線跡歩きを楽しんだら、いよいよ本来の目的である「中世播磨250の山城 メジャー測量から見た歴史観」の見学です。


▲松風ギャラリー

展示室は写真撮影が禁止されていたため、館内の様子は紹介できません。

展示室には、姫路市香寺町の恒屋城跡を整備されている方々がいらっしゃいました。
まったくの偶然です。

木内内則氏から詳しく城跡の説明を聞いておられたので、私も隣にくっついて木内氏のお話を聞かせていただきました。

藪と化した山城跡にメジャーを持って分け入り、測量図面を描いている方なので、さぞかし寡黙でとっつきにくい方だろうと思っていましたが、まったく逆で明朗快活。

興味深かったのは、播州地域の山城は山岳寺院を利用したものが多かったという、木内氏独自の見解。

例えば、姫路市夢前町に残る赤松氏の巨大山城跡「置塩城跡」。
木内氏の説によると、置塩城は書写山円教寺の鬼門にあたる方角にあるため、元々は鬼門封じのお寺だったが、それが山城に改修されたのであろうとのことです。

確かに、置塩城跡に残る曲輪は巨大ですから、そもそもお城ではなく寺院があったと考える方が自然なのかも知れません。

置塩城主郭跡の東隣にある南条山城跡なんて、山岳寺院跡の雰囲気が色濃く残っていますから、あの一体が山岳寺院だったという可能性もあるのでしょう。

恒屋城跡も二の郭が極端に大きく、麓に寺院があることから、もとはそのお寺が山の上にあったのではないかと木内氏はおっしゃっていました。
(恒屋城には、三の郭を通らず二の郭へ直接行ける緩やかな道も残っていますが、寺院があった頃の参道だったと考えることもできます。)

木内氏ご本人から直接お話を聞くことができ、展示されていた絵や縄張り図などを収録した図録も購入できたし、大満足の一日でした。


▲会場で販売されていた図録(¥2,000)


▲図録の中身