播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

兵庫県神崎郡福崎町の春日山(飯盛山)

ようやく涼しくなってきたので、久しぶりに山歩きを再開することにしました。
 
今日は陸上自衛隊姫路駐屯地の記念行事の日でもあるのですが、期待していた16式機動戦闘車は来そうにないので、今年は記念行事へ行く代わりに山歩きをすることに。
 
永らく山歩きをサボっていたので、リハビリとして超低山を歩くことにします。
今回の行き先は、兵庫県神崎郡福崎町の春日山(飯盛山)。
 
ルートは、福崎町観光協会が作成した「春日山登山マップ」によるもの。
 
Googleマップや地形図では「飯盛山」となっていますが、観光協会が作成したマップや現地の道標では「春日山」と表記されているため、この記事では「春日山」の名前を使うことにします
 
▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「北条」。
 
この山の山頂には、かつて後藤氏が居城した春日山城(かすがやまじょう)がありました。
この後藤氏は、黒田官兵衛の家臣で有名な後藤又兵衛の家系です。
 
春日山城(かすがやまじょう)
所在地 兵庫県神崎郡福崎町八千種(やちくさ)(鍛冶屋区)
城 史  春日山城は、建武年間(1334~1336)の築城とされ、後藤基明が初代城主と伝えます。後藤氏は、播磨の守護赤松氏の幕下といわれ、応仁の乱には、赤松政則の部下として出陣し、山名氏の軍勢を破って軍功をたてたとされます。
 天正の頃の城主は後藤基信(もとのぶ)とされ、天正6年(1578)、春日山城は羽柴秀吉の播磨攻略のときに落城し、基信は自刃したと伝えます。
城 跡  城跡のある春日山は標高198m。山頂には、曲輪(城郭内で建物が置かれたり、兵が駐屯したりする平坦地)などの城郭遺構が残っています。
(出典:西邦寺横の看板)
10:10
姫路市街の自宅を車で出発。
 
国道312号線を北上し、「生野橋西」交差点を右折します。ここからは県道218号線。
 
県道218号線の生野橋で市川を渡って北へ進み、播但道をくぐったすぐ先の「御蔭」交差点を直進。
やがて道は県道117号線になりますが、「西山田西」交差点からは県道81号線に変わります。
 
「西山田西」交差点のすぐ先にある「西山田」交差点を左折し、「西山田」交差点からおよそ1.7km北にある三叉路(「八千種自然活用村」への標識が道の左に、「春日ふれあい会館」への道標が右に立っている)を右折します。
 
尾根の先端に沿って緩やかに弧を描く道を東へ進むと、間もなく道は北寄りに向きを変えます。
そして、広いグラウンドを右手に見上げながら緩やかな坂を上り、グラウンド横を通り過ぎた直後で、右手に春日ふれあい会館が見えます。
 
その会館の道を挟んだ向かい側が駐車場です。
 
10:45
春日ふれあい会館前の駐車場に到着(地図中「P」)。
 
春日ふれあい会館の入口前には飲料の自動販売機があるので、ここでスポーツドリンクを購入しました。
以下のURLをクリックすると、駐車場の位置がGoogleマップで表示されます。

https://goo.gl/maps/BnkXA9fJF8F2

以下のURLをクリックすると、姫路市街から駐車場までのルートが表示されます。

https://yahoo.jp/LoCjsN
▲駐車場の様子(右奥が春日ふれあい会館)
 
10:53
準備が整ったので出発。
 
まずは駐車場の150m北の西邦寺(地図中「西邦寺」)を目指します。
道が大きく左に曲がる場所に「春日山城由来」の看板が立っており、その看板の裏に登山口があります。
 
▲西邦寺(右に写っている看板の裏に登山口)
 
▲西邦寺にある登山口
 
登山口から稜線までは擬木階段の道が続きます。
 
▲擬木階段の道
 
10:59
擬木階段の道を上ること数分で稜線に出ました(地図中「春日山山頂まで0.3km地点」)。
ここには道標が立っており、南を指して「春日山山頂 0.3km」となっています。
 
▲稜線に立っている道標
 
道標に従って南へ進みますが、等高線間隔が広い区間は擬木階段のない普通の山道で歩きやすい。
 
▲斜度が緩やかな区間の様子
 
しかし、なだらかな区間はすぐに終わり、急斜面をつづら折れに登るようになります。
このつづら折れの道にも階段が付けられていますが、今までのような擬木ではなく地中ケーブル防護管が使われていました。
 
▲斜度が急な区間の階段
 
11:08
山頂に到着。
 
金属製のベンチが2つと樹脂製の大きなベンチが1つ置かれており、大きな木の下には三等三角点標石(点名:北飯盛)が埋設されています。
 
ここにも春日山城について書かれた看板が立っていました。
 
春日山城跡(かすがやまじょうあと)
春日山城は、建武年間に築城され、播磨の守護赤松氏の幕下であった後藤三郎左衛門尉基明(ごとうさぶろうざえもんのじょうもとあき)が初代城主として、現在の福崎町全域と姫路市、加西市の一部を統治していました。
応仁の乱には、赤松政則の部下として出陣し、山名の軍勢を破って軍功を立てました。
天正6年(1578年)9代目後藤伊勢守基信(ごとういせのかみもとのぶ)の時に、中国征伐に向かう羽柴秀吉によって城は攻め落とされました。
落城してから長い年月を経た今日、城跡が残るのみです。
近畿自然歩道 環境庁・兵庫県
(出典:山頂の看板)
▲山頂の様子
 
山頂の中央付近には茂みがあり、そばには「食料貯蔵庫」と書かれた標柱が立っています。
よく見ると、その茂みは大きな窪地でした。
 
昔は地中に大きな甕を埋めておき、その中に食料を貯蔵していたため、このような窪地が出来たのでしょう。
 
▲食料貯蔵庫跡(写真では分かりづらいですが、大きな凹みになっています)
 
昼食には早いので、全天球パノラマ撮影やドローン操縦でしばし時間つぶし。
 
山頂には大きなベンチがあるので、快適に食事を楽しめます。
 
▲山頂にある大きなベンチ
 
▲ドローンで撮影した山頂全景(左奥に明神山、中央奥は七種山塊)
 
本日撮影した全天球パノラマ(地上で撮影したものとドローンで空撮したもの)は、以下のリンクからご覧いただけます。
春日山山頂で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2018年10月21日)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/kasugayama20181021/virtualtour.html

 ※パノラマ画面左上のリストで「春日山山頂」を選択すると、地上で撮影したパノラマ、「春日山山頂(空撮)」を選択すると、ドローンで撮影した空撮パノラマが表示されます。
ドローンを飛ばすのは久しぶりだったので、バッテリー2本分たっぷりと遊び、それから昼食を楽しみました。
 
本日の昼食は、モンベルのコーンリゾッタ。
そして食後のデザートは、コーヒーとどら焼き。
 
▲本日の昼食
 
▲本日のデザート
 
昼食後は双眼鏡で景色を楽しんだり(城跡だけあって、周囲の山城跡が良く見える)、適度に涼しい山頂で景色を眺めながらぼんやりと贅沢な時間を堪能。
 
気がついたら、1時間40分も山頂で過ごしていました。
 
▲山頂から見た姫路市街
 
▲山頂から見た明神山
 
▲山頂から見た七種山塊
 
▲山頂から見た恒屋城跡(矢印の先に幟の立つ削平地とお堂が見える)
 
▲山頂から見た鶴居城跡(矢印の先が主郭跡)
 
▲山頂から見た笠形山(中央最奥)
 
▲山頂から見た善防山城跡
 
12:48
下山開始。
福崎町観光協会が作成した春日山登山マップの通り、南へ下山することにします。
 
今回下山に使用するルートの入口は、「春日山キャンプ場」と書かれた道標が目印。
 
▲この道標の立つ場所から南へ下った
 
山頂から標高150mくらいまでは、擬木階段の道が延々と続きます。
その先の斜度が緩やかな区間は、広々とした道。
 
▲なだらかな区間の道の様子
 
広いなだらかな道を歩いていると、丁字路に突き当たりました。
 
道標によると、左に進めばキャンプ場ですが、右の行き先表示は何もありません。
が、今回の下山ルートは「右」。右へ下ると、春日グランドを経て春日ふれあい会館に戻れます。
 
どちらに進んでも下山は出来るのですが、あくまでも「春日山登山マップ」に従ってここは右へ。
(キャンプ場方面へわずかに下ったところに堀切跡のような地形があるので、城跡好きな方はそれを見てから下山しても良いと思います。)
 
西邦寺からの登山道の擬木階段よりずっと古そうな擬木階段の道を下っていくと、やがて竹林の中へ入ります。
 
▲竹林の中を通過
 
竹林の中を通る区間はわずかで、すぐに道は左に折れ曲がり、春日グランドが見えてきます(地図中「春日グランド」)。
 
▲春日グランドの横に降りてきた。
 
グラウンドを左手に見ながら北へ進んでいけば、間もなく駐車地点です。
 
13:03
駐車場に到着。
 
山城跡ではありますが、山頂の一部以外は激しい藪に埋もれており、城跡らしい地形を見ることはほとんどできません。
 
山城好きの方にとっては物足りない山かも知れませんが、駐車場はあるし、手軽に登れて(今回の私の場合で片道15分)山頂からの展望が素晴らしい、良い山だと思います。