播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

姫路城十景(7):「景福寺公園」

はじめに(このカテゴリー内の全記事共通)

私が住む姫路市には、世界に誇る文化遺産、姫路城が聳えています。
 
その姫路城の美しい姿を眺めるのにふさわしい場所で、「誰でも自由に行ける」「お城を取り巻く方向にある」という条件を満たす場所を1994年に姫路市が公募し、1995年1月号の「広報ひめじ」で「世界遺産姫路城十景」が発表されました。
 
ブログに載せるネタが少ない時期の「埋め草(うめくさ:とりあえず余白を埋めるためのネタ)」として、この世界遺産姫路城十景を全10回のシリーズ(不定期)で紹介していくことにします。
 
前述の「広報ひめじ」では、世界遺産姫路城十景(以下「姫路城十景」)には番号が振られていないのですが、それぞれの場所に立つ看板では、姫路城十景が番号とともに記載されているので、その番号順に紹介することにしましょう。
 
姫路城十景
 (1)大手前通り(JR姫路駅前)
 (2)三の丸広場
 (3)城見台公園
 (4)美術館(前庭)
 (5)シロトピア記念公園(ふるさとの森)
 (6)男山配水池公園(山頂)
 (7)景福寺公園
 (8)名古山霊苑高台
 (9)手柄山(緑の相談所広場)
 (10)増位山(白国増位山線のポケットパーク)

(出典:姫路城十景の各地点に設置されている看板)

姫路城十景「景福寺公園」の概要

景福寺は、「けいふくじ」と読みます。
 
この場所は、何十年も前の話ですが、ホテル・ロンドンというラブホテルが建っていた場所です。
そのホテルの廃業後、誰もいないはずの建物で何故か火災が起こり、その後永らく廃墟が残っていました。
 
燃えたのは廃業後のはずですが、火事で焼け死んだ人の霊が出るという根も葉もない噂が私達小学生の間に広まっていたのを覚えています。
 
そういった不気味なイメージが定着していたため、一部の廃墟マニアやホームレスを除いて誰も近づこうとしなかった場所でしたが、今ではホテル・ロンドンは跡形もなく、公園になっています。
 
景福寺公園
景福寺公園は、平成6年3月31日に都市公園として一部供用を開始し歴史的にも由緒ある景福寺山にあります。景福寺山は播磨風土記の十四の丘の一つである「船丘」がこの山であると推定されています。その後西岸寺山・孝顕寺山・嵐山・郡鷺山などと呼ばれてきましたが、山下の寺が景福寺となってから今のように呼ぶようになりました。
(出典:景福寺公園にある姫路城十景のプレート。ただし、現場のプレートは破損していて文章が読めないため、Webで検索して見つけた文章を載せています。)
 
▲景福寺公園の展望広場にある姫路城十景のプレート(下のリンクのGoogleマップで表示されるポインターの位置にあります)(撮影日:2016/08/12)
 
この公園のある景福寺山は、山全体が墓地と言ってもいいほどで、新しい物から古い物(何百年も前のもの)まで、様々なお墓があります。
 
すっかり荒れ果ててはいますが、山頂には1741~1748まで姫路城主を務めた松平明矩(あきのり)のお墓もあります。
 
2011年に撮影したパノラマがあるので、掲載しておきます。
五輪塔が後ろにあるのですが、撮影した場所が悪かったので写っていません。
 
このときは墓所へのルートが分からず、藪をこいでたどり着きました。
景福寺山の山頂にある松平明矩の墓所で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2011/05/01)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/grave_of_matsudaira_akinori/virtualtour.html

姫路城十景「景福寺公園」の位置

姫路城の大天守から見ると直線距離で西へ約700mほど、標高50mほどの小さな山(景福寺山)の中腹、東側の公園からお城を眺めることが出来ます。
 
お城を眺められる展望広場へは、2通りの行き方があります。
 
(1)公園の入口から簡易舗装の急な坂道(車が通れるほどの幅はあるが、車止めがあって車両は入れない)を西へ登り切り、そこからUターン気味に折り返してお花見広場を突っ切る
 
(2)坂道の途中から丸太階段の道を上って直接展望広場へ行く
 
▲景福寺公園の入口(撮影日:2016/04/02)中央の建物の向こうで右に曲がると、公園への道に入る。
 
▲展望広場へ続く簡易舗装の道(撮影日:2016/08/12)
 
▲展望広場(撮影日:2016/08/12)
 
▲展望広場への最短ルートである丸太階段(撮影日:2016/08/12)
 
▲丸太階段を使わない場合に通り抜けることになるお花見広場(撮影日:2016/04/02)
 
駅からはかなり距離があり、後述のループバスの「清水橋・文学館前」バス停から600m以上、最寄りの「好古園前」バス停からでも公園の入口まで400m以上歩く必要があります。
 
以下のURLをクリックすると、Googleマップで景福寺公園の展望広場(姫路城十景のプレートがある)の位置が表示されます。
 
 
ループバスのバス停からは離れていますが、普通の路線バスのバス停(市之橋文学館前)は、公園のすぐ下にあります。

姫路城十景「景福寺公園」から見た姫路城

▲景福寺公園の展望広場から姫路城を見る(撮影日:2016/04/02)
 
▲景福寺公園から見た姫路城(撮影日:2016/04/02)
 
幕末に起こった戊辰戦争の際は、幕府側についていた姫路藩に開城を要求するため、岡山藩がこの景福寺山から姫路城に向けて大砲を放ったと言われています。

姫路城十景「景福寺公園」周辺の見所

山頂にある松平明矩のお墓も、好きな人にとっては見所にはなると思うのですが、(今はどうなっているか分かりませんが)当時は道がはっきりしておらず、私は適当に藪の中をウロウロして探しましたので、よほど山歩きが好きな人でないとお勧めできません。
 
さらに言うと、フェンスがあって公園から景福寺山に直接入るのは難しい状態です。
 
レンタサイクルで来られた方であれば、景福寺山の南麓にある景福寺を見に行かれてはいかがでしょうか。
 
以下のURLをクリックすると、Googleマップで景福寺の位置が表示されます。
 
 
▲景福寺の入口(撮影日:2016/08/12)
 
▲景福寺山門(撮影日:2016/08/12)
 
▲景福寺本堂(撮影日:2016/08/12)
 
景福寺
 摂津多田庄六瀬(現猪名川町杉生)に総持寺五世通幻寂霊を開山として応安2年(1369)創建。山号瑞松(ずいしょう)山、曹洞宗。
 天正年間、十一世大桂宗易が播磨阿閇庄古向(現播磨町の福勝寺)に移転、さらに慶長5年(1600)池田輝政家臣荒尾隆重の懇請により姫路城下坂田町に景福寺を建立、池田市の転封により岡山・鳥取にも景福寺が建立され六瀬・姫路とともに世に四景福という。元禄9年(1696)曹洞宗中本山。
 寛延2年(1749)結城松平朝矩が前橋転封とともに当地にあった孝顕寺も前橋に移転。かわって酒井忠恭が前橋から姫路に入封。宝暦4年(1754)坂田町にあった曹洞宗景福寺を当地に移転して国許の菩提寺とした。姫路藩酒井家五代忠学正室喜代姫をはじめとする墓石等がある。(酒井家歴代藩主の墓石は前橋龍海院)
 また山門金剛力士像一対は鎌倉期の寄木造・彫眼、庫裏の阿弥陀如来立像及び両脇侍菩薩立像は鎌倉期の銅造・彫眼、座禅堂の聖観音立像は鎌倉中期の檜の割矧造・玉眼、本堂内に貞享2年(1685)模造朝鮮鐘、本堂北に藩主墓参控所などがある。現本堂は姫路城大手門などの設計を行い近代和風建築者として著名な藤原義一氏が昭和37年に設計したもの。
 慶応4年(1868)戊辰戦争により備前藩は当寺に陣をおき景福寺山上より城に大小砲を放ち姫路城は開城となった。明治11年(1878)境内に姫路中学校(現県立姫路西高等学校)が開校、第一次世界大戦時には建物の一部が陸軍省の俘虜収容所に借上となったこともある。背後の景福寺山には結城松平明矩墓所や幕末姫路城開城にあたった亀山雲平墓石をはじめとする墓石群があり、景福寺山史跡保存会が調査・整備を行った。
 平成28年3月
  姫路市教育委員会
  姫路市文化財保護協会
(出典:現地の案内板)
第一次大戦中、景福寺に収容されていた俘虜(捕虜)の数は、「陸軍省受領 欧受第1965号 大正3年12月10日 十経管甲第85号」と題された文書によると、以下の通りです。
 
景福寺

 収容人員: 下士官以下 150名
 使用畳数: 300
 借家料月額: 90円
(出典:陸軍省受領 欧受第1965号 大正3年12月10日 十経管甲第85号)

▲姫路藩主酒井家墓所(幼稚園の敷地内にあり、立入禁止のため幼稚園のゲート外側から撮影。奥が東。手前端の五輪塔と手前端の円頂方形型墓碑は写っていません。)(撮影日:2016/08/12)
 
姫路藩主酒井家墓所
五輪塔型三基は東から
 姫路藩酒井家五代忠学(ただのり)正室の喜代姫(将軍家斉二十五女、文政元年(1818)7月8日生、明治元年(1868)12月24日没)
 六代忠宝(ただとみ)正室の喜曾姫(喜代姫女、天保5年(1834)3月2日生、明治3年(1870)4月9日没)
 八代忠績(ただしげ)の正室婉姫(信州飯山藩主本多助賢(すけとし)女、文政9年(1826)生、慶応3年(1867)7月8日没)
円頂方形型六基は東から
 初代忠恭(ただずみ)十男の駉之助(まきのすけ)(宝暦6年(1756)12月2日生、同11年5月6日没)、
 忠恭六女の与曾(寛延3年(1750)11月15日生、同年12月5日没)、
 五代忠学二女で忠宝の養女の鎚(天保元年(1830)7月9日生、同3年11月8日没)
 忠学三女で忠宝の養女の紓(天保2年(1831)8月15日生、同年11月27日没)、
 八代忠績長女の鋋(文久2年(1862)9月27日生、同3年6月27日没)
 忠恭九女(宝暦4年(1754)5月23日生、同月25日没)
  平成23年3月 姫路市教育委員会
(出典:現地の案内板)
上の酒井家墓所のある幼稚園には、タコの山と呼ばれるちょっと変わったタイプの滑り台があります。
私はここの園児だったので、このタコの山を見ると懐かしくなります。色が塗り直されている点以外は、当時と全く変わっていません。
 
▲タコの山(撮影日:2016/08/12)
 
景福寺の近くには、城下町で稀に見られるノコギリの刃状に家が建ち並ぶ地割りが見られます。
Googleマップでもその形が描かれているほど。
 
このような特殊な地割りになっている理由は諸説ありますが、正確には分かっていないようです。
 
▲ノコギリの刃のように両端がギザギザになっている道(撮影日:2016/08/12)
 
以下のURLをクリックすると、Googleマップでノコギリの刃状に家が並ぶ場所が表示されます。
 
 
レンタサイクルを使っていたり、歩くのが苦にならないという方は、景福寺から南南西に直線距離で約400mの位置にある船場本徳寺に行かれても良いでしょう。
 
地元住民に「御坊さん」と呼ばれて親しまれているお寺です。
 
以下のURLをクリックすると、Googleマップで船場本徳寺の表門の位置が表示されます。
 
 
▲船場本徳寺の本堂(撮影日:2016/08/28)
 
 船場本徳寺(地内町)真宗大谷派姫路船場別院本徳寺。本徳寺は、明応年間(1492~1501)に本願寺中興の祖である蓮如上人が英賀に道場を開いたことを開基とする。その後、播磨の浄土真宗布教の拠点となり、永正9年(1512)に本願寺留守職(門首)実如(蓮如の孫)の子実円が入寺し本格的な伽藍を建立した。天正10年(1582)、羽柴秀吉の命で亀山(現在の亀山本徳寺の地)に移築された。その後、本願寺の東西分派、本願寺派(西本願寺)への転派などの変遷を経て、元和3年(1617)、播磨における大谷派(東本願寺)の再興のため、姫路城手本多忠政より百間四方の土地(船場)と旧池田家菩提寺国清寺の建物を与えられ、翌年ここ地内町に船場本徳寺が建立された。
 寛文3年(1663)に東本願寺より「船場御坊」の称号を付与され、享保3年(1718)に現存する本堂が落成したと伝わる。
 境内には明治18年(1885)に明治天皇が山陽道巡幸中に休憩された「行在所」や第一次世界大戦時にドイツ人捕虜が故郷を偲んで造ったと伝わる城の彫刻がある。
(出典:現地の看板)
 
ここに収容されていたドイツ兵は、以下の文書によると160名だったようです。
 
本徳寺
 収容人員: 准士官以下 160名
 使用畳数: 356
 借家料月額: 100円
 (出典:陸軍省受領 欧受第1965号 大正3年12月10日 十経管甲第85号)
 
行在所や城の彫刻は、本堂の北西にあります。
本堂に向かって右側に渡り廊下があるのですが、その下をくぐって西へ進んだ所にあります。
 
▲船場本徳寺本堂の北西に残る明治天皇行在所(撮影日:2016/08/28)内部非公開
 
▲船場本徳寺本堂の西に残る、ドイツ人捕虜による城の彫刻(撮影日:2016/08/28)
 
船場本徳寺は夕方4時頃には門が閉まってしまうので、見に行かれる場合は時間に注意してください。

参考情報

姫路駅周辺では、1日借りて¥500の「駅リンくん」と、利用時間に応じて料金が変わる「姫ちゃり」の2種類のレンタサイクルがあります。

姫路市のシェアサイクルサービス「姫ちゃり」には、2023年11月1日(水)からドコモのバイクシェアサービスが導入されました。

「ドコモ・バイクシェア」アプリから簡単に利用登録ができます。

料金は、30分で¥165。
コンビニ、または専用Webサイトで購入できる1日パスは¥1,430。

雨が降っていたり、複数人で観光する場合は、姫路駅~姫路城~美術館・博物館~文学館~好古園~姫路駅という、姫路城の周囲を反時計回りに周回する「城周辺観光ループバス」も便利。
姫路駅前のループバス乗り場は、姫路駅北口を出て歩行者用信号を渡ってすぐの交番脇にあります。
 
▲ループバスの走行ルート(赤線)とバス停(青丸) 地図内の丸数字は、姫路城十景の位置を表しています。(番号は、冒頭のリストに対応)拡大表示できます。
 
安価(1日乗車券がおとな一人¥300)で姫路城周辺の観光地を回ることが出来ます。
 
平日は1時間あたり2便しかありませんが、土日祝祭日は10時台~14時台の間だけ1時間あたり4便が運行されています(注:記事執筆時点の情報です)。

姫路城十景「景福寺公園」の評価(5点満点。私、しみけんの個人的見解です)

交通アクセス: 3(公共交通機関での利便性)
お城の見え方: 4(お城の美しさや大きさ)
お勧め度: 2
コメント: 荒れた公園なので、あまりお勧めできません。夏場は蚊や雑草が多いので、行かれるなら涼しい時期に挑戦してみて下さい。数は少ないですが桜の木が植わっているので、春がお勧めです。