播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

兵庫県加東市の三草山(423.9m)

このブログのアクセス解析を見ると、山歩きの記事の中では何故か兵庫県加東市の三草山の記事へのアクセスが多い(※)のですが、当該記事は2012年のもの。
※2017年2月25日時点で、「三草山」をキーワードにGoogle検索すると、4番目に私の記事が出てきます。
 
5年も経てば駐車場や登山道の様子は変わりますから、記事の内容を更新した方が良いだろうと思い、三草山へ出かけてきました。

ルートは、2012年の記事と同様に三草コースで登り、鹿野コースで下るという周回ルートです。
 
 
▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「比延」
 
凡例
三と丸数字の組み合わせ・・・三草コースの通報用プレート(丸数字はプレートの番号)
鹿と丸数字の組み合わせ・・・鹿野コースの通報用プレート(丸数字はプレートの番号)
昭と丸数字の組み合わせ・・・昭和池コースの通報用プレート(丸数字はプレートの番号)
 
08:10
姫路市街の自宅を車で出発。
国道372号線を延々と東へ進みます。

中国自動車道をくぐってからおよそ3kmの場所に「三草山登山道入口」と書かれた標識があるので、そこを右折。
 
1車線幅の舗装道路を進んでいくと、三草山登山者専用駐車場にたどり着きます。
 
以下のURLをクリックすると、Googleマップで三草山登山者専用駐車場の位置が表示されます。
 
 
09:15
三草山登山者専用駐車場に到着(地図中「P」)。
2012年に来たときは未舗装だった駐車場が綺麗に舗装され、清潔なトイレもあります。
 
 
▲三草山登山者専用駐車場
 
 
▲駐車場にあるトイレ
 
09:25
準備が整ったので出発。
上の写真のトイレに向かって左側に「三草山山頂 2.4km」と書かれた道標が立っているので、それに従って進みます。
 
 
▲トイレの横にある道標(私は矢印の方へ進んだ)
 
私は上の写真で奥に写っている建物のすぐ側を通る荒れた舗装路へ入りましたが、他にも山へ入るルートはあるようです。
 
有刺鉄線沿いの荒れた舗装道路を進むと、採石場跡地のような空き地に出ます。
知らずにここへ来ると、「間違えたかな」と思ってしまうような場所。
 
 
▲採石場跡地のような空間を抜ける
 
09:32
採石場跡地のような場所を進むと、やがて「頂上」と書かれた道標に出会いました。
それに従って進むと、いよいよ山道へ入ります。
 
 
▲「頂上」の道標
 
山道の入口には、「登山者の皆さんへ」と書かれた北はりま消防組合と加東消防署が設置したプレートが立っています。
 
それによると、登山道にはコース名と番号が書かれたプレート(当記事内では以下「通報用プレート」と呼びます)が設置されており、山火事の発見時や緊急時にはそのプレートの番号をもとに通報してくださいとのことです。
これも5年前にはありませんでした。
 
 
▲「登山者の皆さんへ」看板
 
09:37
なだらかな道を上り切ると、193m標高点の北東にある鞍部に出ます(地図中「三(1)」)。
ここは登山道が十字路になっていて、道標と前述の通報用プレートが立っていました。
 
このプレートは丁石のような役割を果たしていて、大体4分間隔くらいで出会うようになっています。
 
 
▲道標と通報用プレートが立つ鞍部
 
鞍部から北へ登る区間の一部には擬木階段が設置されていますが、土が流されてしまい、擬木がまるでミニチュアのハードルのようになっていて、またいで登って行くのが大変。
 
 
▲土が流された擬木階段
 
擬木階段さえ無ければそれほど急な斜面ということもなく、簡単に上がっていけます。
 
09:40
三草コースNo.2の通報用プレート前を通過(地図中「三(2)」)。
 
09:42
手すりが設置された岩の斜面に出会いました。
2012年に初めて見た時は驚きましたが、二回目なのでもう平気。
 
三草山山頂までの間に、このような手すりのある斜面5箇所に出会うことになります。
 
 
▲手すり付きの斜面
 
09:44
三草コースNo.3の通報用プレート前を通過(地図中「三(3)」)。
 
三草コースNo.3の通報用プレートのすぐ先で2番目の手すり付き斜面に出会います。
 
その先には、ベンチのある休憩所がありました。
まだ休むほど疲れていなかったので、素通り。
 
 
▲北向きに展望が開けた休憩所
 
09:48
三草コースNo.4の通報用プレート前を通過(地図中「三(4)」)
 
09:53
三草コースNo.5の通報用プレート前を通過(地図中「三(5)」)。
 
このすぐ先の277m標高点に立つ道標には「三草山山頂 1.2km/三草登山口 1.2km」と書かれているので、277m標高点が三草コースのちょうど真ん中。
 
277m標高点から北へ下ったところからは、これから歩く稜線と三草山山頂がよく見えます。
 
 
▲これから歩く稜線と山頂(平坦な稜線の左端付近が山頂。その右側の平坦な部分は、山頂南側に並ぶ三草城の郭跡)
 
09:58
三草コースNo.6の通報用プレート前を通過(地図中「三(6)」)。
 
10:01
三草コースNo.7の通報用プレート前を通過(地図中「三(7)」)。
ここには3番目の手すり付き斜面があります。
 
 
▲三草コースNo.7の通報用プレートと手すりのある斜面
 
10:07
三草コースNo.8の通報用プレート前を通過(地図中「三(8)」)。
 
10:13
4番目の手すり付き階段を通過。
 
10:16
小ピークに立つ三草コースNo.9の通報用プレート前を通過(地図中「三(9)」)。
道標によると、ここから山頂までは0.4kmです。
 
本日もドローンを持ってきていたので、三草コースNo.9の少し先の登山道が広くなっているところに厚手のナイロンシートを敷いて離発着場を作り、周囲に人がいないことを確認してドローンを離陸させました。
(山頂には人工物がたくさんあるので、航空法で定められている「物件から30m以上離して飛ばさないといけない」というドローンやラジコン向けのルールを適用すると、山頂からドローンを飛ばせません。そのため、人工物のない登山道から飛ばしました。)
 
遠くから見ると広大な平たい山頂で、近くから見ると山城跡らしさが分かるかなと思ったのですが、ドローンで近くから見てもただの平らな山頂でした。
 
主郭(しゅかく)と二の丸の境目の切岸(きりぎし)が見えただけマシかな。
 
(注)主郭は本丸のこと。切岸は平らな郭(くるわ)を階段状に配置した場所において、段差の部分にあたる崖のような斜面のことを言います。郭は平らな空間で、そこには倉庫や櫓等が建てられ、周囲は柵や塀で囲まれていました。郭の出入り口を虎口(こぐち)と言います。
 
 
▲ドローンで撮影した三草山山頂
 
10:34
三草コースNo.10の通報用プレート前を通過(地図中「三(10)」)。
No.9から間があいていますが、それはドローンを飛ばして遊んでいたからです。
 
5番目の手すり付き斜面に出会うと、三草山の山頂は目前。
 
10:39
三草山の山頂に到着。
 
2012年に来たときには無かった訳の分からないアンテナが立っていましたが、プレートによると「三草山中継無線設備」だそうです。
 
▲三草山山頂の三草山中継無線設備
 
この山頂には二等三角点標石(点名:三草山)や方位盤、上に書いた無線設備や祠(三草山神社)、ベンチなど物があふれている印象を受けます。
 
 
▲三草山山頂の様子
 
時間が早いためかほとんど人がいなかったので、今のうちにと思って急いでパノラマ撮影をしました。
 
三草山山頂の全天球パノラマ(撮影日2017年02月25日)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/mikusayama20170225/virtualtour.html
 
三草山の山頂は、赤松氏が築城した三草山城の主郭跡です。
そのずっと昔には、源氏vs平家の古戦場にもなりました。
 
興味のある人は少ないと思いますが、城跡について書かれた石碑も山頂に設置されているので、その内容を以下に掲載します。
 
三草山城趾
 三草山は播磨平野の北東隅にあり、山麓をはしる街道は、古くから、播磨と丹波を結び京の都への要路であった。
 寿永三年二月、平家追討のため、源九郎義経の率いる一万余騎は、丹波小野原の里に布陣し、夜半、民家や山野に火を放ち、三草三里の山中を駆け抜け、一挙に平家の陣に突入した。三草山の西の山口に陣取る小松三位中将資盛、左中将有盛など平家一門七千余騎は、不意の夜討ちに弓矢を取るいとまもなく、もろくも、屋島をさして敗走していった。これが世にいう「三草合戦」と、「平家物語」などの伝えるところである。その後、建武三年、赤松出羽守則友がこの地に山城を築いた。嘉吉元年の騒乱のとき、三草口に赤松方の将宇野能登守国祐が配置され、また、「嘉吉の乱」の後にも、赤松満政、則尚が三草山城で山名方の軍勢と一戦を交えて敗れたことなど、三草山にまつわる歴戦の史である。
 新社町発足二十五周年記念事業として、清水・東条湖県立自然公園のこの地に、「三草山遊歩道」を新設し、住民こぞって郷土の歴史的遺産を保存し、学園都市社町のシンボルとすべく、ここに碑を建立するものである。
 昭和五十五年四月
  三草山に遊歩道をつくる会長
   社町長 石古勲
(出典:三草山山頂にある三草山城趾の碑)
山頂の郭跡は中央部分が盛り上がった二段の構成になっていて、盛り上がった部分に上がるための石段も残っています。
 
 
▲主郭跡に残る三草山城の石段(三草山神社に向かって左側の場所)
 
11:06
お昼ご飯には早いですが、昼まで時間をつぶすのももったいないので、とりあえず鹿野コースを下り、適当なところで昼食を摂ることにして出発。
 
山頂から鹿野コースへの降り口は主郭の虎口跡かな?
 
 
▲山頂から鹿野コースへ入る場所
 
下り初めてすぐ、道の右手の藪の中に何かの気配を感じて立ち止まりました。
よく見ると、石垣です。
 
 
▲三草山山頂(主郭跡)南側の藪の中で見つけた石垣
 
山頂のすぐ南側には、明らかに人工的な削平地が何段か続いているのがはっきり分かります。
 
 
▲三草山山頂南側に残る郭跡の切岸
 
11:09
西へ延びる尾根に付けられている三草古道への分岐を通過(地図中「三草古道分岐」)。
名前からすると、三草山城があった頃の登城道でしょうか。
 
三草古道は、以前はあまり歩かれた跡が見られませんでしたが、今でははっきりとした道になっています。
 
11:10
畑コースが左へ分岐する地点を通過(地図中「畑コース分岐 鹿(10)」)。
ここには道標の他に鹿野コースNo.10の通報用プレートも立っていました。
 
ここまでは削平地が続いていたため平坦な道でしたが、ここからは山道らしい下り坂が始まります。
と思ったら、まさにその降り口に石積みが残っていました。
 
 
▲畑コース分岐近くの石積み
 
鹿野コースは、岩がちな三草コースとは異なり、土の道です。
 
11:17
鞍部には、炭焼窯跡古道コースが右の谷間へ分岐している地点がありました(地図中「炭焼窯跡古道コース分岐」)。
 
三草古道に比べるとマイナーなルートらしく、道は三草古道ほどはっきりしているように見えません。
今回は鹿野コースを下るつもりにしていたので、この分岐も無視。
 
11:19
鹿野コースNo.9の通報用プレート前を通過(地図中「鹿(9)」)。
 
登山時は通報用プレートの数字がカウントアップしていましたが、下山時はカウントダウンです。
いつ終わるか分からないカウントアップよりカウントダウンの方がありがたい。
 
11:25
岩盤がむき出しの376m標高点を通過。ここには鹿野コースNo.8通報用プレートも立っています(地図中「鹿(8)」)。
 
ここからは、東麓の宗教施設がよく見えます。
宗教が色々な意味で大きな力を持っていることがよく分かります。
 
 
▲東麓の宗教施設
 
11:29
376m標高点からの下りは、腰の高さほどのシダが両側にある道で、それを過ぎると二股の分岐に出会います(地図中「朝光寺コース分岐」)。
 
今までの分岐は全て公設の道標が立っていましたが、ここだけは道標がありません。
左の道は東へ延びているので、方角から考えると鹿野コースは右が正解。

枝にぶら下がっている手書きの札を見ると、左は朝光寺コースだそうです。
 
 
▲朝光寺コース分岐(鹿野コースは右)
 
朝光寺コース分岐からは階段状の岩場を下る急斜面ですが、それはすぐに終わります。
 
11:32
鹿野コースNo.7の通報用プレート前を通過(地図中「鹿(7)」)。
 
11:36
鹿野コースNo.6の通報用プレート前を通過(地図中「鹿(6)」)。
 
11:40
鹿野コースNo.5の通報用プレート前を通過(地図中「鹿(5)」)。
ここにはベンチが並んでいます。
 
 
▲鹿野コースNo.5通報用プレート前のベンチ
 
そろそろ304.4m四等三角点(点名:天狗岩)が近づいてきました。
 
前回来たときは、登山道から少し離れた場所にある三角点を見逃さないように、三角点への踏み跡を注意深く探して歩きましたが、今回はあっけなく見つけられました。
 
というのも、三角点へ向かう道の入口に道標が立っているのです。
 
 
▲四等三角点(点名:天狗岩)への道の入口に立つ道標(三角点へは、天狗岩・狼岩方面へ入る)
 
今回は、天狗岩を見るということも目的の一つにしていました。
 
三角点の近くにあることは知っていたのですが、正確な位置は知りません。
しかし、上の画像のような道標も立っているくらいだから簡単に見つかるだろうと高をくくり、正規の登山道を外れて三角点への小径へ入りました。
 
南へ入ると、すぐに直進か右折かの二股分岐に出会います。
右折すると三角点があるのは分かっていたので、直進してみました。
 
ところが、その道は天狗岩に出る道では無く、南へ延びる尾根沿いのマイナールートのようです(地図中「×」)。
引き返して三角点の方へ進み、三角点標石前を通過すると直進か左折の二股分岐に出会いました。
 
11:48
直進すると正規の登山道に復帰しそうなので、左折してみると天狗岩に出ました(地図中「天狗岩」)。
 
 
▲天狗岩
 
南方面に180度の大展望が広がっているので、ここで昼食を食べることに。
 
本日のメニューは、美味しさのあまりまとめ買いしたものの、もったいないからと大事にしまっておいたら賞味期限が過ぎていたという、アマノフーズの「チキンカツの玉子とじ」を使ったチキンカツ丼。
 
 
▲本日の昼食(食器のナイロン袋は、片付けを楽にするために被せたもの)
 
ご飯はアルファ米ですが、アルファ米が出来上がるまでの15分を利用し、ドローンを飛ばして自撮り。
 
 
▲天狗岩の上に立つ自分をドローンで自撮り
 
13:00
思う存分に展望と食事を楽しみ、下山再開。
天狗岩に行くために左折した分岐を直進し、正規の登山道に復帰しました。
 
13:08
鹿野コースNo.4の通報用プレート前を通過(地図中「鹿(4)」)。
 
13:11
233m標高点近くで道が左に直角に折れ曲がる場所には、鹿野コースNo.3の通報用プレートがありました(地図中「鹿(3)」)。
 
ここから南へ下る斜面を過ぎると、しばらくは平坦な区間が続き、また下り坂が始まる手前に三草山神社の鳥居が立っています(平成6年建立)。
 
鳥居の前には、鹿野コースNo.2の通報用プレートもあります(地図中「鳥居 鹿(2)」)。
 
 
▲鳥居と鹿野コースNo.2通報用プレート
 
ここから南への下りは、中央がえぐれた土の道。

えぐれて出来た溝の中を歩いたり、溝に水がたまっている場所は溝を跨ぐように歩いたりして通過しましたが、雨上がりなどでぬかるんでいたら危なそうです。
 
 
▲中央がえぐられた下り斜面の道
 
13:23
鹿野コースNo.1の通報用プレート前を通過(地図中「鹿(1)」)。
 
13:25
三草コース/昭和池方面への道が右後ろへ分岐する地点、つまりUターン気味に曲がらないといけない分岐に到着(地図中「Uターン分岐」)。
 
ここからは、かつての峠道と思われる道を北へ進みます。

最初は道に水が流れていて沢のようになっていましたが、緩やかに標高が上がっていくと路面の水は消え、雰囲気の良い峠道になりました。
 
13:28
昭和池コースNo.5の通報用プレート前を通過(地図中「昭(5)」)。
 
13:31
昭和池コースNo.4の通報用プレート前を通過(地図中「昭(4)」)。
 
 
▲昭和池コースNo.4の通報用プレート付近の峠道の様子
 
13:35
昭和池の南東端で二股の分岐に出会いました(地図中「駐車場分岐」)。

道標によると、左に曲がって昭和池の南側を進めば登山口へ、直進すると炭焼窯跡古道コースへ入るようです。
 
駐車場に戻るためにここは左折。
 
13:36
昭和池コースNo.3の通報用プレート前を通過(地図中「昭(3)」)。
 
13:41
昭和池コースNo.2の通報用プレート前を通過(地図中「昭(2)」)
この付近は、昭和池の堰堤の向こうに数曽寺(すそじ)山塊を眺めながら歩けます。
 
 
▲昭和池の堰堤の向こうに数曽寺山塊を見る
 
13:46
昭和池コースNo.1の通報用プレート前には小さな水門があり、水は暗渠の中へ吸い込まれていました(地図中「昭(1)」)。
 
川崎重工関連のプレハブ小屋と昭和池操作室の前を通過して昭和池の西端に着くと、そこには珍しい形の洪水吐がありました。
 
ネットで調べてみると、ラビリンス堰と呼ばれるもののようです。
 
 
▲昭和池西端の洪水吐(ラビリンス堰)
 
14:00
堰堤から駐車場に向かって下る舗装道路を下り、駐車場に帰着。
 
 
▲堰堤から駐車場へ下る道の様子
 
堰堤から駐車場に下りたすぐ左に慰霊塔(何の慰霊塔かは不明)が立っていますが、その前には水準点のような標石がありました。
何に使う物なんだろう。
 
 
▲謎の標石
 
15:30
自宅に到着。
 
 
▲今回のルートの高低差を表したグラフ(カシミール3D)(下山時のGPS軌跡に異常がありますが、右側に表示されている数値は地形図の標高データをもとにしたものなので、累積標高にGPS軌跡の標高データ異常の影響はありません)。