2017年1月21日(土)から2017年3月17日(金)までの期間限定で、姫路城の菱の門内部が公開されることになりました。
冬場の観光客減少への対策だそうです。
というわけで、公開初日(今までに一般公開されたことが無いので、本当の意味で初日です)に見学してきました。
菱の門は、姫路城の有料エリアに入ってすぐに出会う門で、姫路城内の門の中では最大で装飾も立派なものです。
姫路城の有料エリアに入ったら、必ずこの門をくぐることになります。
姫路城の有料エリアに入ったら、必ずこの門をくぐることになります。
今回公開されるのは、この門の西側にある門番所です。
特別公開菱の門「門番所」現在、この門番所の室内は土間になっていますが、本来の板敷きを模して仮設の置床を設置しています。また室内南側の壁は石垣になっており、西の丸東辺石垣の北端に当たります。その石垣が門の建物に組み込まれているということは、本多忠政が西の丸を造成したときに菱の門も現在のかたちになったとみることができます。(出典:現地の看板)
菱の門をくぐってすぐ左側に内部への入口がありました。
▲菱の門門番所入口の様子
時間が早かった(9:10頃)ため観光客の姿はまばらで、全天球パノラマ撮影のチャンス。
と言うわけで、RicohのTHETA Sで内部をパノラマ撮影してみました。
と言うわけで、RicohのTHETA Sで内部をパノラマ撮影してみました。
菱の門門番所内部の全天球パノラマ(撮影日2017年1月21日)
https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/himejijo20170121/virtualtour.html
門番所内の南側は土壁も板壁も無く、石垣が壁になった珍しい構造。
菱の門には2階がありますが、この門番所内に階段はなく、南側の石垣に登り、そこから2階へ入るようになっています(石垣上部の城内側には、城兵が城壁内側から門の外の敵を攻撃するために石垣に登る階段がある)。
▲菱の門を西から見る(矢印の位置に、石垣上から2階へ入るための小さな階段がある)
門の両側に空間があるわけですが、現地の看板によると、西側は門番所で、東は馬見所だったそうです。
また、2階は東室、中室、西室の3部屋に分かれているようです。
たまたま新聞記者らしき人がガイドさんにインタビューをしていたので聞き耳を立てていたら、「東側は作事小屋として使われていたようだ」といった話が聞こえてきましたが、読売新聞のWebサイトを見ると、まさにその会話の内容が記事になっていました。
2017年1月20日付YOMIURI ONLINEの「姫路城「菱の門」初公開」の記事を見ると、菱の門の東側の部屋が作事小屋として使われていたことや、2階が武具の保管庫になっていたという内容が書かれています。
産経WESTのWebサイトの「姫路城・菱の門の「番所」初の一般公開 現存する城内最大の門」と題した記事によると、門番所には藩士が1名、交代制で常駐しており、門を出入りする人たちをチェックしていたそうです。
ちなみに、菱の門は門扉が大きく開いていますが、通常はこの門扉は閉ざされており、脇にある小さな戸で出入りしていたとのこと。その小さな戸をくぐると、門番所東側の窓のすぐ外を通過することになるので、誰にも気づかれずに忍び込むことは出来ません。
菱の門をじっくり見物した後は、せっかくなので観光客が少ない内に大天守内も見学して帰宅しました。
姫路城内には立派な門が多いですが、有事の際に守りを堅固にするため、天守に近い「ほの門」は小さく作られています。
ここから見えているのは小天守ですが、他のお城だと天守閣がこれより小さいことがありますから、姫路城の壮大さは桁外れ。
大天守へは直接入るのではなく、いったん小天守に入り、そこから渡り櫓を通じて入るようになっています(昔は大天守に直接入る順路設定になっていました)。
通路がカクカクと折れ曲がっていて、敵の侵入を防ぎやすくなっているのがよく分かります。
階段を登り、靴を脱いで建物の中へ入ります。
姫路城下町の模型を見られるのは乾の小天守。
スリッパを貸してもらえる広い廊下は、「ロ(ろ)の渡り櫓」。
ロの渡り櫓の次に東小天守内を通り、イの渡り櫓を抜けてようやく大天守に入れます。
この模型は、昭和の大修理工事の際に大天守の解体修理のため実物の1/20で製作されました。昭和の大修理工事は史上初めての全解体修理だったので、歴史的建造物のもつ技術的特徴、あるいは構造上の欠陥や細部の処理、そして組立の方法をしっかりと把握した上で施工しなくてはなりませんでした。さらに、建物を末永く維持できるように、破損・腐朽部分の取り替えや各部材の補強方法の検討も不可欠でした。様々な問題を明らかにし、安全で効率的な工事を行うための検討用に製作された模型です。(出典:現地の看板)
▲石打ち棚(窓から外の様子を見下ろしたり、迫り来る敵兵を攻撃するための足場)
御祭神 姫路長壁大神播磨富姫神姫路刑部(おさかべ)大神は延喜式に、富姫神は播磨国大小明神社記に記され、古代より姫山に鎮座された由緒ある地主神である。城主池田輝政が、城内「との三門」の高台に祀り歴代城主は手篤く崇敬する。寛延元年(1748)城主松平明矩(あきのり)のとき長壁大神と改める。明治12年(1879)総社に移されたが、のち勧請され天守楼上に祀る。明治15年城内備前屋敷の火災、昭和20年7月3日(1945)大空襲には、奇蹟的に炎上を免れた。姫路城の守護神であり、火災・災害等にご霊験あらたかで、人びとの信仰が篤い。毎年6月22日、ゆかた祭りとしてご神徳をたたえる。姫路城を守る会(出典:現地の看板)
窓から屋根を見ると、姫路城が真っ白に見える理由である屋根瓦の漆喰を間近に見られます。
▲大天守最上階の窓から漆喰が盛られた瓦を見る
なお、姫路城内はGoogleストリートビューで見て回ることが出来ますので、興味のある方は是非どうぞ。