播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

MYOCHIN~伝統の継承と新たな飛躍~@日本工藝美術館

本日は、兵庫県姫路市の圓山記念日本工藝美術館(えんざんきねんにほんこうげいびじゅつかん)で開催中の「平成28年度特別展 MYOCHIN ~伝統の継承と新たな飛躍~」へ出かけてきました。

圓山記念日本工藝美術館は、私の出身高校である姫路市立琴丘(ことがおか)高校前にあり、我が家からは自転車ですぐの距離です。
というわけで、高校生時代を思い出しながら自転車で美術館へ向かいました。


▲圓山記念日本工藝美術館の外観(南から撮影)写真の左側へ進むと駐車場がある

施設名称: 圓山記念日本工藝美術館
所在地: 兵庫県姫路市西今宿1-1-8 (住所をクリックすると、Googleマップで日本工藝美術館の位置が表示されます。)
開館時間: 10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日: 毎週月曜
観覧料: 大人¥600、大学生・高校生¥500、小・中学生¥300
駐車場: あり(駐車料金は無料)


▲圓山記念日本工藝美術館の駐車場は、琴丘高校への道へ入り、橋を渡ってすぐ右(北)側にある。左上は琴丘高校の校門

特別展名称: 平成28年度特別展 MYOCHIN ~伝統の継承と新たな飛躍~
特別展開催期間: 2016年10月29日(土)~12月4日(日)
主催: 公益財団法人五字ヶ丘文華財団 圓山記念日本工藝美術館
後援: 姫路市・姫路市教育委員会・公益財団法人姫路市文化国際交流財団
協力: 兵庫県立歴史博物館

 『姫路明珍家』は、すでに『明珍火箸』の名も高く、酒井・姫路藩甲冑師の家柄として、その存在が広く知られております。本館は、このたび、『MYOCHIN-伝統の継承と新たな飛躍-』と題し、更めて、『明珍』とは「一体何者なのか」という視座に立ち、いまや、世界的にも、各界の高い評価を得ております、日本独特の「明珍美學」展開の全貌を紹介する企画展覧会を開催いたします。
 同家の歴史的な背景は、『明珍』家伝来の貴重な古文書や実物資料によって御覧頂き、第52代現当主・明珍宗理が、時代の変化に伴うあらゆる難関と闘いながら、営々と心魂を尽くして今日に伝えております古伝「鍛鐵」秘伝の技は、頼もしい継承者たる宗裕、敬三、二人の令息方の、じつに新鮮な魅力に充ちた匠の技として見事に開花しておりますので、その結実成果の秀作数々、併せて総数90余点を以て、広く皆々様に開陳、紹介させて頂きます。
 本展により初めて、古来800有余年、脈々と受け継がれました、品格高き『明珍』古伝秘宝の、いまに活き、飛躍的な未来を開かんとする活動の全体像に触れて頂けますれば幸いでございます。
公益財団法人 圓山記念日本工藝美術館
(出典:「平成28年度特別展 MYOCHIN ~伝統の継承と新たな飛躍~」のチラシ)

館内は庭園を除いて撮影禁止のため、この記事には展示物の写真はありません。

展示物は具足や日本刀、鎖帷子(くさりかたびら)、甲冑師の技術を生かした置物といった品々で、日本刀は写真ではその魅力が伝わりませんし、鎖帷子の恐ろしく精緻な細工も、実物を見た方が感動します。

志賀直哉の小説「暗夜行路」の中にも「明珍の火箸」の名が出てくるということや、2011年にセイコーが3,300万円(税抜き)で販売した複雑度計、ミニッツリピーターのゴング(鐘)を明珍家が担当したというのもこの展示で初めて知りました。

珍しかったのは、具足の実物大型紙。

兵庫県立歴史博物館所蔵の龍打出鉄二枚胴具足(17世紀、明珍家の作)の隣に型紙が並べて展示されていましたが、私は勝手な想像で、日本の職人は頭の中のイメージだけで武具を作っていたと思っていました。

日本刀は何本も飾られていましたが、正直に言うと違いが分かりません。
しかし、あの質感や刃の紋様の複雑さには、直に見ると何か引き寄せられる魅力があります。

今日は休日だったため、館内には明珍敬三氏がおられて、色々とお話を伺うことが出来ました。

前述の鎖帷子ですが、鎖帷子を作るときは玉鋼を細く伸ばして針金を作り、それを棒にぐるぐると巻き付けてバネのような状態にしてから切り離し、小さな鉄の輪を大量に作ってつなぎ合わせるそうです。

圓山記念日本工藝美術館は1階と2階に展示室があり、2階に日本刀や具足、明珍火箸の製造工程が展示されています。

1階には、明珍火箸やチタン製のおりん、花台が展示されていて、明珍火箸とおりんは実際に音を楽しむことができます。

「おりんはともかく、火箸の音?」と思われる方もおられるかも知れませんが、明珍火箸は火箸として使うのではなく(もちろん使えますが)、糸で複数本をつり下げ、それらがぶつかり合うときの音を楽しむためのものなのです。

その昔、武具の金具がぶつかり合う音が美しくて珍しいものであったことから、近衛天皇がそれを褒め称え、作成者の家に明珍の姓を与えたと伝わっています。

その後も明珍家は高品質な武具を作り続けましたが、明治維新により武具の需要がなくなると、鉄を打つ技術を使って火箸の製造を始めました(明珍家は、かつて千利休から依頼されて火箸を作ったという言い伝えがあるようです)。

ところが、第二次世界大戦が勃発すると、鉄や作業用の道具類まで供出させられて仕事が出来なくなります。

戦後、なんとか仕事を再開しましたが、電気や石油が暖を取るためのエネルギーとして使われるようになり、火箸の需要が落ち込みました。

そこで当時の明珍家当主は、自分たちの作る火箸の音が美しいことを生かし、風鈴として火箸を売り出すことを思いつきました。それが当たり、今に至ります。
(前述の「暗夜行路」が書かれたのは、明珍火箸を風鈴として使うアイディアが広まる前なので、純粋に高品質な火箸ということで名前が出たものと思われます)

火箸は火箸でも、「明珍」が付くと、それは美しい音色を生み出す風鈴(ドアベルとしても使える)を表すのです。

近年は、チタンで火箸やおりんを作られています。

「チタンでいい音が出るのかな?」と思いましたが、予想に反して綺麗な音色。
特におりんは、いつまで経っても目の前に余韻が広がり続け、我が家の仏壇のおりんとは次元の違う音色でした。

チタンの明珍火箸はチタンらしい白っぽい金属の色ですが、おりんは銀色のものと金色のものがあります。

チタンにどうやって色を付けているのかを明珍敬三氏に尋ねると、「磨けば白っぽくなり、加熱すると金色になります」とのこと。

山用のクッカーが、空焚きをすると玉虫色になるという話をすると「それは温度が高すぎて、金色を通り越しています」とのお返事。

てっきり何か薬品を使って染色していると思いましたが、温度を調整すれば金色になるとのことで、これも初耳でした。

1階の展示室には、鉄を打って作られた花台に花と明珍火箸を飾ったものが置かれているのですが、その中には玉鋼(たまはがね)で作られた明珍火箸もありました。

玉鋼は、砂鉄を精製して作られた日本刀の材料となる金属で、今では出雲でしか作られていません。
しかも、出来上がった玉鋼は、刀鍛冶にしか提供されないものです。

それなのに、明珍家は火箸造りに玉鋼を使うことが特別に許されています。

その貴重な玉鋼で作られた明珍火箸は、1階に展示されている他のどの明珍火箸よりも複雑で美しい音色でした。

思わず「欲しい!」と思ってしまいましたが、明珍敬三氏によると「他の明珍火箸よりゼロの数が多いですよ」とのこと。
玉鋼自体が貴重なので、それを使った明珍火箸は少ししか作れない希少品なのです。

明珍火箸は、日本刀と違って焼き入れをしていないとのことで、それが綺麗な音色を生み出す要因になっているのでしょう。

明珍氏は、平日は姫路市伊伝居の工房で作業をされていますが、特別展期間中の休日は、この美術館で観覧者の対応をされているようです。

特別展の期間中は、明珍家当主、明珍宗理氏の講演(11月5日13:30~)やコンサート(11月19日)、ワークショップ(銘切体験は11月12日、明珍鍛冶入門は11月20日)、刀に刃文を描くための土置き作業の実演(11月26日)も開催されます。

日本刀に興味がある人はもちろん、刀や鎧に興味が無い方も、明珍火箸やチタンのおりんの音色を味わいに行ってみてください。