播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

武家屋敷マルシェ@三日月(兵庫県)

本日は、兵庫県佐用郡佐用町三日月で行われた「武家屋敷マルシェ」というイベントに出かけてきました。
神戸新聞の地域のページで紹介されていたイベントです。

イベント名称: 武家屋敷マルシェ
開催日時: 2016年9月24日(土) 10:00~16:00
開催場所: 兵庫県佐用郡佐用町乃井野郭内(←クリックすると、Googleマップでメイン会場の位置が表示されます)
主催: 三日月の誇り部会
後援: 三日月地域づくり協議会


▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「三日月」。(マウスポインタを合わせたとき右下に表示される虫眼鏡のアイコンをクリックすると拡大表示されます)

8:16
JR姫路駅を播磨新宮(はりましんぐう)行の姫新線普通列車で出発。

8:48
播磨新宮駅に到着。
私が乗っている電車はここが終点なので一旦下車し、向かいのホームに止まっている上月(こうづき)行の普通電車に乗り換えます。

8:50
播磨新宮駅を出発。

9:08
三日月駅に到着。


▲三日月駅から見た三方里山(さんぼりさん)斜面の三日月のシンボルマーク(夜は流れ星の図柄も出現する)

姫新線の普通電車はワンマン運行で三日月駅は無人駅のため、下車するときは先頭のドアまで行き、運転士さんに姫路駅で買った切符を渡して下車します。


▲三日月駅

乃井野(のいの)集落のメイン会場までは、三日月駅から1km弱なので、徒歩で15分あれば充分たどり着けます。

まずは駅前の自販機で飲み物を購入し、Googleマップを頼りにメイン会場へ。
のんびりと歩いたのですが、9:20頃にメイン会場に着いてしまいました(イベントは10時開始)。

まだまだ時間に余裕があるので、人が少ない内に見ておこうと思って乃井野陣屋館へ行ってみることに。

9:27
三日月藩乃井野陣屋館に到着(地図中「陣屋館」)。


▲三日月藩乃井野陣屋館

施設名称: 三日月藩乃井野陣屋館
遺跡名称: 三日月藩乃井野陣屋跡
住所: 佐用郡佐用町乃井野966番
開館日: 土曜日・日曜日・祝祭日
開館時間: 10:00~16:00(入館は15:30まで)
休館日: 月曜日から金曜日(祝祭日を除く)、年末年始(12/29~1/3)
入館料: 無料

三日月藩の成立と陣屋の造営
 三日月藩は、森忠政が開いた津山藩森家(現岡山県津山市)が1697(元禄10)年に改易となったとき、その分家であった森長俊がこの播磨三日月に移されたのが始まりです。
 陣屋は藩が成立するにあたって造られたもので、いくつかあった候補地の中からここ乃井野の地が選ばれました。
 そして造営にあたっては、この場所にいた庄屋を他に移して陣屋を造り、さらに道路や屋敷を整備して家臣たちの屋敷を造っていったようです。こうした陣屋・屋敷がほぼ出来上がったのが1700(元禄13)年ごろと伝えられています。
 今に残る絵図を見ると、陣屋と武家屋敷は北側を山に囲まれ南側を西流する志文川で限られた中にあり、この中が郭内と呼ばれる藩の中心部となっています。
 この陣屋は、その後森家九代174年間、藩主の起居する場所として、また三日月藩の藩政の中心として機能していくことになりました。
(出典:三日月藩乃井野陣屋館の三つ折りパンフレット)

陣屋館は文化財としてふさわしくするため、大半が当時の技術を使って復元された建物ですが、物見櫓だけは当時の物がそのまま使われています(可能な限り元の部材を再利用しているという意味です)。

廃藩置県後、物見櫓は別の場所に移築されて使われていた物が、長屋門の復元にあたって元の場所(つまり陣屋館の場所)に移築されたのです。

上の写真では、長屋門の上に三箇所屋根が飛び出しているところが有りますが、左端が物見櫓です。


▲物見櫓は二階が張り出している

物見櫓の左に小さな門がありますが、これは長屋門で、陣屋館の出入り口です。
物見櫓は門になっていません。


▲長屋門

中央の最も大きな屋根が掛けられた門は中御門で、藩主や位の高い武士の出入りに使われたそうです。
藩主が不在の時は閉ざされていたとのこと。

ちなみに、この中御門には2階があり、時打太鼓が置かれていたそうです。


▲中御門を陣屋内側(北側)から見る(左側に二階への階段がある。立入は不可)

右端の門は通用御門で、通常はこの門から出入りをしていたようです。


▲通用御門と橋を陣屋外側から見る

前述の案内の通り開館時間は10時なので、展示室や物見櫓の開放準備の真っ最中。
しかし、係の方が入っても良いとおっしゃるので、物見櫓の2階へ上がってしばらく涼ませて頂きました。

南側の障子を開けると乃井野集落が、北側の障子を開くと陣屋の屋敷跡を見渡すことが出来ます。


▲物見櫓2階の様子


▲物見櫓の2階から陣屋の屋敷跡を見る(井戸跡には白い看板がある)

三日月藩乃井野陣屋物見櫓(佐用町指定建造物)
陣屋にあった建物のうち、この建物は現在まで残った唯一の建造物であり、移築されて別な場所にあったものを、平成6年に解体調査、その後平成13年度に現地に復原したものです。
物見櫓は、現在残る絵図や記録より、陣屋の建造からしばらくして建てられたようですが、その年代は今のところはっきりしていません。ただ物見櫓の名が1700年代後半より記録に見られることから、そのころ建てられたとみられ、また解体調査の時には梁の受木に「弘化二年(1845)年、巳八月廿九日、柱入替」の墨書が見つかっており、全面的な修理も行われていたことが分かっています。
藩日記などの記録を集めた「三日月藩文書」には、物見櫓が利用された内容として藩主が武芸の観覧を行ったことや、家老・用人、各役人を集めて酒や食事が振る舞われたことなどが記されています。
(後略)
出典:物見櫓2階のパネル

陣屋館の西側には列祖神社があるので、それもついでに見物。

陣屋館と列祖神社の間には「落ち葉の清水」と呼ばれる湧き水がありますが、草に覆われていて見る影もありません。

置塩城の赤松義村が茶の湯に適した水を家臣に探させた時、ここの水を絶賛したとのことで、播磨十水の一つになっています。


▲落ち葉の清水の碑(奥の柵で囲まれている場所が湧き水)

陣屋館前の道を西へ進み、小さな鳥居をくぐってちょっとした石段を登ったところに列祖神社があります(地図中「列祖神社」)。


▲列祖神社

列祖神社に来て驚きました。
ずいぶん立派な二階建てのレトロな建物が神社の斜め前に建っているのです。

扁額を見ると「廣業館(こうぎょうかん)」となっていました。
三日月藩の藩校に因んで名づけられた明治時代の廣業小学校の建物です。

なお、三日月藩があった頃は、陣屋の南東にある道路がカギ状に折れ曲がった場所(現在は田んぼ)に藩校の廣業館が建っていました。


▲廣業館(中には入れない)

窓から中をのぞくと、畳が敷かれた道場になっています。
今でも道場として使われているのかと思いきや、最近は子供が減った上に安全志向が強まっていて、武道を習い事として選ぶ子供がいないそうです。

石段を下りて道路に戻り、さらに西へ進んでみると、立派な鳥居と長い石段のある神社に出会いました。
日岡八幡神社です(地図中「八幡神社」)。


▲八幡神社の鳥居


▲八幡神社の拝殿


▲八幡神社の本殿

えらく立派な神社だと思ったら、京都の石清水八幡宮の播磨分院の一つだそうです。

八幡神社を見終わったのが10:00。

事前にネットで調べておいた情報によると10時半からガイドツアーがあるとのことだったので、そろそろメイン会場へ行ってみることにします。

八幡神社の石段を下ると、ぞろぞろと沢山の人たちがメイン会場の方へ歩いているのに出会いました。

10:05
メイン会場に到着(地図中「メイン会場」)。
オープニングセレモニーでお偉方が挨拶をしている真っ最中でした。


▲メイン会場の様子

ガイドツアーに参加するため、メイン会場のすぐ南にある総合案内所で記帳し、資料を受け取ってから木陰で休憩。

それにしても暑い。


▲総合案内の様子

10:30
総合案内所に参加者が集合し、ガイドツアーが始まりました。

ガイドさんが参加者数十人を引き連れて乃井野の集落内を歩きながら、拡声器越しに説明をするというもの。
参加者はかなりの人数で、車が来る度に右往左往。


▲ガイドツアーの様子

ガイドツアーの流れは、以下のようなものでした。

・メイン会場から陣屋館へ移動しながら町割の説明。
・陣屋館で三日月藩や藩主について詳しい説明。
・陣屋館の物見櫓に上がって建物の詳しい説明。
・列祖神社と廣業館を見物。
・八幡神社で八幡神社の詳細を説明。
・八幡神社拝殿前で解散。

すでに見て回った場所ばかりでしたが、詳しい説明を聞けて大満足。

説明を聞きながら初めて見るよりは、事前に見ていて気になるところや疑問点を頭の中に置いておく方が、説明がよりいっそう面白くなりますね。


▲三日月藩乃井野陣屋の表門があった場所(地図中「表門跡」。道が折れ曲がっているのが特徴。奥の突き当たりは枡形跡)


▲枡形跡(地図中「枡形跡」。道は右へ折れた後また左に曲がり、中央奥の橋につながっている。ガイドツアー終了後に撮影)

この記事の前半で陣屋館や神社等について細かいことを書いていますが、それらは全てこのガイドツアーで仕入れたネタです。

陣屋館内では三日月藩や藩主についても詳しい説明がありましたが、狭い展示室内に大勢がいて窮屈だったので、私は外へ出ていました。
もったいないことをしたなぁ。

11:30過ぎ
ガイドツアーが八幡神社で終了しました。

今回のイベントの主題である武家屋敷をまだ見ていません。
というわけでメイン会場へ戻り、その南に並ぶ武家屋敷群をじっくり見物することにします(地図中「武家屋敷群」)。


▲建ち並ぶ武家屋敷

メイン会場の南には4件が建ち並び、それらと背中合わせになる側の通りにも1件の武家屋敷が残っています。

ガイドツアーで仕入れた情報によると、この辺りは中級武士が住んでいた場所。
メイン会場より北が上級武士の居住区で、川沿いは下級武士の居住区だったそうです。

内部が見学可能な武家屋敷は1軒だけでした。
小林邸と書かれていた武家屋敷は無住なのか、門が今にも崩れそうな状態。

今回の武家屋敷マルシェは、ほとんど現存しない(姫路や赤穂は0軒だそうです。姫路は我が家の近くに残っていたのですが、近年取り壊されました。)武家屋敷が三日月にあることを知ってもらい、さらにその武家屋敷が存続の危機にあることも知ってもらいたいという思いで開催されたそうです。


▲今にも崩壊しそうな小林邸の門

小林邸の北隣の建物では、神戸女子大の今井教授が縁側に座り、古文書の内容を見学者に説明されていました。

小林邸の南隣にある竹内邸は、今回唯一中に入ることができた武家屋敷です。


▲武家屋敷竹内邸

中には参勤交代の絵でよく見かけるような槍や笠、他に古文書などが数多く展示されていました。


▲竹内邸内の展示(槍や笠)


▲竹内邸内の展示(古文書など)


▲竹内邸の床の間

これらの屋敷が並んでいる向かい側も、古地図によると屋敷が並んでいたようですが、今は空き地になっています。

その空き地に出店があり、佐用町の道満というお店のカレーが気になったので、これを昼食にすることにしました。

樹脂製の使い捨ての茶碗に入って1杯¥300。お手軽です。
量は少ないですが、他にもたこ焼きやうどん、アイスクリームなどの出店があったので、色々食べたい人には有り難いと思います。


▲道満さんの看板

12:30頃
イベント会場を後にし、三日月駅へ。

13:16
播磨新宮行の普通列車で三日月駅を出発。

13:33
播磨新宮駅に到着。

三日月駅で乗車するときに整理券を取ろうと思っていたのですが、整理券を出す機械のフタは閉まったままだったので、運転士さんに乗車駅を証明する紙をもらい、姫路行の普通列車に乗り換えました。

13:35
播磨新宮駅を出発。

14:05
姫路駅に到着しました。
新宮駅で運転士さんにもらった紙を改札の駅員さんに見せ、その場で運賃を支払って改札を通過。

鉄道はよく利用しますが、ローカル路線は難しい。