播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。原則として更新は週に1回です。広告は表示しません!

兵庫県姫路市の斎藤山城跡

疲れがたまっているのか朝早く起きられず、朝食を食べて歯を磨き、風呂に入ってバリカンで髪を切り、風呂掃除を終えると11:30。
 
近所にあるお手軽な散歩コースでないと、この時間からの山歩きは不可能です(※)。
※私の山歩きの目的は景色を見ながらご飯を食べることなので、食事を済ませてから登ることは滅多にありません。
 
というわけで、姫路市と東隣の高砂市の境界線沿いにある桶居山(おけすけやま)の西、名前も標高点も地形図に描かれていない小ピークに行くことにしました。
 
地形図には名前がありませんが、そこは斎藤山城があったので斎藤山という名前があるそうです。
 
斎藤山城
【城史】『飾磨郡誌』に「斎藤山構居 領主は斎藤仁左衛門、御着小寺の家臣也。里翁説には斎藤仁左衛門の居住せしによりこの名ありと見えたり。今山頂に平かなるところあり。石垣、礎石、瓦の破片散在せりという」とあり。
【現状】西側から岩盤の山を登ったところに幅6mの平坦地があり、その南と北両側に堀がつくられている。ここから緩い斜面を40mばかりのぼると、11.8m×9.6m、その上にさらに11.7m×6.2mの削平地があり、ここを最高に北へ3.5mの斜面を下りたところに14m×18mの削平地がある。この尾根に並んだ遺構のほかに、頂上から南へ90mほど下ったところに小さな尾根があってそこに3段からなる3つの削平地がある。先端には巨石が並んでいて石塁の形をなしている。
 
出典:都道府県別 日本の中世城館調査報告書集成 第15巻 P173
    兵庫県教育委員会・和歌山県教育委員会編 2003年4月30日発行 ISBN4-88721-446-4
齋藤山構居
領主は齋藤仁左衛門、御着小寺の家臣也(里翁説)齋藤山は深志野の東の山也
里翁説には齋藤仁左衛門の居住せしにより此名ありと見えたり、今山頂の平らかなる所には石垣礎石、瓦の破片等散在せりといふ
そのむかし女子の遊びにお手玉遊びをしながら歌っていた歌がさいとうさんわいつもみてーござるーと歌って遊び
(出典:御国野町深志野の妙見神社の掲示)
 
大河ドラマ「軍師官兵衛」で有名になった御着の小寺氏。
その家臣、斎藤仁左衛門の城があったとのこと。

以前、「頂上から南へ90mほど下ったところに小さな尾根があって」と書かれている尾根から桶居山へ登ったことがありますが、その時は城跡について知識も興味もなかったので、巨石だらけの尾根だったことは覚えていますが、削平地があったかどうかなんて記憶にありません。
 
そこで、また登って城跡を見てみたいなと思っていたのですが、今日のような時間の無い時にさっと歩くのに適していそうだと考えたのが、本日斎藤山へ行った理由です。
 
巨石だらけの尾根は、白鬚神社の拝殿右側から始まる登山道で登れます。
しかし、神社周辺には車を置ける場所がありません。
 
空き地や路肩に駐められないことはないのですが、地元の方の迷惑になったり、高い駐車料金を取られた上、点数というオマケまで無理矢理与えられる(駐車違反)のも避けたいですから、少し離れた墓地の駐車場に車を置き、車に積んだ自転車で白髭神社へ行くことにしました。
 
 
▲駐車場所「P」から登山口の白髭神社までは自転車で移動した。対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「姫路南部」「加古川」
 
11:30
姫路市街の自宅を、自転車を積んだ車で出発。
 
国道2号線を東進し、播但連絡道路をくぐる直前、セブンイレブンのある佐土(さづち)交差点を左折します。

そして、最初の交差点(信号はない)を右折し、道なりに東へ進んでいくと、道幅が突然狭くなった後に墓地に出会うので、その墓地前の駐車場に車を止めました。
 
11:49
墓地前の駐車場(地図中「P」)に到着。
車から自転車を降ろし、GPS受信機の衛星捕捉を待つ間に靴を履き替えます。
 
ここで、カメラを忘れてきたことに気づきました。仕方が無いのでiPhoneで写真を撮ることにします。
 
iPhoneの写真は一見綺麗ですが、パソコンで見るとあらが目立ちますし、パソコンへ転送するのも一苦労なので使いたくないのですが、やむを得ません。
 
どうせ縮小するからあらは目立たなくなりますが、後で細部を拡大して確認するといった使い方ができないのは残念。
 
 
▲墓地前の駐車スペース
 
 
▲駐車スペースから見た斎藤山
 
11:55
準備が整ったので、自転車に乗って白髭神社へ出発。
 
墓地から西へ進み、信号のある最初の交差点で右折。道なりに北上し、池の形に沿って西へ向きを変えたら、後は右側にある白髭神社を探しながら西へ移動。
 
12:04
白髭神社下に到着。
立派な灯籠や鳥居、石段があるので見落とす事はありません。
 
 
▲道沿いの灯籠、鳥居、石段
 
石段を登ると、巨石があらわになった尾根を背景にした白髭神社(絵馬殿)があり、この絵馬殿に向かって右側から登山道が始まっています。
 
 
▲白髭神社
 
季節がちょうど良かったのか、ツツジが咲いていて良い雰囲気の道。しかし、なだらかな道はすぐに終わります。
 
 
▲登山口周辺の様子
 
上の写真でも見えている岩の尾根にすぐ突き当たり、両手両足を使って岩の斜面を這い上がることなるわけです。

私はイワイワした道が大好きですから、楽しくて仕方ありません。
 
 
▲岩の斜面を登る
 
楽しい岩の道ですが、10分ほどで終わり。
登り切った所は、平坦な尾根です。
 
この平坦な場所が「都道府県別 日本の中世城館調査報告書集成 第15巻」に書かれている「頂上から南へ90mほど下ったところに小さな尾根があってそこに3段からなる3つの削平地がある。」の場所だと思います。
 
削平地と削平地の間は明確な段差がなく、緩やかな坂でつながっているように見えます。
 
 
▲尾根上の削平地
 
削平地の中に付けられた平坦な道を北へ進み、斎藤山山頂へ最後の斜面を登ります。

山頂直前は植物がほとんどなく、どこでも歩けるような状態でした。
 
12:32
斎藤山山頂に到着(地図中「斎藤山」)。
 
削平地があるのかも知れませんが、すっかり自然に帰っていて地形が分かりません。
 
 
▲斎藤山山頂付近の様子
 
なんでこんな場所に砦を作ったのだろうと思われるかも知れませんが、御着の小寺氏の家臣が作っただけあって、御着城やその周辺がよく見えます(今は北側が濃密な藪になっていて展望はありませんが、おそらく当時は有馬道や丹波道も監視できたはず)。
 
また、この山は東側(佐土新集落方面)の尾根が急峻すぎて登れません(クライミングゲレンデになっている)し、南側の尾根は登りやすそうですが先端は急な岩の斜面で登りにくく、西側と北側は急斜面。御着城の周辺を警戒できて防御力が優れた場所だったのでしょうか。
 
 
▲斎藤山山頂付近から、歩いてきた尾根を見下ろす
 
最高所付近は休める場所がなかったので、西側に少し下ったところにあるなだらかな砂地(削平地?)で休むことにしました。
 
山城跡らしさは何も無いなぁと思っていたら、最高所から西のなだらかな場所に行く間に、堀切跡のような場所がありました。
 
 
▲堀切跡(?)道がグニャリと曲がっているところがへこんでいる
 
 
▲砂の浮いたなだらかな場所(削平地?)
 
ここで南側の展望を楽しみながら昼食を楽しむことにしました(地図中「昼食」)。
本日のメニューは、家から持ってきた残り物のオムレツと白ご飯。デザートはロールケーキ。
 
 
▲本日の昼食
 
斎藤山山頂西側のなだらかな斜面で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2016年4月10日。Ricoh Theta Sで撮影)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/saitoyama20160410/virtualtour.html
 
13:00
昼食と展望(だいぶ霞んでいましたが)を満喫したので、下山開始。
 
両手両足を使って登った岩の斜面を下るのは危ないので、西側へ延びる一般的な登山道を使って下山することにしました。
 
下山中、道の右側の藪の中を見ましたが、削平地があるようなないような。。。登山道以外は完全に藪になっているため、地形はさっぱり分かりませんでした。
 
途中、削平地かなと思われる平坦な道がありましたが、よく見ると道の両側が下り斜面。土橋状の道でした。
 
 
▲藪でよく分かりませんが、道の両側が切れ落ちた細い道
 
北西寄りに下っていた道が左へ直角に折れ曲がって南西へ進むようになってからは、巨石の間を縫うように付けられた道になり、斜度もきつくなります。
 
麓に近い等高線間隔の広い場所は、竹林になっていました。
 
 
▲竹林の様子
 
13:22
西側の登山口に降り立ちました。
 
登山口は細い路地の突き当たりにあり、「桶居山登山口」と書かれた看板がありますが、「私道」と書かれた丸い看板の方がよく目立っていました。
 
私道の看板は通行を禁止するものではなく、マナーを守って通るよう促すものです。
 
 
▲登山口の様子
 
 
▲西麓を南北に走る県道396号線から見ると、「私道」の丸い看板がよく目立っている
 
県道396号線に出たら南へ進み、最初の角を左へ曲がって白髭神社へ戻りました。
白髭神社から駐車地までは自転車で移動。
 
13:41
駐車地に到着。