播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

姫路市の書写山(置塩坂~清水坂)

警告
 今回紹介するコースは、登りは一般的な登山道ですが、下りに使用したコースには整備された登山道がなく、大半が踏み跡程度の道です。道が分かりづらい場所があるので、初心者の方や、整備された山しか歩かない方にはお勧めしません。
※今回の下山ルートは、DENALIさんの記事を参考にしています。
 
書写山ロープウェイは今日(2015年12月27日)まで定期点検のため運休しています。
つまり、いつもは賑やかな書写山上が静かに楽しめるということ。
 
ということで、書写山に登ってきました。
 
 ▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「姫路北部」
 
登りのルートは、書写吹(しょしゃぶき)から始まる置塩坂(おきしおざか)。

下山は、三等三角点(点名:書写山)を経由して行者堂へ続く、いわゆる行者道を進み、今まで歩いたことのない北の谷間(清水坂)を東へ歩いて県道67号線に戻るという周回コース。
 
書写吹の登山口周辺には車を置けないので、バスで行くことにしました。
 
使用したバスは、姫路駅09:05発の52系統(前之庄(まえのしょう)行)。
登山口の最寄りバス停は、「書写吹」です。
 
9:27
書写吹バス停で降車(地図中「書写吹バス停」)。
 
運賃は、姫路駅から書写吹バス停までが370円ですが、私は神姫バスの通勤定期を持っているため、「エコ定期券」制度(神姫バスの通勤定期を持っていると、土日祝祭日は1回の利用が100円になる制度。神姫バスの子会社の路線では利用できない。)のおかげで100円で済みました。
 
書写吹バス停から少し南へ戻ると、「竹尾ぶつだん店」があり、その南側に登山口があります。
 
 
▲書写吹書写山登口(正式名称かどうかは別として、設置されている看板にこう書かれています)
 
この登山口から始まる登山道は、置塩坂と呼ばれています。
登山口の名前と登山道の名前がまったく別物なので、注意して下さい。
 
下のURLをクリックすると、書写吹登山口の位置がGoogleマップで表示されます。
 
10:31
GPSの測位が完了したので、出発。
 
登り始めてすぐ道は二股に分かれますが、左の道の方がよく歩かれているので、間違えることはないでしょう。
 
砂防ダムのある谷を左下に見送りながら、つづら折れの尾根道を登って行きます。
道は明確で、迷いようがありません。
 
 
▲登山道の様子
 
展望はありませんが、自然林の明るい道なので快適。

登っていると体温が上がるので、12月も終わりなのに、上着(ソフトシェルと中間着)を脱ぎ、Tシャツ一枚で歩きました。
 
9:56
置塩城跡のある山がよく見える展望所がありました(地図中「展望所1」)。
置塩城について説明された看板も設置されています。
(置塩城跡については、拙ブログの記事を参照。https://dfm92431.hatenablog.jp/entry/2014/12/07/221621 )
 
 
▲展望所から見た置塩城跡
 
ちなみに、上の写真で置塩城の主郭跡の右にちらっと見えている山の上にも、城跡があります。(山頂や谷に面した斜面に削平地があり、尾根には堀切が残っています。拙ブログで一度紹介しています。https://dfm92431.hatenablog.jp/entry/2011/03/19/191323
 
10:01
先ほどの展望所は北向きに展望が開けていましたが、今度は南向きの展望所に出会いました(地図中「展望所2」)。
 
仏様が刻まれた大岩もあります。
 
 
▲展望所2の石仏
 
展望所2で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2015年12月27日)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/shosha20151227-1/virtualtour.html
 
10:14
置塩坂の山行記録をWebで見ていると必ず出て来る五輪塔に出会いました(地図中「線刻五輪塔」)。
ただの五輪塔ではなく、岩に刻まれた線刻の五輪塔です。
 
 
▲線刻の五輪塔
 
岩の高さは1.5mほどで、登山道の方に向かって少し傾いています。
 
線刻の五輪塔に出会ってからは、登山道に置かれた小さな一石五輪塔にいくつか出会いました。
 
10:20
今までは左側に谷を見下ろしながら歩いていましたが、標高300mを越えると広い谷間を左へ渡り(道ははっきりしているので、間違って谷間を登り続けることはないでしょう)、谷が右側になるように歩くことになります。
 
それも少しの間だけで、間もなくなだらかな地形の中を歩きます。

ここはマイクロバス乗り場の北東にある広い尾根で、削平地が有り、石垣やその残骸、瓦片も見られます。
往時はこの辺りにも何かが建っていたのでしょう。
 
10:31
置塩坂の終点(下山時には起点)に到着。
マイクロバス乗り場の北東、消防車が置かれた小屋の脇です。
 
 
▲置塩坂の終点/起点の様子
 
 
▲この写真中央奥の小屋の脇に、置塩坂の終点/起点がある
 
すぐ先にマイクロバス乗り場とトイレがあります(地図中「マイクロバス乗り場」)。

トイレで用を足し、摩尼殿(まにでん)へ向かいました。
迎春準備や大掃除のための軽トラックは何台も止まっていますが、観光客の姿は皆無。
 
 
▲摩尼殿
 
ひとけのない摩尼殿は良い(地図中「摩尼殿」)。
やっぱり寺院は静かでないといけません。
 
特別に許可を頂けたので、摩尼殿内部でパノラマを撮影しました。
 
こんな機会はなかなかないのに、今日は荷物の軽量化のために一眼レフとパノラマ雲台の組み合わせではなく、RicohのTHETA Sしか持っていません。
 
解像度は低いですが、摩尼殿内部の様子をご覧下さい。
 
摩尼殿内部で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2015年12月27日)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/shosha20151227-2/virtualtour.html
 
10:55
そろそろ下山に取りかかりましょう。

摩尼殿を出て、摩尼殿の石段の下にある道を北西へ。この道の先には、三つの堂があります。
※摩尼殿の裏(北)から地形図の実線道で行くことも出来ます。
 
 
▲摩尼殿の下から三つの堂へ続く道
 
三つの堂とは、大講堂・食堂(じきどう)・常行堂(じょうぎょうどう)の三つの建物で、映画(ラストサムライ)やドラマ(軍師官兵衛etc.)のロケで使用されたものです。
 
11:02
三つの堂に到着(地図中「三つの堂」)。
 
食堂
  後白河法皇の勅願により創建。室町期に建てられ、本来は修行僧の寝食のための建物。別名「長堂」とも呼ばれ、現在1階に写経道場、2階では寺宝がご覧になれます。(国指定重要文化財)
 
 大講堂
  室町中期に建てられた圓教寺の本堂にあたる学問と修業の場。 本尊の釈迦三尊像が安置されています。(国指定重要文化財)
 
 常行堂
  本尊は阿弥陀如来像で常行三昧をするための堂。中央に張り出した舞台は大講堂の釈迦三尊に舞楽を奉納するためのものです。(国指定重要文化財)
 (出典:2014年から2015年にかけて行われた「書写山圓教寺黒田官兵衛特別展」のパンフレット)
 
 
▲三つの堂の内の二つ(左が食堂、右は大講堂。大講堂の向かいに常行堂がある)
 
 
三つの堂の前で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2015年12月27日)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/shosha20151227-3/virtualtour.html
 
食堂は1階が写経等の出来るスペース、2階が展示室になっていて、通常は中へ入れるのですが、ロープウェイが運休している間は閉鎖されています。
 
大講堂と常行堂は、年間を通じて、一般客が中に入ることは出来ません。
 
三つの堂を見ていたら、手ぶらの観光客風の人たちの姿を何人か見かけました。
軽トラックではなく、お年寄りを乗せた普通のセダンが摩尼殿の方へ向かって走るのも見かけましたが、あの人達は何者なんだろう。
 
食堂の北端から食堂の西へ回り込むと、弁慶の鏡井戸の前を通り、開山堂へ続く下り坂へ入ります。
 
 
▲食堂の北端から裏へ回る
 
 
▲弁慶の鏡井戸
 
弁慶鏡井戸
 書写山には武蔵坊弁慶が少年時代を過ごしたという伝説があり、この鏡井戸や勉強机が今に伝えられている。
  昼寝をしていた弁慶の顔に、喧嘩好きな信濃坊戒円(しなのぼうかいえん)がいたずら書きし、小法師2、30人を呼んで大声で笑った。目を覚ました弁慶は、皆がなぜ笑っているのか分からない。弁慶は、この井戸に映った自分の顔を見て激怒し、喧嘩となる。その喧嘩がもとで大講堂をはじめ山内の建物を焼き尽くしてしまったと言われている。
 平成26年3月 姫路市教育委員会
 (出典:現地の看板)
 
11:11
開山堂に到着(地図中「開山堂」)。
 
開山堂
  圓教寺の開祖、性空上人をまつる堂。 書写山一千年の歴史のシンボルとして灯明が燃え続ける奥の院の中核。現在の建物は、江戸初期の開山堂建築の代表作であり、軒下の四隅に左甚五郎作と伝えられる力士の彫刻のうち北西隅の一つは、重さに耐えかねて逃げ出したという伝説が残っています。(兵庫県指定重要文化財)
  (出典:2014年から2015年にかけて行われた「書写山圓教寺黒田官兵衛特別展」のパンフレット)
 
 
▲開山堂
 
この写真で左端に写っている軽トラックの前に石段があり、その石段を下りた所は、石段も含めると五叉路になっています。
 
左は三つの堂方面、正面は金剛堂や展望台方面、右前は刀出坂、そして右が今回下山に使う行者道と一部が重なった鯰尾坂(ねんびざか)です。
 
 
▲石段の先にある道の様子
 
鯰尾坂方面へ進むと、すぐに二股の分岐に出会います。
左は下り、右は上り坂。右へ行きたくなりますが、正解は左です。
 
右に行っても、藪を漕いで尾根の上へ這い上がれば鯰尾坂につながる道へ入れますが、時間の無駄です。
 
 
▲鯰尾坂方面に入ってすぐの分岐(左が鯰尾坂。右は行き止まり)
 
上の写真を見ても何となく分かるとおり、左の道へ入ると倒木があったり竹が倒れていたりして「本当にこれが正規の登山道か?」と思うような雰囲気。
 
 
▲上の分岐を過ぎてすぐの鯰尾坂の様子
 
荒れているのはわずかな距離で、しばらくすると中世の石垣沿いの歩きやすい道になります。
 
11:20
丁字路に突き当たりました(地図中「丁字路」)。

それまで道沿いにあった荒削りな石垣とは異なり、比較的きっちりした立派な石垣があります。
この丁字路は左へ。
 
 
▲丁字路の様子
 
この先は土塁跡や削平地、土橋のような所もあり、山城跡を歩いているような気分になってしまいます。
 
 
▲土橋状の道
 
11:23
上の写真の土橋を過ぎてすぐ、下の写真の分岐に出会います(地図中「鯰尾坂・行者道分岐」)。
 
 
▲鯰尾坂と行者道の分岐
 
行者道方面は鯰尾坂のようなしっかりした道ではありませんが、山歩きに慣れている人なら明確な道に見えるはず。
 
11:28
分岐から5分ほど山道を登ると、2つのお堂に出会います(地図中「弁天堂」)。

一つは弁天堂で、もう一つには名前が分かるものがなにもありません。
 
 
▲弁天堂
 
 
▲弁天堂のそばにあるもう一つのお堂
 
弁天堂の前には、小さなお堂のものと思われる礎石が並び、弁天堂に向かって右側には「荒神」と彫られた小さな石碑があります。
 
弁天堂からわずかに登ると、平坦な道に変わります。
ここも人工的な地形で、円教寺の僧坊があったのか、あるいは秀吉が本陣として使っていた時代に郭が作られたのかな。
 
11:33
三等三角点(点名:書写山)への分岐に出会いました。
 
 
▲三角点への分岐(左が三角点。行者道は右)
 
三角点標石は、分岐からわずかな距離にあります(地図中「三等三角点 点名:書写山」)。
 
 
▲三等三角点標石(点名:書写山)
 
三角点標石の写真だけ撮り、すぐに行者道に戻って北へ進みました。
三角点から行者堂への道は、路面が苔むした岩の場所があり、滑りやすくて危険です。
 
11:39
磐座(いわくら)の脇を通過(地図中「磐座」)。
 
 
▲磐座
 
11:42
シダが生い茂る道を下っていくと、行者堂のある広い谷間に出ました(地図中「行者堂」)。
 
 
▲行者堂とその周辺の様子
 
当初はここで昼食を摂ろうかと思っていたのですが、空が曇ってきて薄暗いため、もっと先で良い場所に出会ってから食べることに予定を変更。
 
行者堂に向かって行者堂の前に立ち、右後ろを見ると谷へ下る道が見えます。
 
 
▲弁天堂前の道の様子
 
11:50
谷へ下る道を進むと、すぐに沢に作られた行場に出会いました(地図中「行場」)。
 
 
▲行場の様子
 
明確な道があるのはここまで。

この沢を下って下山するつもりでしたが、沢は荒れていて歩きにくそう。
左岸と右岸を比べると左岸の方が歩きやすそうなので、左岸を下っていきました。

沢の左岸には、所々ロープが張られています。
 
 
▲行場のある沢の様子(左岸にロープが張られている)
 
足下が悪いので、張られているロープにはずいぶん助けられました。
 
こんな荒れた沢でも途中で斜面に石垣を見かけたので、昔は人の行き来があったのかも知れません。
 
10分ほど沢を下っていくと、ロープに導かれて歩きやすい道に入りました。
 
 
▲一部、歩きやすい場所もあった
 
しかし、その歩きやすい道も5分ほどで終わり、ガレた道になります。
ガレた道を慎重に下っていると、鹿が一頭、私の前方50mほどを軽やかに横切っていきました。
 
 
▲下ってきた道を振り返る
 
12:17
徒渉地点がありました。
今まで沢の左岸を下ってきましたが、ここで右岸に渡ります。
 
 
▲徒渉地点の様子
 
12:21
再び徒渉し、左岸に戻ります。
 
木々のすき間の向こうに広い空間が見えてきました。
 
12:24
広い谷間に出ました(地図中「棚田跡」)。
始めは不思議な地形だなと思いましたが、周囲を見ると石垣があります。
 
「寺院跡か?」とも思いましたが円教寺がすぐ上にありますし、瓦片や石仏、五輪塔といった寺院につきものの石が一切見当たりません。
ということは、棚田でしょう。
 
 
▲棚田跡の様子 
 
棚田跡で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2015年12月27日)
 
展望はありませんが、明るくて広い自然林の森なので、気分良く食事が出来そう。
というわけで、ここで昼食を摂ることにしました。
 
本日のメニューは、牛とじ丼とみそ汁。
 
 
▲本日の昼食
 
風もなく、時折茂みの中から「ガサゴソ」と小動物が動く音がする以外は、何の物音もしません。
とにかく静か。静かすぎて不気味なほどです。
 
13:12
昼食休憩を終え、出発。
 
谷を流れる沢の右岸を最初は南東へ進んでいたのですが、右岸の道は突然消滅し、左岸へ渡らざるを得なくなります。
 
 
▲沢の右岸から左岸へ渡る場所の様子(左岸の道は石積みで補強されている)
 
すると、今度は左岸の道が消えて右岸へ渡らないといけなくなりました。
 
 
▲沢の左岸から右岸へ渡る場所の様子
 
ここで沢の右岸側の棚田跡を改めて眺めてみましたが、かなりの規模に驚かされます。
 
 
▲棚田跡の様子
 
南東の明石養鶏場を目指すため、ここからは基本的に沢の右岸を意識して歩いて行く必要があります。
棚田跡を過ぎると右手側に新たな沢が出てきますが、これも右へ徒渉。
 
やがてしっかりした道が現れ、それは車が走れるほどの幅の道路になりました(地形図の実線道)。
 
 
▲地形図実線道の様子
 
13:34
かぐわしい香りがしてきたと思ったら、明石養鶏場の建物が視界に入りました。
この辺りから、路面はグジュグジュの泥。
 
 
▲明石養鶏場を右に見ながら実線道を進む
 
登山靴はドロドロになるし、ズボンの裾には跳ねた泥がついてかなり汚れてしまいました。
と思ったら、よく見ると小さな泥汚れと思っていたものはダニ!
 
結構な数のダニがズボンにくっついていたので、アスファルト舗装の道路に出てから時間をかけてゆっくりズボンからはじき飛ばし、これからバスに乗るのにふさわしいよう身だしなみを整えました(藪っぽいところを通ったので植物片や蜘蛛の巣があちこちに付いていた)。
 
13:50
書写吹バス停に到着。次のバスは14:30。
 
40分もボーッと待つのは退屈なので、玉田バス停までのんびり歩き、そこからバス(51系統 姫路駅行)に乗って帰りました。
 

今回の下山に使ったルート(清水坂)ですが、棚田跡から先は、所々で後方から道が合流している地点がありました。
つまり、このルートで登ろうと思うと、いくつかの分岐に出会うわけです。
 
どれが正しい道なのか非常に分かりにくいですし、棚田から南西向きの谷を上る道も非常に分かりづらいと思います。
 
初めてこのルートを歩かれる方は、まず一度下ってみてルートを正確に把握することをオススメします。
 
冒頭にも書きましたが、今回の下山ルートはややこしいので、初心者の方や航法関連装備(地形図、コンパス、GPS)が不十分な方は歩かないで下さい。