本日は滋賀県の今津駐屯地の記念行事に行くつもりにしていたのですが、財布の中身と相談した結果、行くのは止めにしました。
代わりにどこに出かけようと考えましたが、車検に出していて車が使えない(代車は借りていない)ので、自転車か公共交通機関で行ける場所でないとだめ。
そこで思いついたのは、以前から興味があった相生市の宮山。
今年の春か夏にネットで見つけて、簡単に登れるのに展望が良く、登山道自体も岩場が多くて楽しそうなことは知っていました。
暑い時期に低山を歩くのは無謀なので今まで避けていましたが、涼しくなってきた今の時期なら問題ないでしょう。
登山口となる那波八幡神社まではJR相生駅から約1.5km。
徒歩でも行けますが、私は横着なのでレンタサイクルを使うことにしました。
徒歩でも行けますが、私は横着なのでレンタサイクルを使うことにしました。
09:39
JR姫路駅を播州赤穂行きの列車で出発。
JR姫路駅を播州赤穂行きの列車で出発。
09:58
JR相生駅に到着。運賃は¥410。
JR相生駅に到着。運賃は¥410。
南出口から出て左前方を見ると、「駅レンタカー」の看板がある小屋が建っています。
レンタサイクルはその駅レンタカーで借りるのですが、私の前に来ていた女性もレンタサイクルを借りるらしく、受付の女性が自転車を準備し始めたのですが、次から次へと自転車を用意しています。
レンタサイクルはその駅レンタカーで借りるのですが、私の前に来ていた女性もレンタサイクルを借りるらしく、受付の女性が自転車を準備し始めたのですが、次から次へと自転車を用意しています。
合計3台の自転車が用意された頃、先に来ていた女性客に2人の女性が合流し、3人で自転車に乗って走り去りました。
受付の横を見ると、残っている自転車は1台。
受付の女性に「良かったですね。自転車が残っていて。」と言われながら書類に記入し、自転車を借りました。
受付の女性に「良かったですね。自転車が残っていて。」と言われながら書類に記入し、自転車を借りました。
ここのレンタサイクルは、時間制ではなく1日¥500というシステム。
1時間だけ借りても、5時間借りても料金は同じです。
1時間だけ借りても、5時間借りても料金は同じです。
スマホのGoogleマップを頼りに、宮山の一般的な登山口である八幡神社を目指しました。
10:17
八幡神社に到着(地図中「八幡神社」)。
境内の隅に自転車を置きました。
八幡神社に到着(地図中「八幡神社」)。
境内の隅に自転車を置きました。
10:23
支度を調えて出発。
拝殿に向かって左側、八幡保育所の建物の北側に登山口はあります。
支度を調えて出発。
拝殿に向かって左側、八幡保育所の建物の北側に登山口はあります。
登山口から階段道を上っていくと石垣に突き当たるので、右へ。
この石垣の上には、荒木貞夫陸軍大臣の揮毫による立派な忠魂碑が立っていますが、私は下山時にゆっくり見物しました(地図中「忠魂碑」)。
ちなみに、この忠魂碑を見るには、石垣に突き当たって左へ進みます。
▲忠魂碑(下山時に撮影)
突き当たりから先は竹藪の脇を通り、墓地の中を登ります。
墓地を抜けると、路面は板状節理が目立つ岩になります。
表面が濡れていましたが、節理のギザギザがあるので滑らないだろうと気楽に歩いていたら、何故か滑るところがあったので、その後は慎重に歩きました。
表面が濡れていましたが、節理のギザギザがあるので滑らないだろうと気楽に歩いていたら、何故か滑るところがあったので、その後は慎重に歩きました。
その先は普通の低山らしい道になりますが、よく見るとやはり路面は岩。山全体が岩山なのかな。
▲登山道の様子
10:32
左下から道が合流する地点を通過(地図中「合流地点」)。
地形図に描かれている破線道のようです。
左下から道が合流する地点を通過(地図中「合流地点」)。
地形図に描かれている破線道のようです。
10:35
二股の分岐に出会いました(地図中「分岐」)。
道標はありませんが、左は下りなので右へ進みました。
二股の分岐に出会いました(地図中「分岐」)。
道標はありませんが、左は下りなので右へ進みました。
この分岐から先は、地形図にも描かれているとおり岩尾根です(地図中「岩場」)。
振り返ると相生市街地を見下ろせる素晴らしい区間。
振り返ると相生市街地を見下ろせる素晴らしい区間。
この岩場の先で道は普通の山道に戻りますが、またすぐ岩場になります。
今度の岩場は、先ほどとは違って表面に砂利が浮いていて、少し歩きづらい。
今度の岩場は、先ほどとは違って表面に砂利が浮いていて、少し歩きづらい。
10:46
昔の人なら神聖視しそうな、奇妙な岩に出会いました(地図中「磐座」)。
垂直に飛び出したゴジラの背びれのような岩に囲まれた中に、平らな岩があります。
昔の人なら神聖視しそうな、奇妙な岩に出会いました(地図中「磐座」)。
垂直に飛び出したゴジラの背びれのような岩に囲まれた中に、平らな岩があります。
この磐座を過ぎると、すぐに宮山の山頂です。
10:48
宮山の山頂に到着。
宮山の山頂に到着。
途中で着替えたり景色を眺めたりしていたのに、それでも登山口から25分で着きました。
健脚の人が普通に歩けば15分~20分で登れそうです。
宮山の山頂には、正月に国旗を掲揚するためのポールがあるとネットに書かれていましたが、残念ながらそれは根元から倒れていました。
このポールの根元の横には正体不明の「+」が刻まれたコンクリートの台座があり、さらにその横に三等三角点標石が埋まっています。
ポールの根元や三角点のある山頂は、木々に囲まれてほとんど展望がありませんが、南に少し下った岩の斜面からは、相生市街を広く眺めることが出来ました。
宮山山頂近くで撮影した全天球パノラマ(撮影日:2015年11月22日)
https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/miyayama20151122/virtualtour.html
この景色を眺めながら食べる本日の昼食は、エスプレッソ・パスタ(唐辛子入りトマトソースのレジネッレ)。
出来上がりはパッケージのイメージ画像と全く別物ですが、唐辛子が効いていて美味しい。
出来上がりはパッケージのイメージ画像と全く別物ですが、唐辛子が効いていて美味しい。
パスタを食べた後もボーッと景色を楽しみ、引き続きデザート(井村屋のしるこ)を食べてリラックス。
12:15
十分に食事と景色を楽しんだので、下山開始。
往路をそのまま引き返しました。
十分に食事と景色を楽しんだので、下山開始。
往路をそのまま引き返しました。
登りでは気づきませんでしたが、このルートの標高の低い区間は、道の両側に削平地があるように見えます。
よく見ると、塀の跡らしき物もありました。
山の上の方には削平地や堀のようなものは無かった(城なら見晴らしの良い場所に痕跡があるはず)ので、寺院か神社の跡でしょう。
昔の八幡神社は山中にあり、それが現在の場所に移動したのでしょうか。
12:41
私は途中で削平地や塀、忠魂碑を見物したので下山に26分かかっていますが、普通はもっと早く下りられるはずです。
私は途中で削平地や塀、忠魂碑を見物したので下山に26分かかっていますが、普通はもっと早く下りられるはずです。
山頂から南東に見えた丸い大島山(地図中「大島山」)が気になったので、自転車で大島山へ向かいました。
大島山の由来大島山は 蝦江(相生湾)に浮かぶ翠の美しい離れ島であった保元2年に小千通清が架僑し次に赤松氏が船橋をかけて則村の時にここに城を築いた その後赤松氏の家臣宇野弥三郎重氏と速弥太の兄弟が城主となったこの城は大島城と称し別名浜御殿と呼ばわれるほどの美しいものであった宇野氏の後海老名弾正に恩賞として与えられたが建武の役に弾正の軍が敗走し嘉吉の役に惜しくも焼失してしまったその後宝永7年前川新右衛門が那波新田を開墾した際陸つづきとなった大島山は 藤の名所として知られ往時より武将をはじめ里人たちが藤見の宴に興じたと云われる頂上西側の井戸(通称ブツブツ井戸と呼び疣とりの名薬といわれた)の傍にひと抱えもあるほど藤かずらがうねっていたが昭和12年9月の大風に根こそぎ倒され枯死してしまった頂上には金毘羅 住吉の両社と地蔵堂があり年々歳々祭礼が行われていた殊に地蔵祭は里人が手ん手に松火をかざして参拝する珍しい祭りで深い茂りの中に点滅する松火が海面にうつる美しさは夏の夜の風物詩であった縄の浦ゆ背向にみゆる沖つ島こぎみる船は釣しすらしもこの万葉集の短歌は 1300年に山部赤人が那波の浦を詠んだ歌で当時離れ島であった大島も沖つ島の一つであったことだろうとおもわれる昭和50年12月平成13年11月那波クラブ創立30周年記念事業(出典:現地の看板 原文まま)
地形図では北側から実線道が反時計回りに描かれていますが、現地に行くと、その実線道(車道)の他に登山道もありました。
写真に写っている石碑をみて分かるとおり、この山は城跡のようです。
▲大嶋城址の石碑
自転車を登山口に止め、つづら折れの道を上ってみました。
この道は、古い石段の中央にコンクリートのスロープが付けられたものです。
この道は、古い石段の中央にコンクリートのスロープが付けられたものです。
小さな山なので、あっという間に山頂に到着しました。
山頂には善光寺というお寺があります。
大島城跡(相生市那波大浜町)この大島城は、長治元年(1104)播磨海老名(えびな)の祖、家季(いえすえ)がここに城郭を築いたのがはじまりといわれています。城主海老名氏は、代々、矢野庄別名(やのしょうべつみょう)の下司職(げししき)、矢野庄例名(れいみょう)の地頭職(じとうしき)等に任ぜられた豪族です。建武3年(1336)、別名の下司職であった七代景知(かげとも)は、赤松円心に属し、弟の詮季(あきすえ)や同族の泰知(やすとも)と共に白旗(しらはた)城にたてこもって、新田義貞(にったよしさだ)軍と戦い功績をあげましたが、留守にしていた大島城は、新田軍に組した者によって焼き落とされたといわれています。また、江戸時代中期の文書によると、「大島城は那波城とも言う。丘ノ台は二の丸で矢倉跡、今は畠となる」とあって、この城の規模を知る手がかりとなります。相生市教育委員会(出典:現地の看板)
下山には車道を通りましたが、車道は両側に郭跡らしき削平地のようなものが見えました。
大島山の北麓からは、宮山の姿を綺麗に眺めることが出来ました。
13:15頃
JR相生駅南口に戻り、レンタサイクルを返却。
JR相生駅南口に戻り、レンタサイクルを返却。
13:25
13:19発の姫路行きの普通電車が6分遅れで到着し、これに乗って姫路駅へ戻りました。
13:19発の姫路行きの普通電車が6分遅れで到着し、これに乗って姫路駅へ戻りました。