播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

広島平和記念公園と広島城

本日は、余っていた振替休日を利用して広島へ出かけてきました。
平和記念公園周辺と広島城を見るのが目的です。



▲本日のルート(起点は「袋町」電停)


9:30頃
新幹線で広島駅に到着。

広島駅の南側に路面電車(広電)の乗り場があります。
ここの案内所で「電車一日乗車券(¥600)」を購入。

先ずは平和記念公園へ行くために、1番の路線の路面電車に乗りました(路面電車は後乗り前降り、後払い。運賃は一律¥160)。

平和記念公園の最寄り電停(「でんてい」。路面電車の駅)は、「袋町(ふくろまち)」です。

10:00過ぎ
「袋町」電停で下車(電車一日乗車券を持っている場合は、それを乗務員に見せて下車すればOK)。

すると、目の前に何やらレトロな建物が建っているのに気づきました。
建物の前に立っている看板を読むと、それは旧日本銀行広島支店の建物で、無料で内部を見学出来るとのこと。

しかも、今は広島平和祈念資料館の収蔵資料展が行われています。


▲旧日本銀行広島支店

展示品の撮影は禁止ですが、建物内部の撮影は認められていました。


▲1階の天井付近

地下も収蔵資料展会場になっていたのですが、その会場が珍しい。
なんと、金庫室です。


▲金庫室の扉(厚さに注目)

2階の支店長室も見学が可能になっていましたが、その室内の壁(窓の向かい側)に原爆の爪痕が残っています。それは、ガラスが刺さった跡。

爆風で吹き飛ばされたガラスの破片が激しい勢いで飛散し、壁に突き刺さったのです。


▲支店長室の壁に残るガラス片の跡

11:40頃
旧日本銀行広島支店の見学に要した時間は90分近く。

もうお昼ご飯を食べても良い時間だったので、食べログに掲載されていた穴子料理のお店へ向かいました。
場所は、本通り商店街の「月あかり」というお店。

旧日本銀行広島支店を出たら西へ向かい、元安川に突き当たって右へ。
「元安橋(東)」交差点を右へ曲がると、アーケードのある商店街が見えます。


▲本通り商店街(元安橋付近)

11:50頃
そのアーケードに入ってすぐ右にそのお店はありました。

二人がけのテーブル席がいくつかあるので、一人で行く場合も問題ありません。実際、サラリーマンが一人でそのテーブル席でランチを食べていました。

今日食べたのは「穴子・カキ膳」。あなご飯と牡蠣フライ、みそ汁、そして小鉢が付いて¥1,713(税別)。

あなご飯を食べていると、途中で出汁と茶碗を持ってきてくれるので、あなご飯を茶碗によそい、薬味を載せて出汁をかけると、美味しいお茶漬けも楽しめます。

12:35頃
豪勢なランチを満喫し、お店を出ました。

平和記念公園の南端にある平和記念資料館を見てから北へ進んで原爆ドーム、そして広島城を見学するつもりだったので、国道54号線(鯉城通り)を通って一旦南へ。

途中、旧日銀広島支店前をまた通ったのですが、ちょうど路面電車が袋町電停に止まっていたので、両方を撮影。


▲旧日銀広島支店と路面電車

鯉城通りと平和大通りが交差する所にNHK広島放送局があり、その2階にスターバックスがあります。
昼ご飯の後、甘い物が食べたい口になっていましたし、何より暑かったので、そのスタバに寄り道して休憩。

13:20頃
スタバを出て平和大通りを西へ進み、元安川にかかる平和大橋を渡って平和記念公園へ向かいました。


▲平和大橋

河川名 太田川水系
元安川太田川は、広島県西部の中国山地に源を発し、広島デルタを育て、市民の生命源となっています。
藩政時代から昭和初期にかけての太田川は、川舟交通の大動脈としての役割を果たし、本川・元安川の河岸は船着場として大変賑わいました。
元安川の名は、毛利時代に架けられた広島城下町の重要な橋の一つ、元安橋(昔元康橋)に因んでつけられたと伝えられています。
贈 広島太田川ライオンズクラブ 1978
(出典:平和大橋の西にある石碑)

13:30頃
広島平和記念資料館に到着。

ものすごい数の観光バスが駐車場に止まっていて、様々な国のボーイスカウト、ガールスカウトの子ども達が資料館の内外にいました。


▲広島平和記念資料館

資料館の入館料は大人一人¥50。
館内の撮影は、フラッシュを使わなければOK。

受付で支払いを済ませて展示を見に行こうと思ったら、NHKの方に「8Kのスーパーハイビジョンのパブリックビューイングを行ってます」と声をかけられ「8K!?どんな画質なんだ」と興味が湧いたので、地下の上映会場へ直行しました。

パンフレットによると、8Kの映像は3,300万画素(ハイビジョンの16倍)の画質で、音声は22.2チャンネル。

上映されていたのは、広島平和記念資料館の展示品を撮影した映像と、それを詳しく説明するナレーション音声。

大型ディスプレイに映った映像を見て感動しました。
まるで高解像度の印刷物のような素晴らしい画質です。しかも、それが動いているのです。

映っていた血染めのワンピースは、繊維の糸が見えるほど。
熱で変形したアルミの弁当箱も、表面の細かい傷が一本一本全て見えます。

映像の中身より、とにかく画質にばかり目が行ってしまいました。
とにかくすごい。

1階へ戻り、受付前を通って順路に従って2階へ向かおうとしましたが、ボーイスカウト、ガールスカウトの子ども達で資料館内はごった返していました。

展示をゆっくり見ている余裕はありません。


▲広島市街地のジオラマと、原爆の火球(火球の高さと直径、街のサイズの比率は実物同様)


▲原爆の実物大模型(弾頭付近のアンテナは、起爆タイミングを制御するための電波高度計)

14:50頃
とにかく人であふれかえっていた資料館を出ました。

資料館の北側は、平和祈念式典の準備が整い、テントと大量の椅子が並べられていました。


▲平和祈念式典会場の様子(奥に見える行列は世界各国のボーイスカウト、ガールスカウトのメンバー)


▲原爆死没者慰霊碑(奥に原爆ドームが見える)

15:00頃
今度は、原爆死没者慰霊碑のすぐ東にある国立広島原爆死没者追悼祈念館へ入ってみました(入館無料)。
こちらは人がほとんどおらず、静か。


▲国立広島原爆死没者追悼祈念館

インパクトがあるのは、死没者数と同じ14万のタイルを使って描かれた被爆後の街並み。
これがあるのは、平和祈念・死没者追悼空間と呼ばれる場所です。


▲追悼祈念館内の平和祈念・死没者追悼空間

15:10頃
国立広島原爆死没者追悼祈念館を出て、北にある原爆ドームへ向かいました。

が、暑い。とにかく暑い。
元安橋の西詰めにあるレストハウス(休憩所)に入って一息つきましたが、普通のジュースやアイスクリームで体を冷やすのは芸がありません。


▲レストハウス


▲レストハウスの向かい側には「原爆の子の像」(周囲にあるのは無数の千羽鶴)

原爆の子の像
建立者:広島平和をきづく児童・生徒の会
制作者:東京芸術大学教授 菊池一雄氏
 この像は、2歳の時に被爆した佐々木禎子さんが、10年後に白血病で亡くなったことをきっかけに、同級生たちが、「原爆で亡くなったすべての子どもたちのために慰霊碑をつくろう」と呼びかけ、全国の3,200余りの学校や世界9か国からの寄付などにより、1958年5月5日に完成したものです。
 像の高さは9メートルで、その頂上には折鶴を捧げ持つ少女のブロンズ像が建ち、平和な未来への夢を託しています。側面には少年と少女の二体の像が配されています。
 像の下に置かれた石碑には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」という碑文が刻まれています。内部につるされた鐘には、ノーベル物理学賞受賞者である湯川秀樹博士の筆による「千羽鶴」、「地に空に平和」の文字が彫られています。この鐘と金色の鶴は、2003年に複製されたものです。
広島市
(出典:現地の看板)

昼ご飯を食べに行くとき、元安橋の東詰におしゃれなカフェがあって、そこでジェラートが売られているのを見ていたので、ジェラートを買うことにしました。


▲カフェでジェラートを購入

15:40頃
ジェラートを食べながら元安川沿いに北へ進むと、動員学徒慰霊塔の横を通ってまもなく、原爆ドームに到着しました。


▲動員学徒慰霊塔


▲原爆ドーム(南から)


▲原爆ドーム(北から)

原爆ドーム
昭和20年8月6日 史上はじめての原子爆弾によって破壊された旧広島県産業奨励館の残骸である
爆弾はこの建物のほぼ直上約600メートルの空中で爆発した
その1個の爆弾によって20万をこえる人々の生命が失われ 半径約2キロメートルに及ぶ市街地が廃墟と化した この悲痛な事実を後世に伝え人類の戒めとするため 国の内外の平和を願う多数の人々の基金によって補強工事を施し これを永久に保存する
 昭和42年8月6日 広島市
(出典:現地の石碑)

これで平和記念公園の見学は完了です。引き続き、広島城へ向かいました。
原爆ドームから広島城へ行くには、旧広島市民球場の跡地を通り抜け、広島県立総合体育館の敷地を通り、道標に従って地下通路へ潜って進みます。


▲旧広島市民球場跡地


▲広島県立総合体育館

広島県立総合体育館から広島城へは、案内標示に従って地下通路を通ります。
道路には横断歩道がありませんので、必ず地下通路を通ってください。

体育館があるのは交差点の南西、広島城は北東にあるので、方向を意識しながら地下通路を歩かないといけません。

16:00頃
「県立総合体育館前」交差点の北東、広島城の南西に到着。
広島城に似つかわしくない噴水があり、その向こうに大天守が見えていました。


▲噴水と広島城

噴水の脇を通って東へ進み、橋で堀を渡ると表御門です。
見ての通り新しいもので、平成に入ってから建造されています。


▲表御門

表御門をくぐった先は、二の丸です。
この二の丸は、近世の城としては珍しい「馬出し」になっています。城好きの方は、この形だけは楽しめるかも。

二の丸の南西隅には平櫓、南東隅には太鼓櫓があり、その間に多聞櫓があります。
これらは全て中に入ることが出来ます(土足厳禁)。

太鼓櫓には本当に太鼓が置かれていて、自由に叩くことも可能。


▲多聞櫓内部の様子

二の丸から橋を渡って北へ進むと、最も広い本丸跡に入ります。

本丸に入ってすぐ左には護国神社があり、その南には中国軍管区司令部の防空作戦室(地下壕)入口が遺されています。
残念ながら厳重に封鎖されていて中へ入ることは出来ませんが、貴重な戦跡ですから、広島城へ行く機会があれば、是非この地下壕の遺構も見てください。


▲広島護国神社


▲中国軍管区司令部の防空作戦室入口(フェンスのすき間にカメラのレンズを通して撮影)

広島護国神社の鳥居の北には売店があり、その右に石段があります。
石段を登ったところは、広島大本営跡。

これは、日清戦争時に大本営が置かれた場所ですが、ずいぶん小さい印象を受けました。

このときは、帝国議会も広島で開会されたそうです。


▲広島大本営跡

16:30頃
大本営跡の北西にある階段を登ると、いよいよ広島城の大天守です。


▲広島城天守閣

入口で¥370を支払って中へ。
靴は脱がなくても良いとのこと。

中に入ってがっかり。
外観が復元されているだけで、基本は鉄筋コンクリート造りの博物館です。

内部の展示はなかなか興味深くて良いのですが、味気ない。(内部は撮影禁止のため写真はありません)
最上層からは大展望が得られるのが救いでした。

17:15頃
天守閣を出て、旧広島市民球場跡近くの「紙屋町西」電停へ徒歩で移動。

路面電車で広島駅へ向かい、予め切符を買っておいた18:00過ぎの新幹線で姫路へ帰りました。

時間が余るかと思っていましたが、逆に時間が足りないほど。
広島を満喫するには泊まりがけで出かける必要がありそうです。