今日は大気の状態が不安定とのことなので、山へは出かける代わりに、姫路市立城郭研究室による第2回市民セミナー「姫路城平成の保存修理について-最新技術と古来技術のコラボレーション-」を聞きに行ってきました。
事前申し込み不要(先着順)で無料とのことで、何の準備もせず出かけました。
姫路市立城郭研究室は、日本城郭研究センター(城内図書館)、つまり博物館の北側、図書館の2階にあります。
「姫路城平成の保存修理について-最新技術と古来技術のコラボレーション-」をテーマにした講演の講師は、姫路城平成の大修理を担当した国宝姫路城保存修理JV(ジョイント・ヴェンチャー/共同企業体)の元・工事事務所所長、野崎信雄(のざきのぶお)氏。
13:30開演、席数180というものでしたが、開園時間が近づいた頃には、座席はほぼ埋まっていました。
職員の方の紹介によると、講師の野崎氏は鹿島建設の方で、この6月に退職される、つまり技術者としての職歴の中で姫路城の大修理が最後の大仕事になった方です。
最初に姫路城の修復の歴史をまとめた8分の映像が流され、続いて鹿島建設の工事記録映像(約30分)が上映された後、講師の方のお話を聞くというものでした。
最初の短編映像によると、姫路城は廃城令が出た後に、陸軍(当時は姫路城内に駐屯していた)によって最低限の補修が施されましたが、明治中期には廃墟のようになり、大正時代に市民の請願によって国が補修。
さらに昭和初期にも補修が始まりましたが、太平洋戦争の影響で中断し、戦後に再び市民の厚い要望で修理が再開され、今回の平成の大修理までその美しい姿を保ってきたとのことです。
続く30分の動画では、平成の大修理の様子が具体的に、かなり細かいところまで解説されていました。
平成の大修理では、鉄骨組の構台と巨大な素屋根が印象的でしたが、消防法により溶接や火花が出る作業が全て禁止されているため、あんなに巨大な構造物を組み立てるのに全てボルト留め。
大きな鋼材を運ぶために巨大なクレーンが必要なのですが、壕にかかっている橋はそんな大重量(80tクレーンと360tクレーンを使用)に耐えられないため、橋の上に仮設の橋をかけるという工事も行ったそうです。
素屋根を支える鉄骨が組立時に天守に当たると大変なことになりますが、大天守の北西は、大天守と小天守の間の渡り櫓があり建造物が密集しているため、玉掛け職人とクレーンオペレーターの熟練の技が要求されたそうです。
瓦は合計75,000枚を葺き替え(再利用できる物は利用)、交換用の瓦は職人の手造り。鯱(しゃち)も傷みが激しかったため交換。
この屋根の葺き替え工事で2年。
漆喰も全て撤去し、当時の素材で作ったものを左官職人が塗り、建具なども修復を行いましたが、この作業に3年。
平成の大修理が始まったときは「現代の技術で工事をするのに、なんで5年もかかるんだ?」と思っていましたが、素屋根は最新技術で作れても、城を作る技術は昔のままだったので、これほど時間がかかったんですね。
難関だったのは、素屋根の撤去だそうです。
素屋根の下には新築同様の大天守があるため、撤去作業時にボルトを落として屋根に当てたり鉄骨を壁にぶつけたりすると、それまでの作業が水の泡になるため、とにかく慎重な作業が求められたそうです。
映像を見終わった後は、講師の方からもっと細かい苦労話などのお話がありました。
・お城全体が文化財のため、地面に測量のための杭や釘を打てない。6.5cmの釘を地面に打っただけで大目玉を食らったそうです。
重量のある車両を走らせると、地中の遺構が傷むとのことで(何もしていない路面でダンプを走らせたときも怒られたそうです)、車両の通路や構台の土台となる部分は、元々の路面の上に砂利を数十センチの厚みで敷き詰め(荷重の分散用)、その上にコンクリートを打設したそうです。
重量のある車両を走らせると、地中の遺構が傷むとのことで(何もしていない路面でダンプを走らせたときも怒られたそうです)、車両の通路や構台の土台となる部分は、元々の路面の上に砂利を数十センチの厚みで敷き詰め(荷重の分散用)、その上にコンクリートを打設したそうです。
やはり構台や素屋根の重量により地盤は沈下したそうですが、計算通りの沈下で問題はないとのことでした。
・規制が厳しく、火花が出る作業が一切出来ないので、溶接は不可能。
屋根瓦の下の棧が腐蝕しないように「捨て銅板」を取り付ける際も、銅板どうしをつなぐのにかしめたり、半田付けをするしかなかったそうです。
漆喰の材料としてノリを煮詰めたものも使うそうですが、現場では火を使えないので、電気釜で煮込んだとのこと。ちなみに、漆喰の材料として必要な貝灰は、九州に1軒か2軒しか作っているところがなく、調達するのが難しかったとのことでした。
また、素屋根の組立や撤去の時に巨大なクレーン(あれはマンション工事で見かけるようなタワークレーンではなく、自走式のクローラークレーンだったそうです)がありましたが、あれが燃料を使って動く(火を使う)ので、勝手に建物の近くで走らせるのは違法。クレーンを動かすのにも申請を出して許可を受ける必要があったそうです。
屋根瓦の下の棧が腐蝕しないように「捨て銅板」を取り付ける際も、銅板どうしをつなぐのにかしめたり、半田付けをするしかなかったそうです。
漆喰の材料としてノリを煮詰めたものも使うそうですが、現場では火を使えないので、電気釜で煮込んだとのこと。ちなみに、漆喰の材料として必要な貝灰は、九州に1軒か2軒しか作っているところがなく、調達するのが難しかったとのことでした。
また、素屋根の組立や撤去の時に巨大なクレーン(あれはマンション工事で見かけるようなタワークレーンではなく、自走式のクローラークレーンだったそうです)がありましたが、あれが燃料を使って動く(火を使う)ので、勝手に建物の近くで走らせるのは違法。クレーンを動かすのにも申請を出して許可を受ける必要があったそうです。
・素屋根の壁となっていた幕ですが、通気性が無ければ風の影響をもろに受けて飛ばされる(一般的な工事現場では、台風接近時に幕を畳んでいる)ので、姫路城の修理で使った幕は、風や雨を30%通すようになっていたそうです。そのため、悪天候時は素屋根の中なのにブルーシートをかける等の対策が必要だったとのこと。
・構台や素屋根に使われた鋼材は、スクラップとして売却。それによって得られる金額分は、工事費から発注時に引かれていたそうです。
他にも色んなお話があり、飽きたり眠くなること無く、最後まで楽しめました。
市民セミナーは月に1回のペースで行われている(一部は事前申し込みが必要)ので、興味のある方はぜひどうぞ。