播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

たつの市の指定文化財「八瀬家住宅」特別公開

神戸新聞を見ていると、私の住む姫路市の西隣、たつの市にある八瀬家住宅が特別公開されるという記事があったので、今回の特別公開(2014年11月22日~同23日)最終日である本日、見学に行ってきました。
 
 
▲八瀬家住宅の位置
 
 
以前、たつの市にドライブに行ったときに八瀬家住宅に立ち寄ったことはあるのですが、門が閉ざされていて公開されている雰囲気がありませんでしたし(たつの市のホームページによると「通常非公開」)、専用の駐車場も無く、建物が保存されているだけなのかと思っていました。
 
車で見学に行って路頭に迷うのは困るので、車を止める場所があるのかどうか、たつの市のホームページで特別公開のポスター(PDFファイル)を見ると、近くに駐車場が設けられているとのこと。
これなら車で安心して見に行けます。
 
姫路市街の自宅から車で国道2号線を西進し、国道179号線に入って龍野へ向かったのですが、山陽自動車道沿いに西へ進む道が大渋滞。

揖保川を渡ると渋滞は収まりましたが、河川敷にたくさんの車が止まっていたので、何かイベントがあり、その影響で混んでいたのでしょうか。
揖保川を渡ると、県道5号線。

この道路を西へ進み、「揖西東小学校前」交差点を右折して住宅街の中を道なりに走っていると、八瀬家見学者用の臨時駐車場への案内看板があったので、それに従って臨時駐車場(普段は月極駐車場)に駐車。
 
途中の渋滞のせいで、片道20kmほどの道のりにかかった時間は1時間以上。
 
臨時駐車場は、八瀬家住宅の東約140mの位置にある月極駐車場で、契約者のいない枠が見学者用に開放されていました。
 
 
▲臨時駐車場の様子
 
八瀬家住宅の入口には大きな看板が立ち、何人もの見学者で賑わっていました。
 
 
▲八瀬家住宅入口の様子
 
写真に写っている看板の内容は、次の通りです。
 
龍野市指定文化財第3号
建造物 「八瀬家住宅」
所在地 龍野市揖西町中垣内甲296番地
所有者 たつの市
指定日 昭和48(1973)年3月17日
概 要
 八瀬家は旧龍野藩領内を代表する豪農である。文献によって元禄9(1696)年に郷目付(ごうめつけ)、天保6(1835)年には西組大庄屋を努めたことが確認される脇坂龍野藩内に現存する唯一の大庄屋の遺構である。
 現在の建物は、普請帳(ふしんちょう)から寛政4(1792)年には建築されていたことが確かめられるが、それよりも古い可能性も考えられる。保存も良好で改変が少なく、建築当初の面影がよく残っている。
 平面は、土間沿いに三室が並ぶ九間取りを基調としており、上ノ間・次ノ間の正面に一間ごとに柱を立てるなど、古い建築様式が見られる。屋根は茅葺(かやぶ)き寄棟造(よせむねづくり)で、棟に本瓦葺きの切妻をのせ、庇(ひさし)部分も本瓦葺きである。なお、土間上部の小部屋は巨木を組み合わせた見事なものである。
 広い庭園が建物の南西に築かれているが、八瀬家には藩主脇坂安宅(やすおり)が御成(おなり)の伝承があり、庭園はおそくとも19世紀中頃には完成していたと考えられる。築山と瓢箪(ひょうたん)池に亀島を配した構成も素晴らしい。
平成16(2004)年3月設置 龍野市教育委員会
(出典:現地の看板)
 
 
▲看板に描かれたイラスト
 
八瀬家の建築
 八瀬家住宅の主屋は、家に伝わる普請帳から1792(寛政4)年の建築と判明しており、大きな改変の少ない江戸時代の姿を今に伝えている。
 建物は平入り茅葺寄棟屋根、棟は本瓦葺切妻屋根、庇は本瓦葺である。規模は東西10間半、南北6間半、前後3室左右3列という9間取の平面形を採用している。部屋を復原して土間からみると、南列はミナミノマ8畳、ツギノマ8畳、カミノマ8畳、中列はオクノマ8畳、ナカノマ4.5畳、ブツマ4畳、北列はダイドコ4畳、キタノマ6畳、ナンド4畳である。ミナミノマとオクノマ上部にはツシ二階が設けられている。
 また、ミナミノマに付く式台玄関や庭に面する南と西の縁等は19世紀中頃の後補と考えられ、西側の茶室は1960年代に増設されたという。なお、建築材は大黒柱と独立柱がマツ、他の大部分はクリ、居室はトガとスギの混在である。
 西播磨には、江戸初期の三木家から幕末の永富家に至るまで、間取りや構造及び外観の共通する大庄屋や庄屋層の屋敷が残されているが、八瀬家の建築はその変遷過程を現在に伝える貴重な歴史的建造物であるといえよう。
(出典:八瀬家住宅二つ折りパンフレット たつの市教育委員会)
 
門をくぐると、飛び石のある中庭越しに茅葺きの主屋を大きく見ることができます。
 
 
▲八瀬家住宅主屋(南面)
 
左を見ると庭へ入れるようになっていたので、先に庭を見ることにしました。

庭は一面苔むしていて、飛び石の表面までコケが貼り付いています。
コケを傷めないように飛び石を歩くべきですが、飛び石の上も遠慮がちに歩かないといけません。
 
庭園の中央には瓢箪池がありますが、水はありませんでした。
 
 
▲庭園から主屋を見る
 
庭園に置かれた仮設トイレを使わせて頂き、それから主屋の中を見学することに。
 
土間には梯子が立てかけられていましたが、2階は立入禁止。
 
 
▲土間にかけられた梯子(登るのは禁止)
 
土間で靴を脱ぎ、上がったところが南ノ間です。

この南ノ間と西隣の次ノ間、さらにその西の上ノ間の3部屋だけが公開されていて、それぞれ北側の部屋と接する障子の前に展示品が飾られていました。
 
展示品は、大正時代から昭和にかけてのレトロな品々。
例えば大正時代の真空管ラジオや、朝顔形ラッパ付蓄音器、電話器や炭火アイロン等です。
 
 
▲展示品
 
豪農で扱うお金が多かったからか、レジスターのようなものも展示されていました。
 
 
▲キング社の自動整理器(1930年代)
 
一通り室内の展示を見終わると、次に自然に目が向くのは南の縁側です。
縁側からは紅葉した木々や立派な庭園を眺めることができます。
 
 
▲縁側から庭園を見る
 
 
▲庭園から次ノ間を見る
 
1時間以上かけて来たのに、あっという間に見学が終わってしまいました。
これではもったいないので、土間でコーヒーを頂くことに。
 
これは、特別公開のお世話をされている地元の皆さんが淹れてくださるもので、お茶請けが付いて1杯¥100です。
 
土間は中央にパーティションがあり、主屋に入ったときは奥の様子が分からなかったのですが、向こう側へ回ると囲炉裏があって、その周りに座ってコーヒーやお茶を頂けるようになっていました。
 
 
▲いろり端でコーヒーを頂いた
 
この囲炉裏の暖かいこと。
時々炭がはぜて火の粉が飛ぶのですが、音もなくふわっと飛ぶ赤い火の粉が線香花火のように綺麗で、「次はいつ飛ぶのかな」と炭火を見ながらコーヒーを飲んでいると、時間が経つのを忘れてしまいます。
 
コーヒーを飲み終わってからもしばらく炭火を見て楽しみ、庭園を再度歩いてから帰路に就きました。