播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

愛媛観光(松山城編)

今週は愛媛県に出張。
出張なので当然仕事をしないといけませんが、空き時間がある程度できたので、松山市内の観光をすることにしました。
 
今回の出張を利用して観光に行ったのは、松山市の松山城とその周辺、道後温泉周辺、そして伊予西条の鉄道歴史パーク in Saijoです。
 
本記事では、松山城とその周辺について書いています。
 
松山城周辺は路面電車が走っていて、宿泊先のホテルから松山城や道後温泉への移動には便利。
昭和前期のレトロな車両からかなり新しい車両、また坊ちゃん列車と呼ばれるSL型の車両もあります。
古い車両は走行音がうるさく、加速中は車内で会話が出来ないほどですが、新型車両は快適。
 
道路の中央部分に石畳が敷かれていて、そこに路面電車用のレールが敷設されていますが、この石畳が古く、なかなか良い雰囲気です。
 
道路上には、鉄道専用の信号(橙色の矢印や赤色の×印)が自動車用の信号と並んで設置されていたり、路面電車のレールに入って右折待ちをする車があったり(路面電車はすぐ止まれるので危険はなさそうですが、私にはできそうにありません)、路面電車になじみのない私にとっては珍しい光景でした。
 

▲松山市内を走る路面電車(県庁前電停で撮影。写っている車両はモハ50形。)
 

▲松山市内を走る古い路面電車の運転台
 
路面電車は、1回の乗車につき大人一人160円かかりますが、伊予鉄道株式会社が発行している「市内電車・バス1Dayチケット」を1枚400円で購入すれば、その日は決められた路線のバスと路面電車が乗り放題になります。(ホテルや路面電車の車内で販売されています)
 
この1Dayチケットは、スクラッチくじのような銀色の丸(数字が印刷されている)がたくさん並んでおり、使用する年月日の銀色部分だけをコインや爪で削り落とすというもの。
複数の日を削ったり、過去の日付を削ってしまうと無効になるので(未来の日付のみを誤って削った場合は払い戻し可能)、削る前に使用する日付をしっかり確認する必要があります。
 
食べログで検索すると、JR松山駅から少し遠い松山城の南東付近が飲み屋街になっていて、お店がたくさん出てきます。
観光だけでなく、ゆっくり飲んでくつろぐためにも路面電車は欠かせませんから、ホテルのフロントで1Dayチケットを購入し、一緒に出張に来た人と出かけました。
 
まずはJR松山駅前の電停(路面電車の停留所)から5系統の路面電車に乗り、大街道(おおかいどう)で下車。
大街道の電停のある交差点から北へ400m進むと、松山城ロープウェイのりばがあります。
 

▲松山城ロープウェイのりば
 
ロープウェイの営業時間は季節によって異なります。
詳しくは以下のURLをご覧下さい。
 
ロープウェイ・リフト | 料金・営業案内 | 松山城
 
ロープウェイとリフトの両方があり、どちらも片道大人一人270円。
ほとんどのお客さんは往復と松山城の入場料がセットになったチケットを買われていましたが、私たちは下山は徒歩と決めていたので、券売機で片道の切符だけを購入。
 
ロープウェイとリフトのどちらに乗ろうか迷いましたが、景色が楽しめるのはリフトなので、リフト乗り場へ。
スキー場にあるようなリフトなので、特に出発時間は決まっていません。とりあえず乗り場に行けば乗れます。
乗車時間は約6分。
一人がけのリフトなので、くつろげますし景色も見放題。
 

▲松山城へ続くリフト(ロープウェイが併走している)
 
山の上でリフトから降りると、土産物屋が並ぶ長者ヶ平と呼ばれる広場に出ました。
 
大勢の観光客に交じり、よく整備された登城道を数分進むと、立派な石垣が姿を現します。
 

▲長者ヶ平から松山城へ続く道の様子
 
さらに数分行けば、扉のない不思議な門「戸無門」をくぐり、筒井門(あるいはその右側の隠門)、太鼓門を通り、細長い広場(本丸)に出ます。
 

▲戸無門(となしもん)扉が取れたわけではなく、創建当初から無い
 

▲立派な筒井門
 

▲筒井門の隣、死角に作られた隠門(筒井門付近の敵兵を側面から攻撃するためにここから出撃する)
 
本丸からは、松山城の天守閣を大きく見ることができますし、何より本丸周囲からの展望が素晴らしい。
 
天守閣に近づいていくときっぷ売り場があり、そこで大人一人510円を支払っていよいよ城内へ。
 

▲本丸北端のきっぷ売り場
 
松山城は慶長7年(1602年)、戦国時代の勇将で、賤ヶ岳(しずがたけ)の七本槍で有名な加藤嘉明により築城をはじめられたもので、勝山山頂に本丸、中腹に二ノ丸、山麓に三ノ丸を整備した広大な規模の城郭である。江戸時代に建築再建された天守や城門、櫓など21棟は重要文化財に指定されている。特に安政元年(1854年)に再建された天守は、連立式天守で全国に現存する12城のうち一番新しい建築であるが、築城当時の縄張りをよく残している。
(出典:松山城の入城券)
 
松山城の営業時間は季節によって異なるため、以下のURLでご確認ください。
 
松山城 | 料金・営業案内 | 松山城
 
近世のお城といえば、漆喰の白いものを思い浮かべますが、松山城の外観は木の板が多くみられます。
たまたま居合わせた団体客のガイドさんの話によると、「木の板を張ることで、一見すると弱そうな壁に見え、それを破壊しようとして敵が矢や鉄砲を無駄に消費してくれるメリットがある」とのことでした。
 
目に付くのは、城壁についた石落とし。
我が町姫路にある姫路城では、石落としは城壁ではなく櫓や小天守、大天守でしか見られませんが、松山城は城壁にも石落としがたくさん設置されていました。
 

▲外から見ると板塀のような城壁(石落としがある)
 
石落としという名前の設備ですが、実際は下向き(石垣を登る、あるいは石垣直下の敵兵を撃つため)の銃眼です。
名前の通り石を落として敵兵の侵入を防ぐのが目的なら、城壁全体に石落としを設けないといけません。石を落とす攻撃は、真下の敵にしか通用しませんから。
 

▲天守閣へ向かう道中、小天守と大天守を見上げる
 

▲小天守と大天守をつなぐ櫓に設けられた筋鉄門(すじがねもん)
 
順路に従い門をいくつかくぐっていくと、天守閣入口にたどりつきました。
鉄板で補強された頑丈そうな出入口です。さすがは戦闘時に最後の砦となる施設だけのことはあります。
 

▲天守閣入口
 
天守の入口には鍵付きの下駄箱があり、スリッパに履き替えます。
 
天守の中は、甲冑や古文書などが展示された博物館のような空間。
 

▲天守内の展示(刀剣類)
 

▲天守内の展示(甲冑)
 
小天守に上ると、なかなかの展望が楽しめました。
人が少ないのも居心地の良さにつながっています。
 

▲小天守から本丸西側の屏風折れの石垣を見る
 

▲小天守の梁(どの木材をどこに使うのか、梁の1本1本に墨で文字が書かれていた)
 
面白かったのは、大天守の1階にあった甲冑の試着体験コーナー。
レプリカですが、それでも重い。
男性は軽々と装着していましたが、女性にはつらい重量のようです。
 

▲甲冑の試着コーナーは大人気
 
他にも珍しいのは、天守閣の中に畳が敷かれていたこと。
戦闘用の空間なので、無駄なものは一切設置しない(たいていのお城は、天守の床は板張り、天井は梁がむき出しのことも多い)ので、畳が敷かれた日常空間は異様に見えました。
 

▲大天守内部(暗くて質素ですが、これこそ本来の姿だと思います)
 
大天守の最上階からは、小天守からの景色よりずっと優れた展望が得られます。
ぼーっと眺めていたいですが、時間があまりないので次の観光スポットへ向かって出発。
 

▲大天守最上階の様子
 

▲大天守最上階から北方面の展望
 

▲大天守最上階から西方面の展望
 

▲大天守最上階から南方面の展望
 

▲大天守最上階から東方面の展望
 
次の目的地は、松山城の南西ふもとにある二之丸史跡庭園。

本丸を南へ抜けて少し下ったところに「二之丸史跡庭園(黒門口登城口)」と書かれた道標があるので、それに従って坂を下りました。
 

▲二之丸史跡庭園へ下る道の入口にある道標
 
このルートは、城が現役だったころの正規の登城ルートだったそうです。
つまり、ここにある石垣は大手門跡ということです。
 

▲大手門跡(?)
 
下り始めてすぐ、登り石垣が左側に見えました。
山の斜面に沿って斜めに作られた石垣で上端が斜面と平行になっています。
 

▲登り石垣の上端
 
この道は緩やかな斜面に幅が広い石段が付けられた道で、スーツに革靴という今回の私の出で立ちでもまったく問題なく歩けました。
 
一部には、江戸時代そのままの石畳が残る区間もあります。
 

▲江戸時代から残る石畳
 
10分ほどで二之丸史跡庭園に下りてきました。
 

▲大手道から二之丸史跡庭園を見る
 
立派な石垣が残る槻門(けやきもん)跡を通り、そのまままっすぐ南へ進むと二之丸史跡庭園の入口となる多門櫓があります。
 

▲二之丸史跡庭園入口
 
季節によって営業時間がことなるため、詳細は以下のURLでご確認ください。
 
二之丸史跡庭園 | 料金・営業案内 | 松山城
 
 この史跡庭園は、二之丸跡の遺構を保護し、保存すると供に、香り高い文化を発信する場として、ここを訪れる人々が四季折々に親しめる「やすらぎの空間」として建設しました。
 庭園内部は古い絵図や発掘調査に基づいて、二之丸邸の間取りを遺構の上に表現したもので、部屋の間取りの中に各種の柑橘や四季折々の草花を植えた「表御殿跡柑橘草花園」と、部屋の間取りの中を水が流れる「奥御殿跡流水園」とに大きく別れています。
 また、庭園東側には「林泉庭」があり、露岩を背景にした池や滝を配置して「わび」「さび」を表現しています。
 庭園外周部分の櫓や門、塀などは当時の手法を用いて復元し、大井戸の遺構は、そのままご覧いただけるよう露出展示しています。
 そのほか庭園内には、有料施設として「観恒亭」・「聚楽亭」・「勝山亭」があり、茶会や句会などの文化的な催しに利用いただいております。
平成4年5月開園
(出典:松山城二之丸史跡庭園の入城券)
 
二之丸史跡庭園の多門櫓内は展示室になっていて、二之丸庭園が本来どんな姿だったのかをジオラマで再現していたり、何故か御輿も展示されています。
 

▲往時の二之丸を再現したジオラマ
 
庭園内は、当時の建物の配置や規模がわかるように輪郭が書かれ、建物があった部分は池になっています。
 

▲奥御殿跡流水園
 
柑橘草花園を見たり、水琴窟の音色を楽しみながら園内を歩いていると、大きな穴に出会いました。
見ると、大井戸遺構とのこと。
 

▲大井戸遺構
 

▲大井戸の想像図
 
これで松山城と二之丸史跡庭園の見物は完了。
 
そういえば、坂の上の雲ミュージアムが近くにあったなということで、夕方暗くなってからですが、見学に行くことにしました。
 
二之丸史跡庭園から愛媛県庁脇へ下りてきたので、目の前の県庁前電停で路面電車に乗り、大街道で下車。
そこから少し西へ歩くと、坂の上の雲ミュージアムへの案内看板がに出会うので、それに従って北へ入ります。
 
ミュージアムへ入ろうとガードマンさんの案内に従って歩いていると、頭上の樹間からライトアップされた洋館のようなものがちらりと見えました。
 
あれは何だと言うことで坂を登って行くと、素敵な洋館が現れました。
国重要文化財の萬翠荘(ばんすいそう)という建物。
 
(萬)よろず (翠)みどり (荘)やかた
“松山城の麓の緑の森の中に佇む邸宅”という意味です。

●建築 大正11年(1922年)、旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨伯爵が、別邸として建築
●鉄筋コンクリート造り 地下1階、地上3階、面積887.58平方メートル(268坪)
●設計者 木子 七郎
 その他主な設計:愛媛県庁本館、旧新田邸(現 松山大学温山記念会館)、県立図書館(現存しない)、石崎汽船本社(松山市)、関西日仏学館(京都市)など
●昭和60年(1985年)愛媛県指定有形文化財に指定されました
●平成23年(2011年11月29日)国重要文化財に指定されました
 (対象:「萬翠荘」本館、「管理人舎」の二棟)

陸軍駐在武官としてフランス生活が長く、陸軍きってのフランス通といわれていた定謨伯爵好みの建物は、当時最高の社交の場でした。
皇族方が来県の際は、よく立ち寄られたところです。
(出典:萬翠荘のリーフレット)
 

▲萬翠荘(ばんすいそう)
 
開館時間: 9:00~18:00(イベント等により変更になる場合あり)
休館日: 月曜日 ※祝日の場合は開館します。(イベント等により変更される場合あり)
駐車場: 約40台
観覧料: 企画展開催時には必要となる場合があります。
 
中に入ろうとしましたが、何やら展覧会の会場となっていたらしく、洋館の内装をゆっくり見物するような雰囲気ではなかったので、外観を楽しむだけにしました。
 
坂を下り、今度こそ坂の上の雲ミュージアムへ。
入口の券売機でチケットを購入する形式です。
 
施設名称: 坂の上の雲ミュージアム
開館時間: 9:00~18:30(入館は18:00まで)
休館日: 月曜(祝日・振替休日の場合は翌日休館)
観覧料: 一般 ¥400、高齢者(65歳以上) ¥200、高校生 ¥200 中学生以下無料
 
このミュージアムは、普通の博物館でよく見かける撮影禁止のマークがありませんでしたが、展示物の撮影は禁止されています。
しかし、展示物が写らない建物内部の撮影は可能。
 
坂の上の雲を読んだことのない私なので展示内容に興味を持てるか不安でしたが、歴史や近代教育に関する展示が多いため思いの外楽しめましたし、三角形の建物や、支えのない長い階段など、奇抜な建物の構造も楽しめました。
 
建物の設計は、安藤忠雄氏です。
 

▲柱が途中にない長い階段
 
この後は路面電車で勝山町電停へ向かって夕食を食べ、路面電車でホテルへ戻りました。
 
道後温泉と鉄道歴史パーク in Saijoは別記事で作成しています。