播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

岡山県総社市の鬼ノ城

ゴールデンウィークの最終日は、岡山県総社市にある古代山城の跡、鬼ノ城(きのじょう)跡へ出かけてきました。
 
姫路周辺の山で出会う城跡はほとんどすべて中世のもので、古代山城の跡といえば、たつの市の城山城(きのやまじょう)跡があります。
しかし、古代の城跡はほとんど消滅しており、土塁や礎石が少し残っているくらいで、城がどのようなものだったのかイメージがわきません。
 
鬼ノ城は、一部の門が復元されていたり、築城当時の石垣や敷石が良好に保存されているということなので、是非一度見てみたいと思っていたのです。
 
 
▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「総社東部」
 
下のURLをクリックすると、鬼ノ城の位置がGoogleマップで表示されます。
 
鬼ノ城の概要
 鬼ノ城は壮大で、堅固な古代山城です。
 城は、山の八~九合目を取り囲むようにして築かれた城壁で囲まれ、その全周は約二.八kmにもなります。
 城壁は基礎に石を一段一列に並べ、その上に土で突き固めて築いた土塁による城壁を基本としますが、要所では石で築かれた石塁もあります。この城壁には城門が四ヶ所、水門が六ヶ所、角楼が一ヶ所というように、各種の施設が置かれています。
 この長大な城壁線に囲まれた城内の面積は、約三十haと広大です(東京ドームの六.四倍、岡山後楽園の約二.三倍)。
 城内では、中央部分で礎石建物群が見つかっています。また、生活に必要な水を確保するため、五つの谷に貯水池が設けられ、鬼城山山頂の近くでは自然の湧き水を利用した、小さな溜井(ためい)も発見されています。
(出典:古代山城鬼ノ城展示ガイド)
 
9:58
JR姫路駅からのぞみ7号で出発。
 
10:18
JR岡山駅に到着し、備中高梁行の普通電車に乗り換えます。
 
10:41
普通電車が岡山駅を出発。
 
11:10
JR総社駅に到着しました。
駅前の喫茶店で食事を取り、マスターと色々おしゃべりをしてから、駅前のタクシー乗り場へ。
 
11:55
駅前で待機していたタクシーに乗り込み、鬼城山ビジターセンター(以下ビジターセンター)へ移動。
 
麓の砂川公園から先は道が狭くなり、場所によってはすれ違いが不可能です。所々警備員さんが立っていますが、ずいぶん飛ばして下ってくる車がいたりして、運転手さんはなかなか苦労されていました。
 
総社駅からビジターセンターへのタクシー代は、片道¥2,500~¥2,800ほど。
 
12:15
ビジターセンターに到着(地図中「ビジターセンター」)。
 
 
▲ビジターセンターの駐車場(満車だった)
 
 
▲ビジターセンター(左半分が展示室、右はトイレ)
 
鬼城山ビジターセンター
開館時間: 9時~17時
入館料: 無料
駐車場: 70台
休館日: 月曜日(祝日の場合は翌平日)、年末年始(12月29日~1月3日)
住所: 郵便番号719-1105 総社市黒尾1101-2
 
ビジターセンターは標高360m付近に建っているので、ここからの散策はほとんど高低差がありません。
 
まずはビジターセンターの展示室で鬼ノ城についてのパネル展示や模型などを見学し、トイレを借りて出発。
 
 
▲展示室の様子
 
ビジターセンターには飲み物の自動販売機がありません。売店もありません。
飲食物は予め購入してからビジターセンターを訪れてください。
ゴミ箱もありませんので、出たゴミは各自で持ち帰る必要があります。
 
ビジターセンター前にはたくさんの案内図が並んでいますが、ビジターセンター入口でもらえるパンフレットがあれば、城跡散策には困らないでしょう。
 
12:33
城跡散策へ出発。
いきなり遊歩道は二股に分岐しますが、道標が右を指しているので、そちらへ入ります。
 
この付近はゆるやかな尾根筋を登る道ですが、一直線の階段道だけでなく、車いすでも行けるようにスロープがつづら折れに付けられています。(車いすで行けるのは学習広場と西門周辺まで)
 
 
▲車いす用のスロープと丸太階段道が交錯している
 
12:38
学習広場への分岐がありました。
遊歩道からすぐの場所にあるようなので、どんなところか見に行くことに。
 
数十メートルで学習広場に到着(地図中「学習広場」)。
学習広場とは、復元された西門と城壁を一望できる展望デッキでした。
 
 
▲学習広場の展望図と西門
 
開放的で気持ちいいですが、屋根もベンチもない展望デッキなので、真夏は厳しいかも知れません。
 
12:41
遊歩道に戻り、学習広場から見えた西門へ向かいました。
西門が近づくと、まずは角楼と呼ばれる城壁の張り出し部の下を通ることになります。
 
角楼の土台は、石垣と版築土塁、さらに木の柱が組み合わされた複雑な形状をしています。
 
 
▲角楼の土台部分
 
角楼からは広範囲を見渡すことが出来ますし、戦闘の際は中世の城の横矢がけと同様の効果を発揮していたのでしょうか。
 
12:44
角楼のすぐ先に、復元された西門がありました(地図中「西門」)。

西門には盾が取り付けられており、日本風には見えませんが、古代山城鬼ノ城展示ガイドによると盾の形状は同時代の隼人のものを参考にし、図柄は盾の埴輪に刻まれた紋様をもとにデザインされたそうです(逆S字状文、綾杉文、鬼面)。
また、盾の周囲にあるギザギザ(鋸歯文)は、古墳時代の吉備の盾形埴輪ではよく見られる文様とのこと。
 
三つ折りのパンフレットを見ると、盾は本来櫓の内側に設置しますが、文様を見やすくするためにあえて外側に取り付けていること、建築基準法により西門は立入禁止になっていることが説明されています。
 
四つの城門
 鬼ノ城では、発掘調査が行われるまで城壁のようすなどから考えて三つの城門(第一~第三城門)があると推測されていました。
 一九九四年から開始した発掘調査によって、東門が第一城門の場所で、西門が第三城門(後に角楼と判明)の東側付近で確認されました。その成果がもととなり、北門と南門の発見に結びつきました。南門は西門と東門の中間位置に、北門は忘れ去られつつあった鬼城山への登山道の先にありました。これで鬼ノ城の城門は四ヶ所となり、いずれも柱を地中に埋め込んだ掘立柱建物で、出入りするための通路(門道)には大きな石を敷き詰め、門扉が取り付く門礎石が設置されていることがわかりました。
 東門・南門・西門は総社平野側に面し、北門は背面側に築かれています。
 いずれの城門も敵勢により簡単に突破されないよう、入口に大きな段差を設けて入りにくくしたり、城内に目隠し塀や露出した巨岩を取り込んだりと、防御の工夫が凝らされています。
 とくに西門は残りがよく、ほぼ全容が明らかとなるとともに、門の大きさも南門と並ぶ、大きな城門であることがわかりました。さらに、西門の付近が西側からの山つづきとなり攻め入りやすいことから、角楼を築いてさらに城壁の防御力を高めています。
(出典:古代山城鬼ノ城展示ガイド)
 
 
▲西門(城内側)
 
 
▲西門(城外側)
 
写真に写っている人物とのサイズ比較でも分かるとおり、かなり大きな門です。
1400年も前に、こんな場所にこれほどのものを作れるなんて、とてつもない権力を持った人々がいたんですね。
 
この城に押し寄せる攻め手がアプローチ出来るのは、急斜面のない南西(西門と角楼がある)のみで、他はすべて急峻な斜面と高石垣に守られています。
 
温羅(うら)という城主か集団が居城としていた鬼ノ城は、朝廷から派遣された吉備津彦命の軍勢に攻め落とされ、それが桃太郎伝説のもとになったと言われています。
 
 
西門前で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2014年5月6日)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/kinojo20140506-1/virtualtour.html
 
今日は鬼ノ城の城壁を反時計回りに一周回るつもりでいたので、ここから敷石の残る通路を東へ進みました。
 
 
▲西門近くの敷石
 
敷石
 城壁に付属して城外側と城内側の両方に、おびただしい数の石が敷き詰められています。鬼城山一帯の山々は「岩山」と言われるように、多くの石が露出しており、敷石の石材は現地で確保されたものと推測されます。
 城外側の敷石は、幅一.五mを平均として敷かれていますが、城内側の敷石は広く、幅五mにおよぶ所もあります。いずれも城壁からは下降する傾斜で築かれており、非常に急な敷石も認められます。調査当初は敷石の役割を通路と推測していましたが、流水によって城壁が洗われて崩壊しないように保護するための施設であると考えています。
 鬼ノ城の敷石は、城壁のかなりの部分に敷き並べられていることがわかりました。その一方で、このような敷石を並べる例は、国内の古代山城はもとより朝鮮半島にある同時期の山城でさえほとんど類例がありません。
(出典:古代山城鬼ノ城展示ガイド)
 
西門からまもなく通路は左へ90度折れ曲がり、北東へ進むことになります。
この付近までは綺麗に敷石が残っていましたが、やがて敷石は目立たなくなっていきます。
 
12:58
北東へ進んでまもなく、細い道が遊歩道から分かれて下っていくのに出会いました。様子を見ると石垣が見えたので、石垣を見るための通路かと思って下りていくと、第1水門と第2水門がありました(地図中「第1水門と第2水門」)。
 
第1水門は緻密な石組みで出来た排水溝で、第2水門は姫路城の石垣にある排水溝から突出部を取り除いたような形状です。
 
個人的には第1水門の精緻さに驚かされました。
 
 
▲第1水門(矢印の先が排水口)
 
13:06
水門の先で南方面の展望が開けた場所を通過してまもなく、南門跡に出ました(地図中「南門」)。
 
礎石と石垣が綺麗に残っていたため、その礎石に柱がはめ込まれ、櫓はありませんが門の規模が分かるようになっています。
 
石段も石畳も1400年前のまま。
 
門から突入してくる敵の速度を落とすため、門を入った目の前が階段と急斜面になっています。階段を登り、急斜面に突き当たってから左右に分かれて進まざるを得ない構造。
 
 
▲南門(城外から城内を見る)
 
13:16
南門の先に第3水門跡があり(地図中「第3水門」)、それを過ぎると城壁の突出部に出会います(地形図で太字の「鬼城山」表記の東にある「鬼城山」の「山」の字の下)。
 
この突出部も展望がよく、東側の景色が楽しめます。
 
ここにはまるで磨かれて丸くなったような巨岩があり、磨崖仏が彫られていました。
ただ、横に「五番」と刻まれていることから、後世に彫られたもののようです。
 
ここへ来るまでに城壁沿いで祠(空っぽ)をいくつか見ましたが、後世の人が○箇所巡りのような感じで作ったものなのでしょうか。
 
 
▲東突出部の磨崖仏
 
13:19
第4水門跡を通過(地図中「第4水門」)。
 
13:21
東門跡に出会いました(地図中「東門」)。

南門と比べるとこじんまりしていますが、やはり門の外から中を見ると、まるで行き止まりのように見える露岩の斜面があり、敵部隊の突入速度が抑えられるようになっています。
 
 
 
 
▲東門跡
 
13:27
第5水門跡を通過(地図中「第5水門」)。
 
13:29
崩れた石段跡を登ると、屏風折れの石垣の上にある広場に出ました(地形図で「温羅遺跡」と描かれている場所)。
 
西門もこの屏風折れの石垣も、麓からよく見える場所です。
立派な門や高石垣をそういった場所に作ることは、城主の権力を周囲に示すのに絶大な効果を発揮します。
 
 
▲屏風折れの石垣
 
 
屏風折れの石垣の上で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2014年5月6日)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/kinojo20140506-2/virtualtour.html
 
ここには、表に「岡山縣十五景地」、裏に「昭和十二年四月建之鬼ノ城保勝會」と刻まれた石碑が立っています。
 
▲屏風折れ石垣の上にある石碑
 
ここから2分ほど西へ歩くと、さらにもう一つ石碑が立っているのに出会いました。
こちらは「温羅旧跡」と刻まれています。
 
この周辺は北側で日当たりが悪いためか、他の場所では見なかった羊歯がたくさん茂っていました。
 
13:51
土塁跡がありました(地図中「土塁」)。
 
 
▲土塁跡
 
土塁から先、進路は南寄りに変わります。
 
13:58
北門跡に出会いました(地図中「北門」)。
 
 
▲北門跡
 
ここから北側斜面を見下ろすと、崩壊した石垣なのか、岩が無数に転がっており、石畳の道が北へ延びていました。
 
北門跡から道は二股に分かれます。左は自動車が通れそうな砂利道、右は山道です。
右の山道を通ると城の外周を通れそうだったので、迷わず山道の方へ入りました。

特にこれといって何もない平坦な小径で、まもなく先ほど左手に分かれていた広い道と合流してしまいました。
 
14:06
鬼ノ城の中心部には礎石建物の跡があるのですが、小径が太い道に合流した直後に、礎石建物群への道との分岐があります(地図中「礎石建物群分岐」)。
 
今回は城の外周を歩くのが目的なので、分岐は無視して外周の道をそのまま進みました。
 
 
▲北門から南の道は林道のような雰囲気
 
14:10
西門の上、鬼城山の山頂にある展望台に到着(地図中「山頂」)。

展望台の内部に眺望図がありますが、そこからは木の葉や眺望図が邪魔であまり景色を楽しめません。
展望台の外にある展望図前の方がずっと景色がいい。
 
 
▲鬼城山山頂の様子
 
西門近くの角楼跡にある展望デッキでしばらく休憩し、遊歩道をたどってビジターセンターへ戻りました。
 
 
角楼跡の展望デッキで撮影した全天球パノラマ(撮影日:2014年5月6日)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/kinojo20140506-3/virtualtour.html
 
14:40
ビジターセンターに戻ってきました。
 
タクシーを呼ばないといけません(往路のタクシー車内で電話番号を確認しておいた)が、タクシーをボーッと待つのも時間の無駄なので、ビジターセンターへ登ってくる途中にあった「鬼の釜」なるものを見に行き、そこでタクシーに拾ってもらうことにしました。
 
鬼の釜は、ビジターセンターから400mほど下ったところにある集落の道沿いにあります(地図中「鬼の釜」)。
 
鬼の釜
 口径約185センチ、深さ約105センチの大きな鉄の釜です。底の一部が欠けています。
 釜は鋳物で製作されたもので、鋳型のつぎ合わせた痕が明瞭に残されています。
 そのむかし、鬼ノ城に住んでいた温羅(うら)と呼ばれる鬼神がいけにえをゆでたと言い伝えられていますが、江戸時代に近くの湯釜谷から出土したという事実からも、山岳寺院であった、ここ新山寺の湯屋に使用された湯釜と考えられています。
(出典:現地の標柱)
 
 
▲鬼の釜
 
15:00過ぎ
鬼の釜からタクシーで出発。
 
15:25
総社駅に到着。
ちょうど15:24発の列車が総社駅を出たところでした。

次は15:51発。駅前のコロッケ屋さんでコロッケを食べて一休み。
 
15:51
伯備線経由で岡山駅へ行く普通電車で総社駅を出発。
 
総社駅から岡山駅方面へは、伯備線と吉備線の2つの路線が出ていて、どちらでも岡山駅へは行けますが、吉備線の方が伯備線より10分ほど所要時間が長いです。
 
1番乗り場が吉備線、2番乗り場が伯備線経由で岡山へ行く列車のホームです。
 
16:22
岡山駅に到着。
 
16:34
新幹線さくら588号が岡山駅を出発。
 
16:54
姫路駅に到着しました。 
 
 
 
▲カシミール3Dで表示した本日の歩行距離・累積標高差等