播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

大河ドラマ「軍師官兵衛」の舞台:上月城

2014年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で、官兵衛の義姉が嫁いだ上月(こうづき)城。
軍師官兵衛では、第14回「引き裂かれる姉妹」、第16回「上月城の守り」、第17回「見捨てられた城」の舞台となっています。
 
本日はこの上月城跡を見てきました。
 
上月城の沿革と攻防
 上月城は、鎌倉時代末期(一三〇〇年代)に上月次郎景盛(宇野播磨守入道山田則景の息)が、太平山(樫山)に初めて築いたと伝えられている。
 上月氏は、景盛、盛忠、義景、景満と続くが、そのいづれかの時、本城を谷を隔てた南の荒神山に移したと思われる。これが現在の上月城跡で、中世山城の様態をよく残している。
 赤松氏は、播磨・備前・美作三カ国の守護など大きな勢力を持っていたが、嘉吉の乱(一四四一年)で総領家が没落することになり、播磨も山名氏の支配する所となる。その後、赤松政則が赤松氏を再興し播磨を回復するが、山名、赤松、尼子等が攻防を繰返すこととなる。
 天正五年(一五七七年)織田信長は毛利氏攻めの為、羽柴秀吉を総大将として播磨に入り、毛利に写した佐用の福原城を攻略し、高倉山に本陣を置き一万五千の軍勢で上月城を包囲し、救援に駆けつけた宇喜多直家の軍を退け、十二月三日遂に上月城は落城、政範は自刃して果てた。秀吉は、城中将士の首を悉くはねた上、見せしめの為、城中の女子子供二百人を串刺と磔にして備前美作播磨の国境付近にさらした。
 秀吉はこの後、上月城を尼子勝久、山中鹿助に守らしめた。上月城に入った尼子氏は一時、宇喜多勢に攻められ撤退し、宇喜多は之を上月十郎景貞に守らしたが再び秀吉軍により落城したとされる。景貞は、敗退中櫛田の山中で自刃したと伝えられる。
 再び、尼子勝久、山中鹿助は上月城に入ったが、毛利軍は山陰、山陽の両道より三万の軍勢を以て、天正六年(一五七八年)四月一八日、上月城を包囲した。秀吉は急ぎ救援の為、高倉山に陣を進めたが、三木城攻略の為、六月二十六日高倉山より兵を引いた。この為、上月城は孤立し遂に七月五日勝久は毛利氏に降伏し、開城自刃した。山中鹿助は備中の毛利輝元の陣へ護送の途中、高梁川の合の渡しで斬殺され、その果敢な生涯を終えた。
 この天正年間の攻防が上月合戦と呼ばれるもので、上月城はその後、廃城となり今日に至っている。文政八年(一八二五年)赤松氏落城の時の守将の末裔大谷義章が二五〇回忌を営み慰霊碑を建立したものが山上に残されている。
 佐用町観光協会
 上月歴史研究会
出典:登山口の案内板(原文まま)
 
 
▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「上月」
 
地図画像下端中央付近に「戦(たたかい)」という地名がありますが、これは秀吉軍と毛利(宇喜多)軍の激戦地となった場所と言われています。
秀吉が陣を敷いた高倉山は、上月城から東へ約3kmにあり、地形的には山頂から上月城が見えます。
 
11:20
小さな城跡なので散歩感覚で歩けるだろうと思い、朝はゆっくりと過ごして出発。
 
姫路バイパスを西進し、バイパス終点からもさらに西へ進み、JR有年(うね)駅の少し先にある「有年原」交差点を右折します。
が、お昼時でお腹が空いていたため、有年原交差点のすぐ西にあるコンビニに立ち寄り、弁当で腹ごしらえ。
 
有年原交差点から北へ進みますが、この道路は国道373号線。
千種川沿いの国道373号線をぐんぐん北へ進みます。
 
久崎交差点から2.5kmほど先、小さな川にかかる橋を渡った直後の交差点(信号のない小さな交差点)を左へ入ります。

ここには「上月城跡」と書かれた公設の標識が立っているので、誤って通り過ぎたとしてもすぐに気づくはずです。
 
この道路はGoogleのストリートビューで撮影されているので、どの辺りで曲がるのか、予習しておくと安心かも。
 
後は道なりに進めば、登山口と駐車場のある上月歴史資料館まではすぐです。
 
上月歴史資料館の位置をGoogleマップで確認したい方は、下のURLをクリックしてください。
 
12:45
上月歴史資料館に到着(地図中「P」)。
 
 
▲上月歴史資料館
 
上月歴史資料館
所在地: 兵庫県佐用郡佐用町上月373
開館日: 土・日・月・祝祭日(年末年始は除く)
開館時間: 午前10時~午後4時
入館料: 大人200円、高校生150円、小中学生100円
 
資料館には十分な広さの駐車場(未舗装)があり、駐車場から直接入れる(資料館の入館料を払わなくても使用できる)トイレもあります。
 
資料館の受付脇のスタンドに置かれている三つ折りのパンフレットには、上月城の縄張が詳細に描かれているので、城跡に登る前に入手しておくことをお勧めします。
 
▲上月城の縄張り図(出典:上月歴史資料館パンフレット)
 
大人1人¥200を払えば、資料館の展示室で上月城の歴史や上月城の合戦の年表など、パネル展示を見られます。
 
佐用町内にある山城跡などの詳細な縄張り図もパネルで展示されているので、山城好きな方にとって、ここの展示は価値があると思います。
 
ただし、この上月歴史資料館は土日月、祝祭日しか開館していません。訪問を考えられている方は、十分ご注意を。
 
私は歴史資料館の展示室をゆっくり見学し、上月城の縄張図のある三つ折りパンフレットを入手してから城跡に登りました。
 
13:13
資料館の向かいにある登山口から登山(というほどでもないですが)開始。
登山口の看板によると、山頂までは380mだそうです。
 
 
▲資料館の真向かいにある登山口の様子
 
 
▲登山口は左の丸太階段の道。右は下山路。
 
序盤だけ手すりのある丸太階段ですが、すぐに手すりはなくなり、ジグザグの丸太階段道になります。
少し斜度はありますが、整備された遊歩道なので、歩きやすい服装なら比較的楽に登れます。
 
 
▲ツツジが咲く気持ちよい遊歩道を登った
 
13:19
尾根の肩に出ました。

規模は小さいですが、削平地に見えます。
兵庫県佐用町発行の「上月合戦」(歴史資料館で1冊¥500で購入可能)によると、ここは休郭と名付けられた郭の跡地のようです。
 
郭は「くるわ」と読みます。
城を構成する平坦地で、周囲には木の柵や塀が作られていることが多く、攻め込んでくる敵兵を、柵や塀の内側から長柄鎗や弓、火縄銃で攻撃するための施設です。
 
広い郭だと、兵士が生活したり、食料や武器弾薬を貯蔵するための小屋が建てられることもあります。
 
 
▲休郭(?)
 
尾根の肩に出るまでの道に比べるとずっと緩やかになった斜面を登りながら左下をのぞき込むと、パンフレットの図の通り、帯郭らしきものが見えます。
 
13:22
堀切跡に出会いました。
 
堀切は、尾根に作られた広くて深い溝で、敵の突撃速度を低下させたり、堀切の上り下りの際に無防備になった敵(攻城兵)に攻撃を加え、敵側の被害を大きくするための城の防御設備です。

すっかり埋まってしまい浅くなっていますが、往時はもっと深くてシャープな形状をしていたんでしょうね。
 
 
▲堀切跡
 
堀切跡を過ぎて左側に見える郭跡を2つ越えると、主郭に到達します。
 
13:27
主郭跡に到着(地図中「主郭跡」)。

一辺が25mほどのおむすび型をした削平地で、登山口の案内板に書かれていた「大谷義章が二五〇回忌を営み慰霊碑を建立したもの」があります。
 
 
▲主郭跡の様子
 
主郭の南端から斜面を見下ろすと、下に数段の郭があるのが見えます。
その中の一つには、古い絵図で「ヤクラ丸」と名前が付けられているようです。
 
主郭跡の西端の虎口跡から細い尾根をたどると、二の郭です。
 
 
▲主郭から二の郭へ続く道の様子
 
13:34
二の郭跡に到着(地図中「二の郭跡」)。
草木が茂っていて、形状が分かりにくくなっています。
 
 
▲二の郭
 
この二の郭から南の斜面を見下ろすと、段があるように見えました。

帰宅後に前述の「上月合戦」に掲載されている測量図を見ると、二の郭の南にも1段だけ腰郭が描かれているので、二の郭から見えた段がその腰郭なのでしょう。
 
西へ進むと、佐用の大撫山方面がよく見える展望地がありました。
展望図が設置されていて、それによると利神城跡も見えるとのこと。
 
デジイチのレンズを目一杯ズームにしてファインダーを覗くと、非常に小さくですが、竹田城のような見事な石垣が確かに見えました。
 
 
▲二の郭跡から利神城跡を見る(左上は写真中央部分の拡大)
 
二の郭からさらに西へ進むと、数メートルほどの切岸(急斜面の段差)の下にある三の郭跡に出会います(地図中「三の郭跡」)。
下山道は、その三の郭跡の西端から始まります。
 
 
▲三の郭西端の下山路道標
 
この下山道を下り始めると、すぐに大きな堀切跡に出会います。
 
 
▲三の郭直下の堀切跡
 
さらにその下にもう1本堀切跡がありますが、それはかなり小規模なものです。
 
大小2本の堀切跡を過ぎると、歴史資料館へ下山するための道と、「目高の築地(めたかのつんじ)」とよばれる土塁跡などが残る後山方面へ続く縦走路の分岐があります(地図中「縦走路分岐」)。
 
 
▲縦走路(直進)と下山路(右折)の分岐
 
縦走路にも興味はありますが、今日はこのまま下山します。
下山路は植林の斜面につけられたなだらかな遊歩道。
 
 
▲下山路の様子
 
13:50
標高90mの等高線と平行に走っている林道跡のような道に出てきました。
後はこの道を東へ進めば、歴史資料館前に戻れます。
 
 
▲川沿いの林道跡(?)を歩くと登山口へ戻れる
 
谷間で電波が反射して正確な現在地をつかめなくなるマルチパスと呼ばれる現象が起こったらしく、冒頭の地図のGPS軌跡では、向かいの斜面を歩いていることになっていますが、実際は川の南側を、川に沿って東へ歩いています。
 
14:00
駐車場に戻ってきました。
 
せっかくなのでもう一度資料館に入り、展示をじっくり楽しみ、兵庫県佐用町発行の「上月合戦」を1冊購入して帰路に就きました。
 
15:30
自宅に到着。