播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

兵庫県赤穂市の花岳寺(かがくじ)

どうも疲れがたまっているらしく、以前は休日でも朝早く目が覚めていたのに、最近は起きられません。
今日も起きた時間が遅く山へは行けないので、代わりに近場へ電車で出かけてきました。
 
以前、赤穂に遊びに行ったとき、天井に大きな絵がかかったお寺があることを調べておきながら、当日はそこへ行くことをすっかり忘れていたか、時間がなくて行けなかったので、今日はその天井絵を見に行くことにしました。
しかし、どこのお寺だったか思い出せず、防水タブレットを風呂場に持ち込み、のんびり暖まりながら検索。

花岳寺(かがくじ)にその天井絵があることが分かったので、播州赤穂駅からの道順もついでに調べて風呂から上がり、自宅を出発。
 

https://goo.gl/maps/W2rpPspZHfp9rav29
▲花岳寺の位置

 
11:35
播州赤穂行の新快速でJR姫路駅を出発。
 
12:06
播州赤穂駅に到着。運賃はおとな一人¥570。
 
播州赤穂駅の南口へ下りると、階段の真下に食事処がありました。
近くにはコンビニやすき家もありますが、全国均一の味のお店に行ってももったいないので、そのお店で昼食。
おすすめと書かれていたカツ丼を注文(食券方式)。
祖母が作っていたような濃い色の玉子が乗ったカツ丼だったので、懐かしく思いながら美味しく頂きました。
 
12:28
昼食を終えてお店を出ました。
 
播州赤穂駅の南西にすき家がありますが、その少し東にある小さな交差点(信号あり)で国道250号線を渡り、そのまま南西へ延びる南向き一方通行の道路を進みます。
 
 
▲南向き一方通行の道を南西に進んだ
 
12:40
やがて兵庫信用金庫とみなと銀行が並ぶ太い道路に出会います。そこには公衆トイレと息継ぎ井戸がありました。
 
 
▲息継ぎ井戸
 
元禄14年(1701年)3月14日に江戸城松之廊下で赤穂藩主浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)を切りつけるという刃傷事件が起こりました。早水藤左衛門(はやみとうざえもん)と萱野三平(かやのさんぺい)がその大事件を知らせるため、江戸から早駕籠に乗り4日半かかって19日の早朝赤穂城下に到着しています。その時、この井戸で二人の使者が水を飲み一息継いで赤穂城へ向かったと伝えられています。
(案内板より)
 
息継ぎ井戸と公衆トイレの間の道を南西へ進み、最初の角を右へ曲がってレトロな商店街を通り抜けたところに目的の花岳寺があります。
 
12:46
花岳寺の山門前に到着。
山門をくぐり、手水舎、鳴らずの鐘を見てから本堂へ。
  
車で来た参拝客は、この山門を車でくぐり抜け、左へ進んだところにある駐車場へ車を置きます。
普通車なら問題なくくぐれるだけの横幅はあります。
 
 
▲花岳寺山門
 
 赤穂市指定有形文化財
  建造物(指定番号 13)
名 称 花岳寺 山門
所在地 赤穂市加里屋1992番地
所有者 宗教法人 花岳寺
指定年月日 平成元年3月30日
本山門は、もと西惣門であって、明治6年に花岳寺21代仙珪和尚が購入移築したものである。
柱は、当時の物より約3寸短くなっていると思われ建材は栂を主としている。主屋根は、本瓦葺きで、棟木と出桁が1支半継ぎたしされている。
本山門は、高麗門形式をとり、西惣門の遺構であるため、素朴無骨で武家門の風格を備え、城郭付属建築として、史的価値の高い貴重な門と言える。
(案内板より)

 
 
▲本堂
 
名称: 台雲山 花岳寺
所在地: 兵庫県赤穂市加里屋1992番地
由緒: 赤穂歴代藩主浅野家、永井家、森家の菩提寺並びに大石家ほか義士の香華院
宗旨: 曹洞宗 永平寺(道元禅師開山) 總持寺(瑩山禅師開山)の両大本山
創立: 正保2年(1645年)
開基: 赤穂藩祖・浅野長直公
開山: 秀巖竜田大和尚
霊場: 新西国第31番霊場 瀬戸内観音第7番霊場
御詠歌: よろづ世の人のかがみと匂ふなる 花おかでらの庭のいしぶみ
 
花岳寺の本堂前で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2013年4月21日)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/kagakuji20130421-1/virtualtour.html
 
残念ながら本堂の中には入れませんが、土間までは入ることが出来ます。
その土間の天井に、私が今日ここへ来た目的である天井絵(正確には大額)があるのです。
 
 
土間で撮影した全天球パノラマ(撮影日:2013年4月21日)

https://shimiken1206.sakura.ne.jp/panorama/kagakuji20130421-2/virtualtour.html
 
▲本堂の土間にある天井の大額(法橋義信筆「竹に虎」)魚眼レンズで撮影した写真から大額の部分をトリミングしゆがみを補正したもの(完全に補正しきれていませんが...)
 
しばらくの間この迫力を堪能し、続いて有料拝観となる墓所や宝物殿を見に行くことにします。
 
有料拝観を見るには、本堂左手にある受付で大人一人¥400円を支払います。
パンフレットを受け取り、境内の北西にある有料拝観のエリアへ。
 
まず出会うのは亀趺(きふ)に乗った忠義塚。
 
 
▲忠義塚(左奥が義士墓所、右奥が木像堂と宝物館への門)
 
その先には義士墓所があります。
ただ、義士の遺体は東京の泉岳寺にあるため、ここに収められているのは義士の遺髪。しかも、幕府に歯向かった者ということで、死後37年目にしてやっと墓が作られたそうです。
 
墓碑には「刃」という字が刻まれていますが、これは切腹したことを示すものだそうです。
 
 
▲義士の墓碑
 
義士墓所と忠義塚の間の道を北へ進むと、大石家の先祖の墓や浅野家の墓、浅野家の次に赤穂を治めた森家の墓所もあります。
 
義士墓所へ引き返し、墓所に向かって右側にある門から案内板に従って中へ入ると、右手に義士木像堂、左側に宝物館があります。
 
どちらも内部は撮影禁止なので写真はありません。
 
義士木像堂は大きな部屋が一つあるだけで、左右に47士の木像が23体と24体に分けて展示されています。
木像堂の前には、中国渡来の石仏と言われるものが展示されていました。
 
 
▲中国より渡来の石仏
 
舟御光観音像なり背面に刻入の魏の景明2年は西暦501年、本朝25代武烈天皇庚辰2年達磨大師が天竺より唐に渡る20年前のものなり
大正14年浅野長友公250回忌に当り頌徳記念として当寺22世蓬仙和尚がここに建立す。
彫刻以来1500年、いささかも腐蝕せず精密な原型を留め容姿端厳微妙の相誠に尊重すべき霊像なり。
(案内板より)
 
渡来の石仏の前を通り過ぎ、宝物館へ。
 
この宝物館に展示されているのは、赤穂城の太鼓櫓の梯子から義士の甲冑、帷子、槍、長刀、吉良上野介にとどめを刺した小刀、大石家所蔵の絵画、城の雛形(ミニチュア)、赤穂城に置かれていた18世紀の時計、義士の書簡(現代語訳がないので読めません)等々。
 
槍は柄が思っていたより短く、刃先も木の葉のような小さなものです。刃が小さいと軽いため取り回しがしやすいのでしょうか。柄が短いのは市街地や室内での戦闘を意識したためかな。
 
甲冑は傷みが激しいですが、存在感がすごい。
皮で出来た火事羽織もありました。
今で言うボードゲームのようなものもありましたが、あれは何なんだろう。
 
全体的に説明が少ないのでなんだか分からないものもありますが、見応えのある品々を堪能させていただきました。
 
花岳寺を出たのは14:00頃。
 
JR播州赤穂駅に着くと、ちょうど上り電車が出て行くところでした。

次の電車まで30分近く間があくので、駅前の屋台で売られていた鯛焼きを食べながら駅の下にある休憩所で休み、14:36発の新快速野洲行に乗って姫路へ帰りました。
 
15:09
JR姫路駅に到着。
 
 
花岳寺については、花岳寺のWebサイトをご覧下さい。