播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

総社 三ッ山大祭の「造り物」

姫路では、いよいよ今月末から20年に一度の三ッ山大祭が始まります。

このお祭りのために、姫路駅から播磨国総社までのエリアに「造り物」と呼ばれる展示物(播磨地方の伝説や史実に関係するもの)が設置され、一般公開が3月19日から始まったと神戸新聞で取り上げられていました。
 
新聞記事では具体的な設置場所や総数が分からなかったので、播磨国総社に確認を取りました。
その結果、造り物の総数が10であることとすべての設置場所が分かったので、それらを見て回ることに。
 
設置場所は、以下の地図を参照して下さい。地図内で丸数字が書かれている場所に「造り物」が置かれています。
 

 

▲Super Mapple Digital Ver.11の地図画像出力機能を使用して得た画像を加工したものです。
 
「造り物」はすべて同じ大きさの白い大きな箱の中に収めてあり、イタズラなどを防ぐためか日中のみの展示になっていて、それ以外の時間帯はしっかりと木の板で隠されています。
 
前述の神戸新聞の記事によると、箱の大きさは間口約3.8m、高さ約3.6m、奥行き約2.7m。
 

▲展示前の姫路駅中央コンコースのつくりもの
 
では、10個の造り物を上の地図の番号順に紹介していきましょう。
 
(1)姫路駅中央コンコース内(お夏・清十郎の恋)
 

▲お夏・清十郎の恋
 
これは姫路駅の中央改札を出てすぐ左側に置かれている造り物で、テーマは「お夏・清十郎の恋」。
姫路・但馬屋の娘お夏が恋した相手は、室津出身の手代・清十郎。尾上の花見の席で、二人は初の逢瀬を楽しんだ。野里・慶雲寺の比翼塚は、悲恋に終わった二人の墓とされる。
姫路駅の中央コンコースから北へ出て、今春オープンする商業施設piole(ピオーレ)を時計回りに回り込み、御幸通りへ入って少し北へ進むと、2つめの造り物に出会います。
 
(2)十二所線の一本南の筋と御幸通りの交差点(安倍晴明・蘆屋道満の術比べ)
 

▲安倍晴明・蘆屋道満の術比べ
 
スイッチがついていて、これを押すと人形が動くようになっています。
安倍晴明と並び称された、陰陽師・蘆屋道満。宮中で箱の中身を当てる術比べを行ったが、大柑子(だいこうじ)を鼠に変えた晴明に負け、後に関白道長を呪詛して故郷の播磨国へ流されたという。
さらに御幸通りを北へ進むと、三菱東京UFJ銀行前にも造り物があります。
 
(3)三菱東京UFJ銀行前(宮本武蔵の妖怪退治)
 

▲宮本武蔵の妖怪退治
天守閣に毎晩怪しい灯が見えると聞き、天守番を引き受けた宮本武蔵。五層目で出会った「おさかべ明神」を名乗る美女は黒狐の妖怪に変身、武蔵は死闘の末に二刀流で退治した。
すぐ北の三井住友銀行前にも造り物があります。
 
(4)三井住友銀行前
 

▲性空上人、室津で普賢菩薩を見る
書寫山圓教寺の開山、「播磨の聖」性空上人。夢のお告げにより室津で遊女の長に会うと、その遊女は上人が拝したいと願った普賢菩薩に姿を変え、白象に乗って昇天したという。
三井住友銀行の先にある交差点は、御幸通りと二階町の交点ですが、西二階町と二階町にも造り物が一つずつ置かれています。
 
地図の番号順ということで、まずは二階町の方を紹介します。

二階町の西松屋跡が「街の駅」に名を変え、その中に造り物が置かれています。
 
(5)街の駅(弁慶と書寫山圓教寺)
 

▲街の駅
 

▲弁慶と書寫山圓教寺
乱暴が過ぎて、比叡山を追い出された武蔵坊弁慶。書寫山圓教寺で修行をしていたが、寝入った弁慶の顔に寺僧が落書きをして争いとなり、松明の火から一山が焼亡したという。
続いて西二階町の造り物。50m道路を渡って西二階町に入ってすぐの場所にあります。
 
(6)西二階町(法道仙人飛鉢の秘法)
 

▲法道仙人飛鉢の秘法
一乗寺の開祖は、天竺生まれの法道仙人。法力で法華山から播磨灘へ鉢を飛ばし、行き交う船に布施を請うた。船頭が布施を断ると、米俵が鉢に従い仙人の元へ飛び去ったとか。
御幸通りに戻ってさらに北へ進みます。国道2号線を渡り、大手前公園に出ると、そこに7つめの造り物があります。
 
(7)大手前公園(秀吉・官兵衛の中国大返し)
 

▲秀吉・官兵衛の中国大返し
備中高松で「本能寺の変」を知った秀吉は、軍師・黒田官兵衛の進言で「大返し」を決断。中国路を駈けて姫路城で英気を養い、さらに東へ進軍、山崎の戦いで明智光秀を打ち破った。
大手前公園の南を東西に走る道路に沿って東へ行くと、イーグレ姫路の北東にある造り物に出会います。
 
(8)イーグレ姫路北東(お菊井戸)
 

▲お菊井戸
姫路城主に忠義を尽くす恋人に頼まれ、悪家老・青山鉄山に使えたお菊。家宝の皿をなくしたと無実の罪で井戸へ沈められ、亡魂はお菊虫(ジャコウアゲハの蛹)になったという。
次の造り物は、偶然見つける可能性がきわめて低い場所にあります。今までのものは商店街を通っていたら造り物を入れた箱が見えていましたが、9番目に紹介する造り物は、外からまったく見えない建物の3階。
 
(9)総社御門(池田輝政の白鷺城築城)
 

▲総社御門(門の裏手南側から中に入れる)
 

▲池田輝政の白鷺城築城
関ヶ原の戦いの後、姫路へ入った「西国将軍」池田輝政。新たな城と三重の堀に囲まれた城下町の建設を始め、慶長14年、ついに城下町を見下ろす姫路城の大天守閣が完成した。
総社御門の2階は展示室になっていて、三ッ山大祭の歴史について展示されていました。
 
いよいよ最後、10個目の造り物です。
これは三ッ山大祭のシンボル、三ッ山のうち東端の山の下にありました。
 
(10)三ッ山前(相撲の祖・野見宿禰)
 

▲三ッ山
 

▲相撲の祖・野見宿禰
垂仁天皇の命により、大和国の当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲を取った出雲国の野見宿禰。宿禰は見事に蹴速を打ち破り、朝廷に仕えて埴輪の祖ともなった。龍野で亡くなったと伝えられている。
造り物は、地元の高校生や自衛隊等のみなさんが手作業で製作されたものばかりです。

三ッ山大祭で姫路にお越しの際は、是非これら10の造り物もご覧ください。