播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

姫路市の安志加茂神社

昨年末に購入した車のナビのプログラムや地図、検索データのバージョンアップをしようと思ったら、最短でも90分かかるとマニュアルに書かれています。
 
車庫内で90分もアイドリングさせながらバージョンアップ作業をするよりは、どこかへドライブしながら作業をした方が良いかなと思い、往復90分程度で面白そうな場所はないかと探していたら、「山であそぼっ」の「やまあそ」さんが安志加茂神社に出かけた写真が画像掲示板に貼られていたのを思い出し、私も巨大な蛇(巳)の飾りを見に行くことにしました。
 
ナビのバージョンアップは、ナビを使用しながらだと410分(7時間近くも!)、ナビを止めても90分かかります。
安志ならナビがなくても迷うことはありませんし、往復90分くらいになりそうなので、距離がちょうど良い。
バージョンアップ中にエンジンを切っても、次にエンジンをかけると続きからバージョンアップが再開されるので、問題ありません。
 
というわけで、姫路市街の自宅を出発。
国道29号線を北上し、安富町の「安志南」交差点を右折。これで県道430号線に入ります。

道なりに左へ大きくカーブし、信号のある交差点を直進しますが、反対側にある道の続きが少し東へずれているので、よく見ないと丁字路に見えてしまいます。

この変な交差点を直進し、中国自動車道の下をくぐったらすぐ左折。安富中学校の南側を西進すると、まもなくあじさい園の駐車場へ続く下り坂が右手に現れるので、それを下って駐車。
 
この下り坂を通り過ぎ、右前に見える大きな鳥居の下を通る道路まで進んで右折し、鳥居の先にある空き地に止めてもかまいません。
 

https://goo.gl/maps/eGacAn8wYmWbhWRS6
▲安志加茂神社の駐車場の位置
 
駐車場に車を止め、鳥居のある道路へ続く階段を登ります。
 
 
▲駐車場の様子(左奥の階段で鳥居を目指す)
 
 
▲駐車場(図中の現在地)と神社の位置関係(マウスカーソルを図に重ねたときに右下に表示される虫眼鏡のアイコンをクリックすると、拡大表示されます)
 
 
▲道路から見える大きな鳥居は、安志稲荷神社のもの
 
鳥居をくぐって少し進むと、とぐろを巻いた巨大な蛇(巳)が乗った鳥居のようなものがありました。
 
 
▲巨大な蛇が乗った鳥居(?)
 
これはいいなぁ。参拝客の多くは、この下で記念撮影をしていました。
藁で出来たシンプルなものですが、だからこそ余計に味わいがあるし、神社にあっても違和感がないんですね。これがリアルな質感で手の込んだ造形だったら、異様さが際立ってしまいます。
 
蛇が乗った鳥居をくぐったら、両側に出店が並ぶ参道を北へ進みます。
 
 
▲参道の様子
 
まもなく、参道の右側に大きな忠魂碑が見えます。
陸軍大将鈴木荘六の揮毫によるもので、その脇には「軍人は・・・」と軍人のあるべき姿を5箇条で書いていると思われる(読めない)石碑も置いてあります。
 
 
▲陸軍大将鈴木荘六の揮毫による忠魂碑
 
さらに参道を北へ進むと、右側に安志稲荷神社の鳥居があり、鳥居をくぐって東へ行くと、安志稲荷神社がありました。

安志稲荷神社の右前には福富稲荷大明神、北隣には大杉大神があります。
 
 
▲参道脇の安志稲荷神社の鳥居
 
 
▲安志稲荷神社
 
参道へ戻って北へ行くと安志加茂神社ですが、その手前、参道左側には綺麗なお手洗いがありました。もっと手前にあった古いお手洗いを使いましたが、ここまで我慢すれば良かった。
 
玉垣に挟まれたスロープを上ると、左側には大願成就祈願殿、右にはブルーシートに覆われた土俵、そして土俵の北には拝殿へ続く道の上を横切るように置かれた巨大な蛇の飾りがありました。
 
 
▲巨大な蛇
 
蛇の下をくぐって石段を登ると、安志加茂神社の拝殿です。
 
 
▲安志加茂神社の拝殿(左側が願い臼)
 
拝殿の西隣には願い臼と書かれた臼が干支の数だけ置かれています。
張り紙によると、自分の干支と同じ臼の中を、自分の数え年と同じ回数だけ杵でつくのだそうです。
 
拝殿でお参りを済ませ、周囲を観察。
願い臼の西には神明神社が、さらにその西には金比羅宮がありました。
 
 
▲神明神社
 
 
▲神明神社の御神体のいわれ(本文は以下の通り)
 
朝日新聞(小天守閣)より(昭和48年5月22日)宍粟郡安富町安志加茂神社の境内社天照皇太神宮の木箱に納まった神体を250年ぶりに開いて見た所中から出てきた長さ約80cmの柿の木は縦真二つに割れており割れ目の表に墨で書いたような「天太神宮」左の写図の四文字が現れた地元の家具製造会社に問合わせたところ柿の木は節から黒い色素を含んだ樹液の様なものを出して模様を作ることが判った。神社の記録を調べるうちこの木片は境内の土中から掘出されたが「天太神宮」と記されてあるのに驚いた当時の藩主が末社を建て御神体として祭った事が判った。
炭や染料で書いたのなら何百年もたてば消えるはず。大自然が織なした芸術品に違いないと県教育委員会を通じて文化財指定の申請をしている。
 
これらの神社よりも私の目を惹いたものがありました。それは、砲弾を使った忠魂碑。
左は16cm砲弾、右は28cm砲弾。
 
 
▲安志加茂神社拝殿前の忠魂碑
 
左の小さな忠魂碑は征露記念のものと読み取れましたが、右側のものは台座の表面が風化していてろくに文字が読み取れませんでした。
帰宅後に検索してみると、右側のものも日露戦争の忠魂碑で、鹵獲した砲弾だそうです。
 
これで神社を一通り見終わった気分になり(実際は安志稲荷の奥の院が尾根上にあったらしい)、あじさい園の弁天橋を見て帰路に就きました。
 
 
▲弁天橋
 
家についてもまだバージョンアップは完了していませんでしたが、車庫内で10分ほど作業を継続して完了。