播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。原則として更新は週に1回です。広告は表示しません!

兵庫県姫路市の棚原山

警告!
今回紹介するルートは、一部の区間で明確な道がありません。
GPSとコンパス、地形図を使わないと、道迷いの心配やルートの誤りによる時間超過の恐れがあります。
初心者の方やナビゲーション装備が貧弱な方の挑戦は避けて下さい。

今日はやまあそさんからのお誘いで、香寺町にある八葉寺から北西の棚原山を経由し、置塩城跡の東にある二等三角点(点名:谷山)を踏み、狭さで有名な相坂トンネルからの峠道で八葉寺へ戻るという周回ルートを歩いてきました。
 
 
▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「前之庄」
 
8:15
姫路市街の自宅を出発。

国道312号線を北上し、香寺事務所(旧香寺町役場)のある広瀬交差点の一つ手前(南)の交差点(信号無し)を左折します。

広瀬交差点まで来ても問題はなく、香呂駅に突き当たって左へ曲がり、最初の角を右へ曲がれば同じ所へ出られます。
 
JR播但線の踏切の手前から、道は県道80号線になります。これを西進。

香呂小学校前を通過し、なおも西へ西へ進みます。県道80号線は多少狭いところもあるので、運転には注意が必要です。
 
相坂トンネルへ向けての登り直前に、八葉寺への標識に出会うので、それに従って右折。

最初の分岐は、古い石の道標に従って左へとります。その後は、一車線幅の舗装道路を上ることになります。所々に待避場所があるので、対向車に出会っても何とかなります。
 
八葉寺の直前で道が分岐し、左は登り、右は下りとなっている場所があります。そこには妙な矢印の看板がついていて右を指しているのですが、八葉寺は左です。
 
 
8:45
八葉寺の駐車場に到着。やまあそさんはすでに到着されていました。
車を最奥の駐車場へ移動させ、準備を始めます(地図中「P」)。
 
 
▲駐車場の様子
 
8:56
出発。
車止めのチェーンがある坂の先に、八葉寺があります。

境内の道標には、「棚原山 2.2km・恒屋 3.7km」と書かれています。
 
八葉寺の本堂裏手から自然歩道が始まっているのですが、その前に鐘楼や池等を見物。
 
天台宗・八徳山・八葉寺
この寺は、播磨西国三番札所です。天平8年(西暦736年)、行基上人の開基と伝えられ平安時代「日本往生極楽記」を書いた性空上人と親交のあった寂心が堂を建立したのが始まりとされています。毎年1月7日に鬼追の行事(鬼会式)が行われる。これは不動明王、毘沙門天の化身とされる赤鬼、青鬼が「息災延命」「五穀成就」の願いをこめて踊るものです。
(本堂前の看板の内容)
 
▲自然歩道は本堂の裏から始まっている(赤矢印)
 
9:04
自然歩道に入ります。
自然歩道になっているだけあり、広くて快適な道。
 
 
▲自然歩道に入ってまもなくの様子
 
表面が金属で、中にコンクリートが流し込まれた柱を切断した跡が、遊歩道と交わるように(等高線と平行に)たくさん並んでいましたが、あれは何なんでしょう。
 
9:21
333m標高点に到着。
すぐ東に何やら祠のような物があり、それを見物(地図中「元日登山ほこら」)。
昭和58年の日付で、元日登山について書かれた木の板が掲げられていました。
 
 
▲333m標高点(鷹取山)近くの祠
 
333m標高点からは笹の中の下りですが、登り返しは植林の中の道です。
 
9:43
なだらかな稜線を歩いていると、突然三角点に出会いました(地図中「四等三角点(点名:前谷)」。
何の特徴もない稜線上にぽつんとある三角点を時々見かけますが、昔は櫓を建てて測量をしていたので、こんな場所でも周りからはよく見えたのかな。
 
 
▲四等三角点(点名:前谷)
 
9:47
地形図に描かれている恒屋からの破線道に出会いました(地図中「恒屋分岐」)。
恒屋への道は、植林の中をなだらかに下っています。
 
道標があり、私達が来た方向を指して「八徳山(八葉寺)1.8km」、棚原山方面を指して「棚原山頂0.4km」、恒屋方面を指して「恒屋1.9km」と書かれています。
 
 
▲左が棚原山方面、右が恒屋への道
 
ここは棚原山方面へ進みます。
 
9:52頃
急斜面に付けられた擬木階段に出会いました。これを登り切ると、棚原山山頂です。
 
 
▲棚原山の山頂直前にある階段の様子
 
9:56
棚原山山頂に到着(地図中「棚原山」)。東方面に180度の展望が開けています。

山頂には、道標と棚原明神旧鎮座跡と刻まれた石碑、小さな祠があるだけです。
 
棚原山の北東尾根には、かつて棚原山出湧寺という寺があり、その跡地と言われる削平地が何段か残っているという情報も得ていたので、その寺跡を見に行くことになりました。
 
10:20頃
寺跡探しへ出発。
 
棚原山から北東へ延びる尾根は、塩田温泉から東へ延びる道路の峠から始まる登山道になっているので、非常に歩きやすい。
 
 
▲棚原山山頂から北東へ延びる尾根の様子
 
10:29
木に厚手のアルミ箔のような物が巻かれているのに出会いましたが、文字が消えて何が書かれているのか分かりません。
 
10:33
尾根の右下に平坦な場所があるのをやまあそさんが発見。
斜面を無理矢理下り、その削平地へ下ります(地図中「棚原山出湧寺跡」)。
 
 
▲寺跡と思われる削平地
 
少なくとも2段の削平地があり、それぞれが比較的大きなサイズを持っています。
ある程度の規模の伽藍があったのでしょうが、今では何の痕跡もありません。
 
2014/12/26追記
棚原山出湧寺
峯相記には棚原山と記載があり、行基建立の寺院で、薬師如来を本尊とすると紹介されている。後世の書物には棚原山に関連する寺院として出湧寺・明源寺・棚原寺の名が登場する。当時は、香寺町と夢前町の境界近くの東側山腹(標高約260m)にあり、多数の削平地が残る。ここからは、中世の軒平瓦・鬼瓦・宝筺印塔などが採集されており、鬼瓦・宝筺印塔は麓の棚原山光輪寺が保管している。
(出典:たつの市立埋蔵文化財センター図録9 特別展「峯相記の考古学~西播磨の中世をさぐる~」 発行年月日 平成24年10月20日 編集・発行 たつの市立埋蔵文化財センター)
追記ここまで
 
11:00
棚原山の山頂へ戻ってきました。

今度は稜線を南西にたどり、置塩城跡の東にある439.6m二等三角点(点名:谷山)を目指します。
この稜線は、今までの自然歩道とは違い、普通の山道です。
 
 
▲棚原山から南西へ延びる稜線の道の様子
 
11:47
堀切跡に出会いました(地図中「堀切跡」)。
 
 
▲堀切跡
 
置塩城跡の東の三角点周辺は、「TAJI&HM の 兵庫の山めぐり」によると城段(しろんだん)と呼ばれているそうです。

その名の通り山城があったピークなので、この堀切もその城の縄張りの一部だったのでしょう。
さらに三角点に向かって西へ進むと、何段もの削平地に出会います。
 
兵庫県立考古博物館のサイトから「埋蔵文化財保護の手引き」のページに行き、この地域の地図を見ると、この場所は中世の山城跡として「(仮)南条山城跡」と名前が付けられていました。
 
 
▲二等三角点(点名:谷山)直前の様子(写真ではわかりにくいが、ここも数段の削平地になっており、このすぐ先に三角点がある)
 
2014/12/26追記
置塩山法界寺
峯相記には置塩寺と記載があり、昔は盛んだったが、今は荒廃している寺院の一つとして当寺が紹介されている。当寺は、置塩城東方の標高約440mの山上に位置し、多数の削平地や井戸が残る。中世瓦が採集されており、14世紀中頃と思われる波状文軒瓦は、同笵のものが播磨各地から出土している。なお、当寺は置塩城の出城として使用された可能性が高い。(出典:たつの市立埋蔵文化財センター図録9 特別展「峯相記の考古学~西播磨の中世をさぐる~」 発行年月日 平成24年10月20日 編集・発行 たつの市立埋蔵文化財センター)
追記ここまで
 
11:51
二等三角点(点名:谷山)に到着。

展望はありませんが、時間がちょうどいいので、ここで昼食にします。
本日の昼食メニューは、エスプレッソパスタと同じメーカーのエスプレッソリゾット(サフラン風味きのこリゾット)と、ウインナーの缶詰(ハーブウインナー)。
 
こういう食べ物が珍しいらしく、やまあそさんに調理中のリゾットをしっかり写真に撮られました。
 
12:24
出発。

先ほど歩いた削平地を引き返して主稜線に戻り、南へ進みます。
 
右手側の谷間を見ると斜面に削平地が何段もあり、かなりの規模の山城だったことが分かります。
 
12:33
展望の良い岩をやまあそさんが発見(地図中「展望岩」)。ひょっとすると、城があったころは物見岩として使われていたかも知れません。
 
 
▲展望岩からの展望(奥の町並みは香寺や山田方面)
(マウスポインタを合わせたとき右下に表示される虫眼鏡のアイコンをクリックすると拡大表示されます)
 
この稜線は、左右が雑木であまり展望はありませんが、適度にアップダウンがあり、雰囲気が良く快適に歩けます。
 
これから先はルートファインディングが必要なので、詳細は省略します。
冒頭の地図画像を参考にして下さい。
 
地図中「ア」の地点(12:43通過)から南東へ下りましたが、「イ」地点を通過する道への分岐を見落とし、南寄りに進んでしまったため、斜面をトラバースして「イ」地点で道と合流(13:02)。
 
13:12
その後も道は続いていましたが「ウ」地点で突然藪っぽくなってしまいました。
 
 
▲藪っぽくなる場所の様子(藪という程のものでもありませんが・・・)
 
この後は、普通の山道や多少藪っぽい場所、滑りやすい斜面に何度か出会いながら、道路が見えるあたりまで下りて来ました。
 
13:35
道が突然シダ藪に変わりました(地図中「シダ藪」)。

と、ここで私の携帯電話が鳴り、それに対応している間にやまあそさんが別の下山ルートを見つけて下さいました。
それが冒頭の地図に表示してある通り、北東側へ下るというルート。

北側斜面は植林で、ソマ道があるため楽に下山することが出来ました。最後は竹林を抜けて道路へ。
 
13:42
道路へ出ました。
集落の中を通る細い道を歩いて相坂トンネルへ向かいます。
 
13:50
相坂トンネル手前から峠道に入ります。
 
 
▲峠道へ入る
 
トンネルの上にある峠には、八葉寺への道が通っているのですが、道の右側の斜面を登る踏み跡が付いています。

やまあそさんの後を追い、その踏み跡を登ると、妙な物に出くわしました(地図中「謎の五輪塔群」)。
 
 
▲右側の斜面を登る
 
 
▲相坂トンネルの真上にある五輪塔
 
相坂トンネルの建造に使われたものと同じと思われる煉瓦で出来た台座があり、その上にコンクリート製の仏像と倒れた五輪塔があります。周辺にも五輪塔が散乱していて、トンネル工事の犠牲者を祀るためのものに思えます。
 
 
▲コンクリート製の仏像(仏像に詳しいやまあそさんによると、何だかおかしなお姿だそうです)
 
この謎の五輪塔群から北へ進むと、先ほどの八葉寺への道と合流します。
 
 
▲八葉寺へ続く旧道の様子
 
14:11
八葉寺に戻ってきました。

一周8km弱の山歩きでしたが、色々と興味深い物を見ることが出来、充実した時間を楽しむことが出来ました。
やまあそさんのルート設定なのに、藪漕ぎがなかったのが意外です。
やまあそさん、今日はご案内いただきありがとうございました。