姫路市内に残る廃線跡地として飾磨港線や新日鉄への引き込み線、虹技への引き込み線を探索しましたが、最後に残っている大物、網干駅~浜田港をつなぐ北沢産業網干鉄道(正式名称がないので、Wikipediaに載っていた名称を使うことにします)の跡地を見てきました。
かなり広範囲にわたって線路が残っていて、今までに見てきた廃線跡地とは比べものにならないほど保存状態の良いものでした。
地図中の赤線が私の走行軌跡、緑色の線は、網干鉄道の跡地のうち、2010年9月26日現在線路が残っている場所を示しています。
GPSのログをGPX形式でアップロードしておきますので、興味のある方はこちらを右クリックして「対象をファイルに保存」してください。
10:15
姫路市街の自宅を出発。廃線跡地の探索には小回りと機動性が必要なので、自転車で行くことにします。
途中、通ろうと思っていた道路が消防車や救急車、パトカーでふさがれていて、迂回するのに手間取りました(もっとも距離の短い迂回路が封鎖されていたので、大きく回り込んで突破)。一体何が起こっていたんだろう。
(2010/9/28追記:翌日の新聞によると、そこそこの規模の火災があったようです。)
10:56
JR山陽本線の線路沿いに進み(県道415号線)、勝原小学校前を通る県道437号線を進んで網干駅の北側に到着。
JR山陽本線の線路沿いに進み(県道415号線)、勝原小学校前を通る県道437号線を進んで網干駅の北側に到着。
学生時代、家庭教師のアルバイトで網干へ来ていたので、懐かしい。
とりあえず駅の北に来てみましたが、展示されているはずの機関車(網干鉄道を走っていたもの)が見当たりません。よく考えると、駅の南側に展示されていたのを思い出し、跨線橋を通って南へ行こうとしたら、「工事中のため南側のスロープが使えません。自転車は踏切を通って下さい。」との注意書きがあり、指示通り踏切を越えて駅の南側へ回りました。
駅の南側にある北沢産業の駐車場内に、それは展示されていました(地図中「DB2機関車」)。
▲駐車場に展示されているディーゼル機関車DB2(昭和38年日本輸送機株式会社製造)
一通り機関車を見物したら、網干鉄道の線路跡地を目指しましょう。
まず網干駅の北へ戻り、西へ進んで「柿の坪」踏切(歩行者、自転車専用)を渡って線路の南へ行きます(地図中「柿の坪踏切」)。
この踏切を渡りきったところで左右に広がっているのが、網干鉄道の跡地です。他の廃線跡地と同様、単なる細長い空き地です。
▲網干駅近くで単なる空き地となっている網干鉄道跡地(立入禁止)
11:18
やっぱり何もないかと思いながら、線路と平行な道を自転車で進んでいると、網干総合車両所の東端にある陸橋(地図中「陸橋」)の下で、突然線路と出会いました。
やっぱり何もないかと思いながら、線路と平行な道を自転車で進んでいると、網干総合車両所の東端にある陸橋(地図中「陸橋」)の下で、突然線路と出会いました。
▲突然現れる線路
立入禁止とも書かれていませんし、柵もありません。
しかし、廃線とは言え線路内で自転車を押して歩いていると目立ってしょうがないので、この線路を見ながら廃線跡地を辿ることにします。
網干鉄道跡地の西側へ回り込み、田圃の中に残る線路を左手に見ながらのんびりサイクリング。
よく見ると線路は錆びているし、線路をつなぐボルトが抜けていたりしますが、何も知らなければ、廃線とは思えません。今にも列車が走ってきそうな雰囲気。
▲田圃の中に残る線路(地図中米田付近)(線路と交わるあぜ道から撮影)
▲線路と道路が交わる場所に残る鉄橋跡(地図中米田付近)
線路上を歩きたい衝動に駆られますが、念のため線路上は歩かず、線路が見える道を選んで進んでいきます。
▲線路跡に立っている看板
11:31
綺麗に残っていた線路ですが、市営上余部住宅付近で住宅に遮られて姿を消してしまいます。
綺麗に残っていた線路ですが、市営上余部住宅付近で住宅に遮られて姿を消してしまいます。
▲突然現れた線路だけに、途切れ方も唐突
ここからは東芝姫路工場の西側を線路跡地が通っているのですが、東芝の土地になっているらしく、線路跡は駐車場になっており、東芝スポーツセンターより南側は通行止めになっていました。
仕方なく新橋を渡って太い道路に出て、南へ進みます。
そして、セブンイレブンのある交差点を左折して線路跡を探すと、南北に細長い砂利の駐車場がありました。これが線路跡でしょう。
そして、セブンイレブンのある交差点を左折して線路跡を探すと、南北に細長い砂利の駐車場がありました。これが線路跡でしょう。
この砂利の駐車場を右手に見ながら細い道を南下していくと、やがて右手の砂利の中に線路が現れてきます。
しかし、新幡洞橋付近でまたもや線路は途切れてしまいます。
しかし、新幡洞橋付近でまたもや線路は途切れてしまいます。
▲新幡洞橋付近で途切れた線路
線路があった頃の航空写真を用意するのを忘れたため、ここから線路がどのように進んでいたのか分からず、何となく線路の延長線上にあるように見えた道を進みましたが、これが大ハズレ。
実際は、線路は途切れた場所からまっすぐ南へ延びていたのです。
実際は、線路は途切れた場所からまっすぐ南へ延びていたのです。
とりあえず揖保川を越えるために八十大橋を目指します。
八十大橋へ向かうまでに、鉄橋があったと思われる場所を見てみましたが、橋脚も何も残っていませんでした。
11:54
地図中「八十大橋」の「八」の字の左側に土堤の地図記号がありますが、これが網干鉄道の線路跡です。
土堤の記号のある場所だけでなく、その先でも線路がしっかり残っていました。
地図中「八十大橋」の「八」の字の左側に土堤の地図記号がありますが、これが網干鉄道の線路跡です。
土堤の記号のある場所だけでなく、その先でも線路がしっかり残っていました。
▲土堤北端の様子
▲土堤の先では、線路のすぐ横を通れる
線路のすぐ横を通れる区間が、網干鉄道の線路を見ることの出来る最後の場所となります。
また住宅によって線路は姿を消し、線路跡がどこへ続いていったのか分からなくなります。
浜田付近では、線路は川のすぐ脇を通っていたような記憶があったので、龍門寺を東から回り込んで迂回し、中川の左岸を目指すことにします。
12:05
すると、ありました。見るからに鉄道跡地を利用した道路です(地図中「浜田三昧跡地の碑」の場所から道路が始まる)。
すると、ありました。見るからに鉄道跡地を利用した道路です(地図中「浜田三昧跡地の碑」の場所から道路が始まる)。
▲網干鉄道跡を利用した道路
中川で水上スキーをしている人達を見たり、はるか前方に見える家島を眺めながら自転車を漕いでいきます。
線路跡地を利用した道路は、西芝電機の工場を過ぎたあたりで「通行止め」となっていて、しかたなく線路跡から離れることになります。
▲線路跡の道路はなぜか通行止め
サニックスの工場を右手に見ながら道路を南下しますが、工場群が邪魔で線路跡地は見えません。
結局南端に突き当たるまで線路跡地を見ることはありませんでした。
結局南端に突き当たるまで線路跡地を見ることはありませんでした。
12:15
貯木場の北側まで来たところで、網干鉄道跡地探索は終了ということにします。
貯木場の北側まで来たところで、網干鉄道跡地探索は終了ということにします。
本日の自転車での走行距離は、41kmちょうどでした。