播磨の山々

兵庫県姫路市周辺の山歩きと山道具の紹介をしています。2019年5月、Yahoo!ブログから引っ越してきました。

姫路市の廃線跡地探索(飾磨港線と新日鉄引き込み線)Part1

かつて、JR姫路駅から山陽電鉄の線路と平行に南へ走っている線路がありました。私が子どもの頃は、その線路を貨物列車が走っていた記憶があります(1984年に貨物の取扱停止)。

その後1986年には完全に廃止されてしまったその路線は、飾磨港線と呼ばれていました(正式には播但線の一部だったそうで、飾磨港線という呼び名は通称です)。
 
そんなことはすっかり忘れていたのですが、5年ほど前、産業道路と地元で呼ばれている道路(正式には県道62号線)を車で走っているときに、道路横切るように不自然な遊歩道があることに気づきました(それまでに何度も通っていたのに、気づかなかった)。

調べてみると、国鉄の線路跡であることが分かり、子どもの頃の記憶がよみがえってきました。で、その線路跡を探検してみようと思って早5年。
というわけで、5年越しの計画(単に5年間忘れていただけ)を実行に移しました。
 
飾磨港線跡を辿るルールは、今回以下の通りとしました。
  • 起点はJR姫路駅の西側(かつて煉瓦造りの橋脚があった場所。飾磨港線の線路が南へ向きを変える地点。)とする
  • 終点は飾磨港線の終点であった飾磨港駅跡地とする
  • 線路跡が通れるところは忠実に辿る
  • (あるかどうか分かりませんが)橋脚や線路、枕木等、鉄道の痕跡を見つけたら全て写真に撮る
  • 立入禁止の場所やすでに開発されてしまった場所は、線路跡が見える場所を通る(見えない場合は、線路跡に可能な限り近い場所を通る)このために、GPSを使う
  • 無用なトラブルを避けるため、明確に立入が禁止されていない場所であっても、周囲の状況から立ち入るべきではないと判断できる場合は、線路跡地に入らないことにする(写真は立入禁止場所の外から撮影する)
飾磨港線の路線長は、5.6kmです。
この暑い中、5.6km(線路跡を忠実にたどれないと予想されるため、実際はもっと長い距離)を歩くのは無謀なので、自転車で行くことにします。
 
 
▲対応する地図は、国土地理院発行の2万5千分の1地形図「姫路南部」
 
8:10
自宅を出発。
JR姫路駅の西側にある豆腐町の踏切跡を通り、在来線と新幹線の高架下をくぐり抜けてすぐに右折。すると、目の前に山陽電鉄の高架が見えてきます。この高架が、飾磨港線の跡地を利用したものとなっています。そのため、法律を犯して線路内に立ち入らないと飾磨港線の跡を辿ることは出来ません。仕方がないので、山陽電鉄の線路と平行に南へ進むことにします。
 
昔の航空写真を見ると、山陽電鉄の線路と飾磨港線の跡が重なっている区間はごく僅かです。写真によると、飾磨港線は山陽電鉄の線路の西側を通っているので、線路の向こう(西)側へ移動する必要があるのですが、ちょうど良い具合に歩道橋があり、これで線路を越えられます。
 
 
▲山陽電鉄の線路を越えるための歩道橋(自転車を押して通れる構造になっている)
 
山陽電鉄の線路の西側の道路に降りました。このまま道路に沿って南へ進みます。
踏切を左手に見ながら南へ進んでいくと、道は南へ延びているものの、一端右へ直角に曲がってから直ぐに左へ直角に曲がる形になっています。

道の左手側(飾磨港線の跡地)は現在姫路中央市場の管理地(駐車場)になっているらしく、ロープで囲われています。仕方がないので駐車場には入らず道路を進もうと思ったのですが、ふと左を見ると、線路を横切る溝の中にミニチュアの橋脚(?)のようなものが見えます。ネットで下調べをしたときに見た橋脚跡のようです。こんなところにあったのか。
 
 
▲橋脚跡(?)奥にはガーダーのようなものも残っていました
 
さらに南へ進むと、中央市場へ入ってしまいます。
飾磨港線は、この市場へ貨物を運ぶためにも使われていたので、市場の中を通れば飾磨港線跡を辿ることになるのですが「市場関係者以外入場できません」の看板があるため、中を通ることは出来ません。
 
 
▲線路はかつてまっすぐ市場へ続いていた
 
市場の西側にある県道62号線沿いに南下し、市場の南へ回り込むか、山陽電鉄の線路の下をくぐって線路の東へ行き、山陽電鉄の線路の東側を南下するかのいずれかのルートが考えられます。
 
冒頭で決めたルールにより、廃線跡に少しでも近い山陽電鉄の線路の東側を通ることに決定。市場を右手に見ながら南下します。
 
 
▲山陽電鉄の線路の下をくぐって線路の東へ向かった
 
8:33
山陽電鉄の手柄駅のすぐ南にある踏切を渡って線路の西へ出ると、線路の西で南へ延びる遊歩道と出会います。これはまさしく飾磨港線跡地。
銀の馬車道の看板も立っています。
 
 
▲市場の南から始まる飾磨港線跡地を利用した遊歩道
 
市場の方を振り返ると、北へ延びる一直線の空き地が見えます。当時はこの真っ直ぐな場所を貨物列車が走っていたんですね。
 
ここからは遊歩道を辿るだけなので楽勝です。まったく線路の形跡は残っていませんが、細長く、平坦で真っ直ぐな道は、明らかに線路があったことを示しています。
 
枕木やバラス(線路に敷かれている石)や標識がモニュメント的に残っているかなとキョロキョロしながら自転車を走らせますが、残念ながら何も残っていませんでした。
 
遊歩道はゆるやかな右カーブを描いて、山陽電鉄の線路から離れていきます。
 
用水路を越える場所には小さな橋が架かっているのですが、自転車を降りて橋を側面から見ても、それが最近作られたものなのか、鉄橋を利用したものか識別できません。
 
 
▲用水路に架かる橋の橋桁
 
遊歩道は姫路バイパスの下をくぐります。バイパスまでは、沿線の風景は田圃の多いのどかなものだったのですが、バイパスをくぐってからは住宅街の中を通ることになります。
 
8:42
亀山駅の跡地に出会いました。
 
 
▲亀山駅跡
 
8:45
そして、私がこの飾磨港線の跡地のことを知るきっかけになった県道62号線との交わる地点になります。
ここは道路が不自然にS字型に曲がっているのですが、かつては飾磨港線の線路を越えるための踏切だったようです。
 
横断歩道があるものの、交通量が多いのに信号がないため、線路跡地を歩く人にとっては道路を横断するのが難しくなっています。
 
県道62号線を越えて遊歩道はまっすぐ南西に延びています。
 
飾磨中部中学校の西側を通り、山陽電鉄の線路の下をくぐる辺りでは、枕木のようなものが敷き詰められていました。あれは当時のものなのかな。でも、それにしては新しい感じがします。
 
 
▲飾磨中部中学校西側の遊歩道の様子(線路跡は右側、左は陸上競技の練習用?端に白線があり、100m先にも同様の白線がありました)奥に小さく山陽電鉄の高架が見えている。
 
今度は飾磨工業高校の西側を通るのですが、ここには線路跡をまたぐ歩道橋がありました。
線路が現役だった頃は、西側にあるグラウンドへ安全に移動するために役立っていたのでしょうが、「遊歩道を越えるために何故わざわざ歩道橋があるんだろう?」と今の高校生達は疑問に思っているかも知れません。
 
ここまでは順調に線路跡をたどれましたが、飾磨工業高校から先は難しい。
リバーシティーの西側のエリアは現在すっかり開発されており、線路跡を辿るのは困難です。
 
 
▲飾磨工業高校を過ぎると、この風景に出会う。右前方の細い空き地に目が行くが、実際はその左側の広い空間(民家や青山がある)が線路跡。
 
洋服の青山やアパートが立っている場所が線路跡地です。そのため、何も考えずに道路に沿って移動すると、(道路は左へカーブしていくため)南西へ延びる線路跡地から離れてしまうことになります。
 
 
線路跡地をたどれない場合は、なるべくその近くを通ることに決めていたので、飾磨大和会館の東側の道路を南へ進むことにします。
 
古い航空写真を見る限り、この付近には飾磨駅があり、飾磨港駅に向かう線路と西の新日鉄に向かう引き込み線との分岐になっていたはずですが、その面影は全くありません。
 
 
▲線路があったことを思わせる唯一の建物は、天神橋交差点にある工場。道路と垂直に交わっている遊歩道に対して斜めに建っている。これは線路の形状に合わせたためと思われる。
 
Part 2へ続く