今日は以前から興味があった、朝来市の竹田城跡を見物に行ってきました。
地形図を見ると、JR竹田駅のすぐ西から破線道が始まっています。
これなら、わざわざ車を運転して行く必要がありません。公共交通機関なら、行きも帰りも寝ていられますから、列車で行くことにします。
これなら、わざわざ車を運転して行く必要がありません。公共交通機関なら、行きも帰りも寝ていられますから、列車で行くことにします。
8:23
姫路駅発の播但線の電車(寺前行)に乗車し、出発。
姫路駅発の播但線の電車(寺前行)に乗車し、出発。
9:10
寺前駅に到着。ここから北は電化されていないため、ディーゼル車に乗り換えです。
和田山行の列車は9:29発なので、19分も待つ必要があります。
寺前駅に到着。ここから北は電化されていないため、ディーゼル車に乗り換えです。
和田山行の列車は9:29発なので、19分も待つ必要があります。
9:29
1両編成のディーゼル車が和田山へ向かって出発。
電車と違い、加速は遅いし、かすかに排気ガスの匂いがするしで、あまり快適ではありませんが、たまにはこんなのんびりした列車の旅もいいもんです。
1両編成のディーゼル車が和田山へ向かって出発。
電車と違い、加速は遅いし、かすかに排気ガスの匂いがするしで、あまり快適ではありませんが、たまにはこんなのんびりした列車の旅もいいもんです。
10:09
竹田駅に到着。
竹田駅に到着。
播但線は滅多に利用しないので、駅に着いたら、ついついドアの前でボーッと待ってしまいます。
しかし、冬期の播但線や姫新線は、車内温度を下げないため、駅についてもドアを開けてくれません。下りる客が自分でドア脇の開閉ボタンを押す必要があるのです。乗るときも同じくボタンでドアを開けます。
しかし、冬期の播但線や姫新線は、車内温度を下げないため、駅についてもドアを開けてくれません。下りる客が自分でドア脇の開閉ボタンを押す必要があるのです。乗るときも同じくボタンでドアを開けます。
無人駅もいくつかあるので、車両内にはバスと同様の整理券発行機や料金箱があります。
しかし、姫路駅と竹田駅はどちらも有人の駅なので、料金箱や整理券を利用することはありませんでした。
しかし、姫路駅と竹田駅はどちらも有人の駅なので、料金箱や整理券を利用することはありませんでした。
さて、駅のすぐ西から破線道が始まっているのに、駅から西へ出ることが出来ません。跨線橋を渡り、東へ行くしかないのです。
とりあえず駅から東へ出てみます。飲み物を買おうと思いましたが、自動販売機が見当たりません。
駅舎を見ると非常に古めかしく、自販機がなくても違和感がありませんが、困りました。
駅舎を見ると非常に古めかしく、自販機がなくても違和感がありませんが、困りました。
県道104号線へ出ればお店があるだろうと思って東へ進みましたが、車はほとんど走っておらず、人影もなく、店はことごとく閉まっているように見えます。
少し南へ進むと、店先にジュースの自販機が2台ある小さな商店(地図中「自販機」)を見つけたので、ここで今日の山歩き用の飲み物を調達。
お店のおばあさんに話しかけられたので、城跡に行くことを伝え、線路の西へ出るルートを教えてもらいました。
お店のおばあさんに話しかけられたので、城跡に行くことを伝え、線路の西へ出るルートを教えてもらいました。
商店のすぐ南の路地で西へ進み、線路に突き当たったら左へ曲がり、第三殿町踏切(地図中「第三殿町踏切」)を渡って線路の西へ出ました。
線路の西側はタイルで舗装された綺麗な通りで、地形図通り寺院が並んでいます。
法樹寺の北に登山口があるのですが、その法樹寺の前に「竹田城最後の城主:赤松広秀の墓」と看板が出ていたので、そのお墓を見てみることにします。
法樹寺に入ると、墓への案内はありません。多分高いところにあるだろうと思い、山を上がる道を探すと、左奥に石仏が並んだ階段があるのに気づき、それを登ってみました。予想通り、階段を上った右に赤松広秀の墓がありました(地図中「赤松広秀の墓」)。
再び通りに戻り、法樹寺の前を通り過ぎると、すぐに登山口に出会いました。
10:31
竹田城駅裏登山口に到着。
私はジュースを買ったりお墓を見に行ったりしたので、駅から20分以上かかっていますが、実際はもっと早く来れるはずです。
竹田城駅裏登山口に到着。
私はジュースを買ったりお墓を見に行ったりしたので、駅から20分以上かかっていますが、実際はもっと早く来れるはずです。
登山道はいきなり簡易舗装の急坂です。が、これはすぐに終わり、竹田城主の家臣達が暮らしていたと言われる屋敷跡から山道となります。
10:38
防獣ゲートを開けて進みます。このゲートは、重りと滑車を利用し、ゲートを開けても自動的に閉まるように出来ています。
防獣ゲートを開けて進みます。このゲートは、重りと滑車を利用し、ゲートを開けても自動的に閉まるように出来ています。
この道沿いでは、今では畑や植林になってしまっていますが、広い谷間に石垣が幾重にも並んでいる様子を見ることが出来ます。
嬉しいことに、石垣だけでなく、城へ登る道には当時のままの石段も残っています。
当時の石段は段差が大きく、上り下りしやすくするというよりは、道の崩壊を防ぐ目的の方が強かったのかも知れませんが、この道の石段も歩きやすいとは言えません。しかし、戦国時代の道が当時のまま残っているというのが嬉しい。
当時の石段は段差が大きく、上り下りしやすくするというよりは、道の崩壊を防ぐ目的の方が強かったのかも知れませんが、この道の石段も歩きやすいとは言えません。しかし、戦国時代の道が当時のまま残っているというのが嬉しい。
10:40
石段が突然終わり、丸太階段になったと思ったら、目の前に堰堤が現れました(地図中「堰堤」)。
変わったデザインの堰堤で、両側は通常の砂防ダム状ですが、中央部は雪彦山下山口にあるような鉄骨のみの構造です。
石段が突然終わり、丸太階段になったと思ったら、目の前に堰堤が現れました(地図中「堰堤」)。
変わったデザインの堰堤で、両側は通常の砂防ダム状ですが、中央部は雪彦山下山口にあるような鉄骨のみの構造です。
堰堤工事用と思われる切り通しを左手に見ながら段差の大きな丸太階段を上ると、再び石段に戻ります。
歩きにくくても、やっぱり石段の方が良い。
歩きにくくても、やっぱり石段の方が良い。
10:51
休憩小屋に出会いました(地図中「休憩所」)。中には南向きのベンチがありましたが、木々のため展望はありませんし、休むほど疲れていないので、通り過ぎました。
休憩小屋に出会いました(地図中「休憩所」)。中には南向きのベンチがありましたが、木々のため展望はありませんし、休むほど疲れていないので、通り過ぎました。
10:56
自動車が視界に飛び込んできました。車道もあります。どうやら地形図で実線道が破線道に変わる部分のようです(地図中「実線道終点」)。
こんな所まで車で来たら、山頂の石垣しか見られません。私は勿体ないと思ってしまいますが、山歩きをしない人にとっては、この駅裏登山道を登ることが苦痛なのでしょう。
自動車が視界に飛び込んできました。車道もあります。どうやら地形図で実線道が破線道に変わる部分のようです(地図中「実線道終点」)。
こんな所まで車で来たら、山頂の石垣しか見られません。私は勿体ないと思ってしまいますが、山歩きをしない人にとっては、この駅裏登山道を登ることが苦痛なのでしょう。
ここまで来たら、山頂にある竹田城の城跡はすぐそこです。
当時の石段を残しつつ、周囲をセメントで固めた道を上ると、大手門跡を通って北千畳に出ます。
芝生の広場で、展望も良好。
芝生の広場で、展望も良好。
ここから南西へ進み、三の丸、二の丸を経て天守台に向かいます。
この竹田城跡を空中都市マチュピチュにたとえる人は多いですし、実際私もそう感じましたが、見る角度によってはピラミッドのような雰囲気も感じます。
この竹田城跡を空中都市マチュピチュにたとえる人は多いですし、実際私もそう感じましたが、見る角度によってはピラミッドのような雰囲気も感じます。
驚かされるのは、斜面という斜面が見事に石垣できっちりと整形されている点です。
石垣といえば優美な曲線を描いている場合もありますが、この城の石垣は直線ばかりで構成されているように見えるため、無骨で整然としています。
石垣といえば優美な曲線を描いている場合もありますが、この城の石垣は直線ばかりで構成されているように見えるため、無骨で整然としています。
それにしても、見に来て良かった。
山の上の城跡ということで、こんなに壮大な城跡だとは思っていませんでした。良い意味で期待を裏切られて大満足です。
山の上の城跡ということで、こんなに壮大な城跡だとは思っていませんでした。良い意味で期待を裏切られて大満足です。
今は冬なので城跡はモノトーン調ですが、春~夏にかけては草が青々と茂り、まさしく「兵どもが夢の跡」の雰囲気になるでしょうね。
12:10
12:58発の列車に乗って帰る予定にしていたので、余裕を見てこの時間に下山開始。
ピストンで下山。
12:58発の列車に乗って帰る予定にしていたので、余裕を見てこの時間に下山開始。
ピストンで下山。
12:32
のんびり下りましたが、それでも20分ほどで下山完了。12:58発の列車には充分間に合います。
のんびり下りましたが、それでも20分ほどで下山完了。12:58発の列車には充分間に合います。